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ちょっと知的な雑学&トリビア

地球外文明との交信

2005年1月27日 【コラム
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 土星の衛星タイタンから送られてきた画像に、なぜか懐かしさを感じていた。海のような暗い部分と、渓谷のような筋。零下200度の世界では、海があるとしても水ではなくメタンの海だろう。それでも違った形の生命が存在しないかと、夢を抱く。その夢を、土星探査機カッシーニが中継して、地球に送ってくれる。光速で80分。ブロードバンドとはいかない、ISDN並と考えておけばいいようだ。
 幸い土星からの画像はくっきりしていたけれど、仮にこれが何光年も離れた地球外文明との交信なら、宇宙線や散乱の悪影響を受ける。エネルギー効率を考えるなら、瓶に手紙を入れて届けた方がいいらしい。この試算結果が掲載されている科学誌の表紙には、金盤の写真が載っている。外惑星探査機ボイジャーに積まれた、地球人からのメッセージを刻んだ円盤だ。今頃は太陽系の端を星の海原に向っている。原始的なようだけれど、その方法が案外正しかったのだと。
 ちなみに、電波による地球外文明との交信を科学的に呼びかけたのは、物理学者ココーニとモリソンによる1959年の論文だ。それ以前は、たとえばエジソンの弟子、というよりエジソンに抗して交流を主張しライバルとなったニコラ・テスラなどが火星からの信号受信を模索してもいたが、まじめにはとりあげられなかった。
 タイタンに降下する探査機が拾った音声を聞く。大気を切るような音に耳を澄ましつつ、それが異星をわたる風で、地表の草原をなびかせていたならと想像する。たとえそこに文明がなくとも、その光景にどんなに勇気付けられるだろう。いつかそんな光景に出会うことを、瓶に入れた手紙が地球の浜辺に流れ着くことを、夢見ている。
 地球外文明との交信について、ココーニらの論文は、こんな言葉で結ばれている。成功の確率を見積もることは難しい、しかし探さなければそれはゼロなのだ、と。ゼロではない、夢を追うとはそういうことなんだな。

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3 comments to...
“地球外文明との交信”
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小橋昭彦

探査機カッシーニとホイヘンスについては「ESA – Cassini-Huygens」「NASA – Cassini-Huygens」からどうぞ。日本語では「カッシーニ探査機による土星探査」がおすすめ。

地球外生命の存在確率については、以前のコラム「どこかで、だれかが [2002.06.27]」を参照ください。ボトルに入れた手紙の方が交信の効率がよい、という論文は、「Inscribed matter as an energy-efficient means of communication with an extraterrestrial civilization(Nature 431 47 – 49 (02 September 2004))」がそれで、「CHRISTOPHER ROSE博士」のサイトからダウンロードできます。

ココーニらの論文は、「SEARCHING FOR INTERSTELLAR COMMUNICATIONS」でどうぞ。


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トクツトミオ

今回も結構、熱つ目のメッセージですね、私は最近「シュレジンガーの猫のパラドックス」を題材に映画「世界の中心」の死んだアキをオーストラリアの大地を渡る赤い大地の風に弔った物語を映画評として書きました。「何か感じることが共通なイメージ」でした。


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しゃあ 

面白いですね。 昔は 真面目に相手にされなかった地球外文明との交信のために 莫大な予算と労力をつぎ込んで ボイジャーを飛ばしたわけですか。
 ビンにメッセージを入れて宇宙に流したからには 「お返事」を期待しているのでしょうか。 人類には準備は出来ているのでしょうか。
 !) 「いつか あるかも知れない でも きっと無いと思う」なんて 日本の自衛官みたいなコメントしか用意出来ない。
 !) 白ヤギさん 黒ヤギさん状態で「お返事」に気付いていない。
のどちらか なんて言うのではチト情けない。
でも 何らかの「お返事」に右往左往の大興奮も 味わって見たいです。ちょっと ムシが良すぎるかな?




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 怒りを溜め込んでいると、キレるリスクが高まると信じられている。それにどう対処するか。ちょっと軽いけれど、昨年流行ったフレーズで表現するなら、こんなところか。 暴力的な気持ちになったなら、パンチングバッグでも叩いて発散させれば、カタルシスが得られてすっきりするって、言うじゃない。でも、実証研究からは、カタルシス効果って認められていないんだよね。残念。それどころか、むしろ攻撃性を高めるんだって。斬り。 米国の研究者らが、被験者に怒りの感情を抱かせて、その後どういう行動をとるかを実験した。カタルシス効果を信じている被験者は、リラクゼーションなど反カタルシス効果を信じる被験者より、攻撃的な行動を選ぶ率が高い。しかもその攻撃性は、怒りの原因となる相手に対してであろうと、それ以外の人に対してであろうと、変わりなかったという。 研究者らはさらに、パンチングバッグを叩くことを楽しんだ被験者は、より攻撃的になる傾向が見られたという。気持ちをすっきりさせると信じてとった行動が、攻撃性を高めている。その理由は、プライミング効果といった心理面からも説明できるけれど、オランダとハンガリーの研究者らが最近行った研究は、ホルモンという視点から裏付けている。 彼らが行ったのはネズミによる実験。暴力をつかさどる神経経路を刺激すると、ストレスホルモンに対する反応が高まる。次にストレスホルモンを投与すると、行動が攻撃的になる。つまり、暴力的な行動がストレスホルモンを増やし、増えたストレスホルモンがいっそう攻撃性を高めるという、悪循環が芽生えているのだ。 何かに腹が立ったとき、パンチングバッグに怒りをぶつけたり、バイオレンス映画に我を忘れるのは、ある意味でたやすい。それをカタルシスと理屈づけて逃げるのではなく、怒りに向かい合い、それでもなおかつ心をリラックスさせる困難な道を、ぼくたちは選ぶべきということなのだろう。

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 人類と文化の関係を考えるとき、転機となる4つの事件があったという。ひとつ目は約250万年前で、猿人から原人へ進化し、脳の大きさが2倍になったとき。人類は剥片石器を使うようになっている。遺伝子調査の結果からは、アゴの筋肉を作る働きが弱くなり、脳が大型化するのを可能にしたのではないかという説が出されている。 二番目は約170万年前で、人間らしいプロポーションを獲得するとともに、ハンドアックスと呼ばれる洗練された石器を使うようになった。三番目は約60万年前で、脳容量が急速に拡大しはじめた時期だ。そして四番目が、5万年前。これ以降文化が爆発的に花開く。5万年前の壁とも、文化のビックバンとも呼ばれる事件だ。 何が文化の曙を生んだのか。脳容量という点では、たとえばネアンデルタールの平均は現生人類より大きく、それが直接文化に結びついたのではない。書籍『5万年前に人類に何が起きたか?』では、遺伝子変異によって言語を操る能力を得たことが原因ではないかと推論している。芸術品に見られる抽象的思考には、言語が欠かせない。 ただし、最近になって発見された遺跡は、5万年前の壁は無かったかもしれないことを示してもいる。たとえば南アフリカのブロンボス洞窟から発掘された、巻貝製のビーズの首飾り。およそ7万5000年前の芸術作品だ。これを作ったのがどんな種の人類だったか、まだわからない。しかしアフリカでは、ホモ・サピエンス・イダルツと名づけられた、16万年前の人骨が見つかっている。ネアンデルタールと違う、現生人類に近い姿。その喉元や脳頭蓋の配置は、言葉を獲得していたとしてもおかしくないという。 5万年前の壁はあったのか。それともぼくたちホモ・サピエンス・サピエンスは、20万年前からゆっくり文化を磨いていたのか。ともあれそこには、この言葉が少なからぬ役割を果たしている。

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