ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

ナポリタン

2001年5月28日 【コラム

 待ち合わせがあるので手早くすませようということで、昼食はパスタの店に。ペペロンチーノ評論家を自称する友人はにんにくのたっぷり入ったそれを、ぼくは具にほうれん草を利用し、ポパイの名がつくその日のおすすめを注文。フォークに麺をからませつつ、ナポリタンってずっとみないな、なんてふと思う。
 子どものころ、スパゲティといえばナポリタンだった。10代も半ばを過ぎたころだったか、喫茶店でスパゲティに種類があるのを知って驚いたのだった。といっても地方都市のその喫茶店にあったのはナポリタンのほか、カルボナーラとミートソースだけだったのだけれど。
 生協の商品説明に、ナポリタン・スパゲッティが日本生まれとあって納得する。ナポリタンという語は、トマトソースがイタリアからフランスにわたったのち、トマトソースを応用した料理をナポリタンと呼ぶようになったのが起源という。ナポリタン・スパゲッティはナポリに行っても食べられないのだ。本場の味を追求するパスタ専門店にナポリタンがなくてもしかたない。
 考えてみれば、パスタという語も新しい。日本では昭和40(1965)年頃からようやく使われ始めた。それまでは「マカロニ」と呼ばれており、パスタメーカーが加盟する社団法人の名も全日本マカロニ協会だ。
 そのマカロニ、もっとも古い史料として残るのは、1279年、ジェノバの公証人が作成した財産目録に「マカロニ一杯の樽」と記述されているものという。パスタはマルコ・ポーロが中国から持ち込んだという説も伝わるが、彼が中国から帰国したのは1295年。とすると史料のほうが古く、少なくとも彼が持ち帰ったのがパスタの始まりということはない。
 家族と出かけた近くのレストランでお子様ランチを頼む。ハンバーグやエビフライ、その横に、赤い麺。まぎれもない、ぼくにとっての「ナポリタン」。案外、子どもにとってのパスタはじめは、いまもナポリタンなのかもしれないな。


4 comments to...
“ナポリタン”
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小橋昭彦

パスタについては「全日本マカロニ協会」へ。「製粉振興会」「こむぎの図書館」もどうぞ。ほか、「男は黙ってパスタを食う」「麺のはなし」も参考になります。


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Yan

名古屋には,「あんかけスパ」なる独特の食べ物が存在します。
これがパスタを名乗ることが許されるのか,という食感で,ぜひとも
イタリア人に食べてもらって,感想を聞きたいものです。

愛知県にはほかにも,ステーキ用の鉄板皿に溶いた卵を引き,ナポリタンを
乗せて焼く,という独特のメニューがあります。
マウンテンの抹茶スパが有名なようですが,あれはあの店だけで,ポピュラー
な食べ物ではありません。

あんかけスパについてはこちら。
http://www.grappee.com/recipe/tokai/mise/ankake.html
http://member.nifty.ne.jp/nagomen/ankakespa/main.htm


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不良中年

初めて食べたスパゲティは、やっぱりナポリタンだったように記憶してます。ケチャップ味で、今はほとんど見かけない赤いウインナの輪切りと、玉ねぎ・ピーマンが入って、それはきれいな色でしたね。
中学生になったころはミートソースが広まって、駅の軽食スタンドでもナポリタンの地位を奪ってました。
やっぱ「肉」はウインナに勝るのでしょうか。

それにしてもスパゲティの店はなぜか紅白格子柄のテーブルクロスですな。


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コマ

ナポリタンはいつのまにかお店から姿を消していました。
小学校の給食でも人気メニューでした。
代わりに、食べたくなったときには自分で作っています。
ちょうど昨日ナポリタンを食べたところにこの雑学。
びっくりしました。




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 もう四半世紀あまり前の話。しばを置いていた屋根裏から、じっとぼくたちを見おろすものがいた。最初に見つけたのはぼくだったかもしれない。天井に一間ほどの口があいており、土間からはしごをさしかければ屋根裏に上がれるようになっている、その暗い空間に光がふたつ。 イタチかタヌキかと騒ぐ家族をよそに、闇から悠然とこちらを見ている。フクロウだった。しばらくの間、フクロウはそこで生活をしていたようだ。子どもを育てていたような気配もあったが、あえて調べることもせず、そっと同居を続けた。いつしか鳴き声もしなくなり、フクロウは旅立っていた。 ヨーロッパ最初の貨幣といわれる古代ギリシア貨幣。そのドラクマ銀貨は、両面に図像を刻印した最初の貨幣として知られる。裏面に描かれているのはフクロウとオリーブだ。世界にはフクロウを凶鳥とする文化と吉鳥とする文化があるが、古代ギリシアでは女神アテネの鳥として信仰されていた。フクロウは南極をのぞくほとんどの地域に棲息している。人間とは長いつきあい。 フクロウの視線があれほど印象的なのは、その円盤状の顔を集音器として利用し、音でもまた世界を見ているからかもしれない。つまりは顔全体でこちらの情報を集めている。 そんな視線をずらすこともある。危険に出会ったとき、頭を回転させたりお辞儀をしたりするのだ。すこし視点をずらして広い視野と遠近感をとりもどそうとする知恵だとか。 ぼくは今でも、ときにあのフクロウに見つめられている気がすることがある。心の底からぼくを見つめるふたつの光。そんなとき、ぼくは頭をふり、空を見上げ、大地を見おろしてみる。そして、ふっと広い世界に気づき、自分の小ささを思い出す。

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