庭を歩いていると、梅の古木になにやらぶら下がっている。ミノムシなのだった。中に卵があるのか、あるいは主のいなくなった抜け殻か。風に揺れている。
細かく切った色紙で実験された方もいらっしゃるだろう、ミノムシは糸を出して葉などをまとい、枝にぶら下がって冬を越す。糸を出す虫といえばほかにカイコやクモがいるけれど、ミノムシはカイコほどは糸を作れず、さすがに産業化はできないけれど、糸の強度はこれまでもっとも強いとされていたクモ以上という。
奈良県立医大の大崎茂芳教授らの実験によると、ミノの部分を含め16から60ミリグラムのミノムシの糸は、体重の約3倍まで持ちこたえられたとか。糸を一定の長さまで伸ばして強度を測定し、単位断面積あたりの強さを比較すると、クモの約2.5倍。命綱としては充分だろう。
ミノムシはミノガの幼虫だが、成虫となって飛んでいるのをぼくたちが目にするのはオスだけ。メスには羽がなかったり、ときには脚さえないものもいる。じっとミノの中で、あるいはせいぜいミノのすぐ側でオスが来るのを待ち、交尾をするとミノの中に産卵する。あとはひからびてミノから落ちていく。1年だけの、ミノのまわりの一生。
こんな生態を知ると、ふと個体は自らのコピーを増やそうとする遺伝子の乗り物に過ぎないという言葉を思い出す。もっとも、その点では人間も大差ないのかもしれない。ただ、人間はこうしてコラムを書いたり、文化を生み出したりする存在ではある。せめてそれが、ミノムシの糸以上に強く、ミノに負けないぬくもりのあることを願う。
ミノムシは、自然観察の絶好の対象でもありますね。そんな案内も含め。「インターネット版【なるほどの森】Vol.25」「ミノムシ」「ミノムシはどうやってみのをつくるの?」「消えた!?秋のミノムシ」をどうぞ。あと、直接は関係ないけど、「日本蜘蛛学会」なんてのもあるんですね。
個体は自らのコピーを増やそうとする遺伝子の乗り物に過ぎないという言葉についてですが、具体的には、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』をお読みください。
ドーキンスは、生物は遺伝子の乗り物にすぎないといっていますが、同時に人間だけは「利己的な遺伝子」の支配を受けないともいってます。その理由としてミームなる文化的遺伝子とでもいうべきものの存在を指摘しています。もっとも、ミームは動物にもあるような気がします。ちなみに、最新作の『虹の解体』もおもしろいですよ。
ありがとうございます。そうですね、ミーム。それもふまえてコラムの締めとさせていただきました。『虹の解体』、いま読んでいます。機会があれば、またコラムでも紹介してみたいと考えています。
いつも、楽しく読んで賢くさせてもらってます。いつも最後の言葉が沁み込むんですが、今回は殊に効きました。そんな訳でメールさせてもらったんですが、ありきたりですが、これからも頑張って下さい。毎回楽しみにしてます。