ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

正常化の偏見

2001年4月19日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 いま、地震がおこったと想像してみてほしい。3秒後、なにが起こるだろうか。何か落ちてくるとか、倒れるとか。では10秒後はどうだろう。30秒後は、1分後は、30分後は。
 こうして、災害後のシミュレーションを、時間を追ってしてみてほしい。スタートとなる時間にも、就寝中や出勤中、食事中などバリエーションをつけて。
 さて、ここで質問。いまあなたがたてたシナリオに、自分自身が腕や足をいため、弱者の立場になることは含まれていただろうか、さらには死亡する可能性は。
 たいていの場合、こういうシナリオを考えるとき、ひとは「自分だけは大丈夫」と考える。社会心理学でいう、「正常化の偏見」だ。災害対策を考えるとき、シミュレーションの段階でこの正常化の偏見をのぞくことが、危機対応力の向上に欠かせない。
 とはいえ、たとえおおきな災害があったのちでも、長期的に見れば対策を立てる人の割合はあまり変わらない。人間って、そういうものらしい。ポジティブというのか、能天気というのか知らないけれど。
 団地の直下の家からの類焼で焼け出されたのが1月のこと。目の前にある携帯電話や財布さえ持ち出せず、自分があまり多くできると考えず、せいぜい「いち、に、さん」くらいで練習しなくちゃ、と痛感した。それなのにはや、非常時の備えは、日常の中で忘れつつある。
 いっしょに逃げ出した隣の女の子も、「ケータイ持ってきたらよかった」と炎と煙をあげる団地を見上げながらつぶやいていた。そう、すぐ身近なものさえ持ち出せない。自分だけは、のもろさ。彼女の声がいまも耳に残る。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

One comment to...
“正常化の偏見”
Avatar
小橋

災害対策については、「日本自然災害学会」「社会情報研究所」「日本社会情報学会」「雨量に基づく土砂災害危険予測システムの研究開発報告書」「片田研究室」「目黒研究室」などを。また災害時のシミュレーションについて、より詳しくは3月21日付朝日新聞を。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 税関で差し止められる偽ブランド商品は毎年100万点前後。よこしまな商人はあとをたたない。そんなこともあって、「偽」にはよいイメージが無い。 仏教に偽経、というジャンルが知られている。中国へ仏教が伝来してさほどない時期に作成された経典。インド仏教の原典からの翻訳ではなく、中国製だ。そういう意味で「ニセモノ」とされている。 ただ、偽経が庶民に何ももたらさなかったかというと、そんなことはない。たとえば「三途の川」。この考え方を広めた「地蔵十王経」は偽経だ。あるいは「お盆」。サンスクリット語で「さかさまにつるされた苦しみ」を意味する「ウランバナ」が語源で、その苦しみから救うために先祖供養する、というところからきているとされている。その典拠となった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」も偽経だとか。仏教が庶民に浸透していくのに、偽経の役割はむしろ大きかった様子。 見方を変えれば、『般若心経』など大乗仏教の経典にしたところで、ブッダの滅後数百年、新しい解釈のもとで書かれたもの。それだって「ニセモノ」といえなくはない。いや、それを言い始めたら、ブッダ自身の手にならないすべての経典もまた。 車が好きなうちの息子。いつもおもちゃを片手に、ブロックで作った道の上をぶーんと走らせている。小さな、ときには壊れてもいるおもちゃだけれど、その瞬間、彼は確かにホンモノの喜びとときめきを感じている。 ニセモノってなんだろう?

前の記事

 民具。ぼくたちが生活の必要から製作したり使用したりしている品々のことをいう。衣食住に使うものから仕事に使うもの、儀礼に関するものなど、その幅は広い。 身近なものだけに見過ごされがちだけれど、時代を経るとその身近なものが忘れ去られてしまうことは多い。後世から見ると何に使ったかわからないものも。 たとえば片手を広げたくらいの四角い布に紐が二本ついたもの。「めすだれ」という。眼のすだれ、つまり今のサングラス。あるいは生活必需品だった「捨て木」。単なる棒切れだけれど、かつてはこれで用便後の始末をしていた。マリー・アントワネットがいまの規格を広めたといわれるハンカチーフ。米国ではティッシュの登場以後、使われることが少なくなっている。このぶんではハンカチもまた遺物になるかもしれない。 学生時代から民具の収集を趣味とし、日本の民族学の父ともいわれるのが渋沢敬三。友人たちと集めた収集品を屋根裏部屋に保存していたところから「アチック・ミューゼアム」と名づけられたそのコレクションは、後に国立民族博物館誕生の礎ともなっている。 じつは渋沢は日銀総裁や蔵相もつとめた財界人。しかし、当時最先端で高価な技術だったX線でわら草履を調べて編み方の違いを発見するなど、おおくの私財を研究に捧げもし、生活への視点、学術への興味をたいせつにしていた。 ただ経済人というだけではなく、文化人でもあるということ。ぼくたちは、それぞれのアチックを持っているだろうか。

次の記事