一般的になった仮想現実と似たような言葉で、研究が進められているのに強化現実という技術がある。仮想現実が現実を模倣した世界を構築するものなら、強化現実は、現実の風景に仮想情報を付加する。
東京大学デジタルミュージアムでは、ヘッドマウントディスプレイをかけて館内を見て回ると、展示に関する説明が展示物ちかくの空間に浮かび上がる。強化現実を利用し、人に出会うと顔をスキャンしてデータベースを参照、プロフィールが自分にだけポップアップされると便利かもしれない。
いまひとつ、限定現実なんて技術もある。こちらは、看板や広告など不必要な情報がカットされて視界に入る。仮想、強化、限定といった現実が世の中に出回ると、いったい他の人が何を見ているのか、共通した土台が無くなってしまうことだろう。ただ、そもそも感覚なんてそんなものかもしれない。
共感覚という現象がある。共感覚者は、言葉を見て色を感じたり、音に色を感じたりする。2000人にひとりとも、2万5000人にひとりとも言われるけれど、「甘いマスク」「黄色い声」「くさい話」といった表現が一般的に使われるところをみると、共感覚的な感性は、もっと一般的にあるものともいえる。
米バンダービルト大学のトマス・パルメリ博士が、ある共感覚者にテストした結果によると、「2」だとオレンジだけど「two」だと青といったように、意味より言葉そのものによって色が違ったという。本を開いて、内容ではなく美しい色彩にしばし見とれることもあるのだとか。
あなたの隣の人が、あなたと同じ光景を見ているとは限らない。現実なんて、前提が違えばまったく違って見えるものでもある。たとえばこれから、ぼくはひとつの魔法の言葉を書きとめる。その言葉を目にしたあとでは、あなたの、このコラムへの視点だって、がらりと変わることだろう。
その、ひとこと。今日は、エイプリル・フールだ。
コラムに書いたことは、すべて真実です。ご安心のほど。そこで、参考資料類。まずパルメリ博士のサイトは「Thomas Palmeri」で、研究結果は「2 is orange but “two” is blue」で紹介されています。「言葉や音に色が見える?共感覚の世界」もあわせてどうぞ。その他共感覚関連として、「共感覚 SYNAESTHESIA」「脳の構造と共感覚および意識」「色聴」などをどうぞ。また、「共感覚現象って何?」のリンク集が充実しています。それから、東京大学デジタルミュージアムの強化現実について、「強化現実技術による博物館ナビゲーション」をご参照ください。
エープリルフールというもの、どうも起源から変容してるとしか思えません。スマートでないですから。
> エープリルフールというもの、どうも起源から変容
平凡社の百科事典をひもとくと、かつては3月25日が新年の始まりで、祭の最終日が4月1日。新しい暦法採用後も新年祭の最終日を4月1日として、でたらめの贈物をしたりしていたのが起源、とありますね。
ナボコフが自伝の中で音と数字に決まった色がついてると書いてあるのを読んで
自分だけではなかったと妙に安心した覚えがあります。
でも、その対応の仕方は自分とは違ったと記憶しているのですが・・・
久しぶりにそんなことを思い出して、投票しました。
哲学者ヴィットゲンシュタインは
「赤」と言ったときに
自分の思い浮かべる赤と相手が思い浮かべる赤が同じという保証はどこにもない、と言っています。
言語という記号を使ってどこまで正確に人はコミュニケーションと学問ができるか。その点を追究していました。
学問のように多くの人に開かれて真理を伝えるためには
記号の正確さは不可欠ですが、
日常のコミュニケーションや、とくに芸術的な場面では
同じ記号に浮かぶイメージに
人によって微妙な違いがある方が面白いと思います。
他人にイメージをゆさぶられるのも
たまには頭の息抜きになりますから。