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ちょっと知的な雑学&トリビア

Fのパターンで瞬時にウェブページを判断

2006年5月03日 【雑学なメモ
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Eyetracking visualizations show that users often read Web pages in an F-shaped pattern: two horizontal stripes followed by a vertical stripe.

人は、数秒でページの内容を判断する。そのときの目はFの字にページを追っている。

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 手品に詳しくないぼくでも、フーディーニの名は知っている。脱出術で人気を得た、20世紀前半のマジシャン。その芸名のもとになったのが、近代マジックの父ロベールウーダンだ。彼らが活躍した19世紀から20世紀にかけては、近代マジックの黄金時代。当時の軌跡を描いた『ゾウを消せ』を読んでいて、あらためて感じることがあった。
 著者のジム・ステインメイヤーがマジックの奥義について「はじめに」で書いている。「最終的な答えはある意味で科学にあり、ある意味では芸人魂にある」と。科学と、マジック。ちょうど別の機会に、クラークの第三法則を引用しつつ、科学心を養うことについて考えたところだった。いわく「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」。科学と、魔法の境界。
 本書によれば、19世紀に人気を得たマジックショーの主催は、ロンドン工芸大学だったという。科学技術に親しんでもらうために開催されたのだ。ステージ上に美女が浮かんだり、消えたり、今ではイリュージョンと言われる大技の数々のタネを明かす、というよりもタネが生まれる過程を描くことで、『ゾウを消せ』は、科学から魔法を生むマジシャンの「芸人魂」を浮き彫りにする。
 考えてみれば、手品あるいはイリュージョンはユニークな位置にある。クラークも言うように、科学技術も発達しすぎると、魔法になる。魔法になってしまうと、誰もタネあかしを求めははしない。テレビに映像が映ろうと、魔法の杖で子猫がお姫様になろうと、「そういうもの」ですぎていく。発達しすぎた人工物に囲まれていると、身の回りは「そういうもの」ばかりになる。だけど手品は、魔法になりきれない。
 それでいいのだと思う。「そういうもの」で構成された日常より、地域のマジックショーで、タネがあったら見破ってやろうとばかり舞台にへばりつく子どもたちが愛しい。そこには、自分を取り囲む世界に対する、より正しい態度があるような気がする。

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