小橋 昭彦 2002年1月31日

 7万7000年前、ヒトが抽象的な模様を描いていた。そんな記事が目に留まる。記事には、新人の起源が従来より古いという分子遺伝学の仮説にあう発見として、このことを報じている。
 はじめにことばありき。この有名な一説にあるように、ひととことばは切り離せない。と同時に、アメリカ自然史博物館のタッターソル教授は、言語の獲得と象徴的芸術の才能こそ、人間と他の動物をわける卓越的な認知能力の核心となったのだと述べている。言葉と、ものごとを抽象化する能力。だからこそ、抽象画の発見と人類の起源がつながる。
 7万7000年前のものという抽象的な模様は、オーカーと呼ばれる絵の具の原料となる石に線刻で描かれている。直線にはさまれて並ぶ三角形。ラスコーの壁画に描かれたバイソンや古代エジプトの遺跡に描かれている人々の姿、あるいは日本でも縄文期の器の文様。
 なにげなく見ていたそれら模様が、じつはヒトをヒトたらしめている源泉だったのだということ。ものごとをとらえ、切り取り名づける能力と、ものごとをとらえ、その本質を抽象化する能力。これらには共通したものがある。
 先日、妹が子づれで京都を訪れた。子どもの描いた絵がコンテストで入選し、美術館に掲げられているのだという。その絵を見せてもらった。父親が畑仕事をしている絵だ。長靴を履いた足が大地を踏みしめ、しゃがみこんで青菜を力強く引いている。画面の上部は、入りきらなくなった頭が、まるでろくろ首のように伸びて上端を這い、それでもしっかり大地を見下ろしている。
 圧倒された。これこそ絵だと思った。そこには、父親の強さがどこから芽生えているかを訴える力がある。上手に写し取ることばかり考えていた日々の自分を振り返り、6歳の子どもに、新しい知恵を授けられた。

1 thought on “オーカーの文様

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