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ちょっと知的な雑学&トリビア

フクロウの視線

2001年5月23日 【コラム
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 もう四半世紀あまり前の話。しばを置いていた屋根裏から、じっとぼくたちを見おろすものがいた。最初に見つけたのはぼくだったかもしれない。天井に一間ほどの口があいており、土間からはしごをさしかければ屋根裏に上がれるようになっている、その暗い空間に光がふたつ。
 イタチかタヌキかと騒ぐ家族をよそに、闇から悠然とこちらを見ている。フクロウだった。しばらくの間、フクロウはそこで生活をしていたようだ。子どもを育てていたような気配もあったが、あえて調べることもせず、そっと同居を続けた。いつしか鳴き声もしなくなり、フクロウは旅立っていた。
 ヨーロッパ最初の貨幣といわれる古代ギリシア貨幣。そのドラクマ銀貨は、両面に図像を刻印した最初の貨幣として知られる。裏面に描かれているのはフクロウとオリーブだ。世界にはフクロウを凶鳥とする文化と吉鳥とする文化があるが、古代ギリシアでは女神アテネの鳥として信仰されていた。フクロウは南極をのぞくほとんどの地域に棲息している。人間とは長いつきあい。
 フクロウの視線があれほど印象的なのは、その円盤状の顔を集音器として利用し、音でもまた世界を見ているからかもしれない。つまりは顔全体でこちらの情報を集めている。
 そんな視線をずらすこともある。危険に出会ったとき、頭を回転させたりお辞儀をしたりするのだ。すこし視点をずらして広い視野と遠近感をとりもどそうとする知恵だとか。
 ぼくは今でも、ときにあのフクロウに見つめられている気がすることがある。心の底からぼくを見つめるふたつの光。そんなとき、ぼくは頭をふり、空を見上げ、大地を見おろしてみる。そして、ふっと広い世界に気づき、自分の小ささを思い出す。

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One comment to...
“フクロウの視線”
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小橋昭彦

フクロウについて。けっこう数多くのサイトがあるんですね。意外でした。「フクロウ」「The Owl” s Bar」「ようこそ!!シマフクロウのページへ。」「フクロウフォトギャラリー」「The Owl Pages」など。




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 ホタルの季節が近づいてきた。闇に浮かぶちいさな光を求めて、野草をかきわけた幼い日。 ホタルの光は、ルシフェリンという発光物質が、ルシフェラーゼと名づけられた酵素のはたらきで酸化することによっている。つまり燃焼作用なのだけれど、一般の火と違ってホタルのそれは熱くならない。酸化で発生するエネルギーのほとんどを光とし、熱として放出しないからだ。光への変換効率は90%以上だとか。冷たい火と呼ばれるゆえん。 発光原理は違うけれど、同じくエネルギーから光をつくりだす蛍光灯では、変換効率はせいぜい20%というところ。ホタルの光がいかに効率いいかがわかる。照明器具会社のなかには、ホタルの仕組みをいかした光源開発に取り組んでいるところもある。 夏の虫といえばハエもそうだけれど、これまた驚異のメカニズムを持つ。視覚だ。8つの視細胞からなる個眼を約6000持ち、ほぼ360度の視野を確保する。その情報処理方法を知ることで人工視覚の開発につなげようという研究もまた、進んでいる。 身近な、小さな生命にも、学ぶべきところがまだ多く残されている。ホタルの光、トンボの複眼、あるいはカブトムシの力。少年の日追い求めた世の中の驚きたち。いや、見方さえ間違わなければ、ぼくたちはまだ、それを見つけることができる。

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 待ち合わせがあるので手早くすませようということで、昼食はパスタの店に。ペペロンチーノ評論家を自称する友人はにんにくのたっぷり入ったそれを、ぼくは具にほうれん草を利用し、ポパイの名がつくその日のおすすめを注文。フォークに麺をからませつつ、ナポリタンってずっとみないな、なんてふと思う。 子どものころ、スパゲティといえばナポリタンだった。10代も半ばを過ぎたころだったか、喫茶店でスパゲティに種類があるのを知って驚いたのだった。といっても地方都市のその喫茶店にあったのはナポリタンのほか、カルボナーラとミートソースだけだったのだけれど。 生協の商品説明に、ナポリタン・スパゲッティが日本生まれとあって納得する。ナポリタンという語は、トマトソースがイタリアからフランスにわたったのち、トマトソースを応用した料理をナポリタンと呼ぶようになったのが起源という。ナポリタン・スパゲッティはナポリに行っても食べられないのだ。本場の味を追求するパスタ専門店にナポリタンがなくてもしかたない。 考えてみれば、パスタという語も新しい。日本では昭和40(1965)年頃からようやく使われ始めた。それまでは「マカロニ」と呼ばれており、パスタメーカーが加盟する社団法人の名も全日本マカロニ協会だ。 そのマカロニ、もっとも古い史料として残るのは、1279年、ジェノバの公証人が作成した財産目録に「マカロニ一杯の樽」と記述されているものという。パスタはマルコ・ポーロが中国から持ち込んだという説も伝わるが、彼が中国から帰国したのは1295年。とすると史料のほうが古く、少なくとも彼が持ち帰ったのがパスタの始まりということはない。 家族と出かけた近くのレストランでお子様ランチを頼む。ハンバーグやエビフライ、その横に、赤い麺。まぎれもない、ぼくにとっての「ナポリタン」。案外、子どもにとってのパスタはじめは、いまもナポリタンなのかもしれないな。

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