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ちょっと知的な雑学&トリビア

屋根裏の博物館

2001年4月20日 【コラム
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 民具。ぼくたちが生活の必要から製作したり使用したりしている品々のことをいう。衣食住に使うものから仕事に使うもの、儀礼に関するものなど、その幅は広い。
 身近なものだけに見過ごされがちだけれど、時代を経るとその身近なものが忘れ去られてしまうことは多い。後世から見ると何に使ったかわからないものも。
 たとえば片手を広げたくらいの四角い布に紐が二本ついたもの。「めすだれ」という。眼のすだれ、つまり今のサングラス。あるいは生活必需品だった「捨て木」。単なる棒切れだけれど、かつてはこれで用便後の始末をしていた。マリー・アントワネットがいまの規格を広めたといわれるハンカチーフ。米国ではティッシュの登場以後、使われることが少なくなっている。このぶんではハンカチもまた遺物になるかもしれない。
 学生時代から民具の収集を趣味とし、日本の民族学の父ともいわれるのが渋沢敬三。友人たちと集めた収集品を屋根裏部屋に保存していたところから「アチック・ミューゼアム」と名づけられたそのコレクションは、後に国立民族博物館誕生の礎ともなっている。
 じつは渋沢は日銀総裁や蔵相もつとめた財界人。しかし、当時最先端で高価な技術だったX線でわら草履を調べて編み方の違いを発見するなど、おおくの私財を研究に捧げもし、生活への視点、学術への興味をたいせつにしていた。
 ただ経済人というだけではなく、文化人でもあるということ。ぼくたちは、それぞれのアチックを持っているだろうか。

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5 comments to...
“屋根裏の博物館”
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小橋

アチック・ミューゼウムについては、民博の「大正昭和 くらしの博物館:アチック・ミューゼアム・コレクション」をどうぞ。参考書として『日用品の文化誌』なんてのもどうでしょうか。


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harlly

 最近は民具や行事などを研究する分野は「民族学」とは呼ばず「民俗学」と呼ぶようですが、いかが。

 わらで縄をなうことからわらじ作りを、娘たちが通っていた小学校では近所の老人にお願いして教えていただくことを続けていました。今も続いているのか、このコラムを読みちょっと気になります。


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小橋

確かに「民俗」って最近よく目にしますね。コラムでは、国立民族学博物館(すみません、「学」がぬけていました)へのつながりから、「民族」にしています。
あと、辞書的には、「民俗学」のほうは、モノではなく、伝承が研究の主体、ということになっていますので。


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匿名

何人かの方からメールでもいただきましたが、「民族」と「民俗」。モノとココロが不可分のものである以上、両者が融合するのは自然な流れのようにも思えます。現場では実際のところどうなのでしょうか。
ただ、すくなくとも学会は「日本民族学会」「日本民俗学会」とあるようですし、民族学の父は渋沢敬三としても、民俗学の父といえば、やはり柳田国男じゃないかと。いっしょにするのは無理があるかと判断したのです。
いかがなものでしょう。


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あひる

いやん




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 いま、地震がおこったと想像してみてほしい。3秒後、なにが起こるだろうか。何か落ちてくるとか、倒れるとか。では10秒後はどうだろう。30秒後は、1分後は、30分後は。 こうして、災害後のシミュレーションを、時間を追ってしてみてほしい。スタートとなる時間にも、就寝中や出勤中、食事中などバリエーションをつけて。 さて、ここで質問。いまあなたがたてたシナリオに、自分自身が腕や足をいため、弱者の立場になることは含まれていただろうか、さらには死亡する可能性は。 たいていの場合、こういうシナリオを考えるとき、ひとは「自分だけは大丈夫」と考える。社会心理学でいう、「正常化の偏見」だ。災害対策を考えるとき、シミュレーションの段階でこの正常化の偏見をのぞくことが、危機対応力の向上に欠かせない。 とはいえ、たとえおおきな災害があったのちでも、長期的に見れば対策を立てる人の割合はあまり変わらない。人間って、そういうものらしい。ポジティブというのか、能天気というのか知らないけれど。 団地の直下の家からの類焼で焼け出されたのが1月のこと。目の前にある携帯電話や財布さえ持ち出せず、自分があまり多くできると考えず、せいぜい「いち、に、さん」くらいで練習しなくちゃ、と痛感した。それなのにはや、非常時の備えは、日常の中で忘れつつある。 いっしょに逃げ出した隣の女の子も、「ケータイ持ってきたらよかった」と炎と煙をあげる団地を見上げながらつぶやいていた。そう、すぐ身近なものさえ持ち出せない。自分だけは、のもろさ。彼女の声がいまも耳に残る。

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 サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」をよく聴いていた時期があった。小さな、だけど本人にとっては大きな悩みを抱いていた中学生時代。当時、ぼくはどこに向けて橋をかけたかったのだろう。そして今、ぼくは向こう岸にたどり着いているのだろうか。 橋は、人間にとって有史以前からのつきあいだ。倒木を利用していたのが桁橋になり、木のつるを利用していたのがつり橋になり。自然発生的な橋が起源となって人工の橋が生まれたものと想像されている。 古代メソポタミアには石のアーチ橋があったとされるし、古代中国にはつり橋があったと伝わっている。橋の歴史がひとつの頂点に達したのは、おそらくはローマ帝国時代。石造アーチの水道橋の美しさ、頑強さ。そういえばローマ教皇は正式名でPontifex maximusというけれど、Pontifexとは橋をかける人の意。古代ローマにおいて、いかに橋が重要な位置を占めていたかがしのばれる。 桁橋やつり橋だけではなく、浮橋やアーチ橋など、橋にはさまざまな構造があり、それぞれが美しい。本州と四国をつなぐ連絡橋は、斜張橋、つり橋、アーチ橋、桁橋、トラス橋など場所に応じて各種のタイプが見られることでも有名だ。 この場所から、流れの向こうのあの場所へ。生きている中で、人はいつも、小さな橋をかけつづけているのではあるのだろう。

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