夏の一日、百貨店で行われていたおもちゃの歴史展に出かける。会場に並べられたブリキのおもちゃの数々が懐かしい。不思議だ、ぼくが子どもの頃には、時代はすでにブリキからプラスチックや超合金に移っていたはず。これがブリキの持つ魅力というものか。
日本におけるブリキのおもちゃの歴史は、明治にはいってほどなく始まる。その後大正時代にかけて、世界でそれまで主流だったドイツ製に代わって日本製のブリキ玩具が注目されるようになり、昭和に入って1930年代には質、量とも世界第一のおもちゃ生産国になった。戦前の玩具輸出最高額は1937年に記録した4200万円だ。
大戦がはじまり、ブリキ玩具は製造できなくなり後退したが、戦後、進駐軍の持ち込んだ缶詰の空き缶を再利用して製造することから復興を果たす。占領下の日本(Occupied Japan)製と刻印されたおもちゃが世界に輸出された。
日本のおもちゃは現在も世界で注目されている。といっても、やはりいちばんはテレビゲーム機。国内のおもちゃ売上ベスト10をみても、テレビゲーム関係が多く登場する。
じつをいうと、テレビゲームをおもちゃと呼ぶことがどうもしっくりこなくって、ふとおもちゃの語源を調べてみた。もともとは「持て遊び」で、手に持って遊ぶという意。それが「もちゃそび」、接頭語オがついてオモチャである。手に持って遊ぶか。確かにテレビゲームもコントローラを手に持ちはするけれども。
展示会の帰り、子どもにせがまれてというよりは親が欲しくって買ってしまったブリキのおもちゃを手に、ふと、これは箱から飛び出しそうだな、と思う。人が寝静まったあと箱から飛び出して踊るという、あの歌。テレビゲームはどうだろう。箱から飛び出してこそ、おもちゃじゃないか。
おもちゃについて、「日本のおもちゃ情報」「TOY MUSEUM」「柴野おもちゃコレクション展」「ブリキ玩具の歴史」をご参照ください。なお、テレビゲームについては、2000年11月17日にとりあげていますね。旧サイト時代のものなので、次に再録しておきます。
テレビゲーム
人間は、いつから遊びをするようになったのだろう。子どものおもちゃがいつ頃から登場するようになったのかは明らかでないが、少なくとも、玩具の起源となるようなものは古代エジプト時代の墳墓にすでに見られる。人形やボールやこま。
ただしそれらは当初遊びではなく宗教的な意味合いを持っていた。いまでは赤ちゃんのおもちゃと考えられているがらがらでさえ、ルネサンスの時代までその音を魔よけと信じて使っていたそうだから。
現代、多くの人に楽しまれているテレビゲーム。世界初の商用ゲームは1971年に米国で発表されている。その名をコンピュータースペースという。遊園地な
どでコインを入れて遊ぶ、いわばアーケードゲームの第一号だ。
商用でないテレビゲームということでは1962年、MITのスティーブ・ラッセルが開発して広まった「スペース・ウォー」が歴史のはじまりとされている。見方によっては、1958年、ブルックヘイブン国立研究所のウィリー・ヒギンボーサムが見学者に機械を楽しんでもらうために作ったのが最初だとも。オシロスコープに表示させたテーブルテニスゲームだ。
そういえば、最初に商業的成功を収めたとされるアタリの「ポン」や1975年に発表された国産初のゲーム機もテニスやピンポンがモチーフだった。古代エジプトの墳墓にあった「ボール」や「人形」が、球技やキャラクターという形で現代のテレビゲームにも息づいている。遊びって変わってきたようで変わらない。
人間の作ったおもちゃには、どこか不満足感がある気がします。
何処か物足りないです。
川ではしゃぎまわった子供の頃
魚を追い込んで捕まえる。
流れに乗って漂ったり。
流れに逆らって泳いだり。
高台から無茶なキリモミ掛けて飛び込んだり。
やっぱり、自然というおもちゃが一番楽しかったですね。
「ポッコン」という遊びがありました。
牛乳ビンのフタを机の上に置いて「ぱっ!」と一気に息を吹きかけてひっくり返す遊びです。
遊び相手と一枚ずつフタ出し合って、ひっくり返されたら相手にフタを取られてしまうというものです。
当時、いろんなフタを集めました。
銭湯でフルーツ牛乳やコーヒー牛乳など、コレクションしていくんです。
それを、相手にとられると悔しいこと。
牛乳ビンのフタも立派なオモチャにしてしまう。そんな子供の頃の発想はどこへ行ってしまったんでしょう。
みんなで集まるたびに、新しいルールを作ってただの鬼ごっこを違う遊びにしたりとか、いろんな遊び方を発想していましたね。
ただの駆けっこに宿る「燃える闘魂」(笑
テレビゲームも、近い将来テレビという「箱」から飛び出す時がくるでしょう。
その時には、喜んで「おもちゃ」の仲間にしてあげて下さいね。