人は、完璧じゃない。失敗は成功のもと、間違いをおそれずのぞめばいい。ただ、同じ間違いを繰り返さないこと。新人時代にそんなことを教わった人も多いことだろう。とはいえ、なぜか間違いには驚くほどのバリエーションがあって、前とはほんの少し違う間違いを重ねてしまう。それもまた愛敬か。
もっとも、間違いが大事故につながると、とりかえしがつかない。記憶に新しいところでは茨城県東海村の臨界事故やサクシゾンとサクシンを間違えていた投薬ミス。あるいはニアミス時に管制官が航空機の名前を間違えて呼びかけていたできごとや、メートル法とヤード・ポンド法の単位の取り違えが主因だったNASAの火星探査機の失敗なども思い返される。
人は間違うということを前提に見直すこと。たとえば記号で呼ぶのではなくニックネームを付けるといったネーミングの工夫や、航空機だと車輪の出し入れのレバーはタイヤの形にするなど形状の工夫。同時に、失敗から学ぶ。文部科学省では、失敗知識活用研究会を開催し、失敗のデータベース化を進めてもいる。
ぼくもまた、ときにコラムで間違いをおかす。そのたびに反省もし、気をつけもするのだけれど、ゼロにすることはできない。それほど不完全な人間ということだが、読者の方々からの指摘に助けられている。それはぼくにとって、どんなコンピュータシステムより、どんなリスクマネジメントルールより、すてきなフェイルセーフ機能だ。人を救うのは、最終的には人なんだな。
なんだか今回とっても書きにくかったです。自分の間違いを正当化しているように思われないかと気遣ったためです。
ともあれ、今回の参照サイトとして、まず、ユーザビリティ関連については多くのリソースがありますが、日本のものから主なところを。「Webのユーザビリティ」「U-Site」「使いやすさ研究所」など。ユニバーサルデザインといった視点も含め広くとらえていくなら、「ヒューマンインタフェース学会」「UDIT」「ユニバーサルデザイン研究会」「共用品推進機構」「UCN21」など各種あります。ちなみに、「失敗知識活用研究会」については文部科学省からどうぞ。ということで、「失敗ドットコム」なんてのもいいかも。また、「リスクマネジメント協会」もどうぞ。
アメリカには、
http://www.startupfailures.com/
なんてのもありますが、いまいち盛り上がっていないようです。実は、yahooの掲示板に「失敗の経験を共有しよう」というトピをつくったのですが、やはり書き込みが少ないのです。やっぱり、失敗を公開するのは嫌なのかもしれません。「死ぬかと思った」みたいな失敗談なら、いいんでしょうが(^_^;)。
まちがい
>間違いが大事故につながると、とりかえしがつかない。記憶に新しいところでは茨
>城県東海村の臨界事故
臨海事故は「間違い」ではなくて「事件」では?
自分の間違いに寛容で、人の間違いには鬼のように
怒る人が存在します。
人は間違いを犯す生き物だと思っていれば、
間違いに寛容になれるはずなのに。
でも、間違いと「根本的な部分の欠落した過ち」を
繰り返す人とはまた違いと思いますけどね。
> >城県東海村の臨界事故
>
> 臨海事故は「間違い」ではなくて「事件」では?
間違いが原因で事故につながり、事件になったということかと思います。
文部科学省の「失敗知識活用研究会」の契機のひとつも同事故だった様子なので、失敗ないし間違いの文脈でとらえることそのものはずれていないと判断しています。
http://www.startupfailures.com/
そうなんですよね、事故・事件といった文脈以外に、このところ注目されているのは、創業の失敗といったことですね。
竹内さま
>実は、yahooの掲示板に「失敗の経験を共有しよう」とい
>うトピをつくったのですが、やはり書き込みが少ないの
>です。やっぱり、失敗を公開するのは嫌なのかもしれま
>せん
うーん、やっぱりそうでしょうね。「失敗『談』」なら、確かに、出来そうですね。
ということで、メインの「失敗リンク集」とは別に、「i-mode失敗談リンク集」を、昨日、作ってみました。
http://www.sippai.com
作ってみて、「失敗知識」の対極にあるのが、「失敗談」のように思えてきました。
小橋さま、ホームページの御紹介ありがとうございます。「エラー」と「フェイリア」を使い分けているのはさすがですね。今まで、エラーを「誤作動」という日本語を使って訳していたのですが、「間違い」と訳した方が、良いような気がしてきました。今度から、使わせてもらいます。
明日からの、『雑学』も毎日楽しみにしております。
失敗ドットコムは、すでにブックマーク済みです。
以前、まだパソコン通信全盛の時代に、あるオンラインソフト作家の人に聞いた話ですが、その人は、一生懸命作り込んだソフトを初めて公開するときに、わざと軽微なバグを入れておく、とのことでした。その理由は、それをユーザーから指摘してもらうことで、コミュニケーションが生まれるから、ということだそうです。
ある程度以上複雑なソフトは、必ずバグが含まれるのが通常でしょうが、たまたま完璧なソフトができてしまうと、かえってユーザーの反応が得られなくなる、というのもうなづけるところがあり、おもしろいと思いました。
「わざと」間違えられるというのは、相当の自信や心の余裕のあっての話でしょうが、「完璧でないこと」が円滑なコミュニケーションに貢献するということは、あるのではないかと思います。
堂々と明るく間違えてください。
> 「エラー」と「フェイリア」を使い分けているのはさすがですね。
あ、本能的に(笑)。コラムを書いている間は、英語表現の方は意識していませんでした。
失敗ドットコムさんからコメントもらえるとは思っていなかったです。うれしー。
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