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ちょっと知的な雑学&トリビア

二足歩行

2003年9月25日 【コラム
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 なぜ、ぼくたちは二足で歩くのだろう。手を大地から離し、直立したきっかけは何だったのか。二足歩行はヒトを定義する重要な要素だけれど、この根本的な問いに対して、いまだ定まった説明はない。
 大地溝ができて東側がサバンナになり、ヒトを森から切り離し直立させたというイーストサイド物語は、東側以外からの化石発見で揺らいでいる。草原に要因を求める説には、ほかに森の端から草原へ死肉をあさりに行くときに直立したとする説、遠くの敵を見つけるために視線を高くしたという説、立つことで熱い地表から大脳を離してクールダウンしたという説などがある。
 食行動に注目した説では、チンパンジーが木の実をとるときに立つように、初期のヒトも立って頭上の枝に手を伸ばしたとする説や、小さな木の実などの食料をえり分けるときに手が必要だったという説がある。日本の島泰三博士は、手と口が連合して進化してきたとして、初期のヒトは骨髄を食べており、骨を割る石を持ち運ぶために二足歩行したとする新説を唱えている。
 まったく違った視点としては、人類は一時水辺で進化し、子どもを抱えるなどして水中を歩くために直立したとするアクア説がある。このところ有力なのはオーウェン・ラブジョイ博士による繁殖戦略仮説だろうか。両手でたくさんの食料を持ち帰れるオスがいた夫婦の方が子孫を残すのに有利だった、だから二足歩行にむいた骨盤を持つ子孫が生き残ってきたという説。
 いま最古のヒトの足跡化石として知られるのは、約360万年前のアウストラロピテクスのもの。現代人を含むホモ属として最古といえば、イタリアで見つかった足跡が知られている。滑りやすい斜面についた3本の歩行跡。途中で急斜面を迂回したり、足を滑らせて手をついた跡もある。はじまりはともあれ、こうしてぼくたちは、ずっと迷ったりこけたりもしつつ、現代まで歩いてきたのだ。

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4 comments to...
“二足歩行”
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小橋昭彦

日本語の文献では「人類の起源と系譜」に多少まとまっています。情報が充実しているのは、英語にはなりますが、「The Origin of Bipedalism」「Bipedal Hominids」に概要が詳しいです。アクア説を紹介する「AAT Bit」にも、それ以外の説の解説が含まれます。「Owen Lovejoy」博士関係では「The Making of Mankind: One Small Step」もどうぞ。島泰三氏による著書『親指はなぜ太いのか』は話題です。さて、足跡化石関係では、最古の足跡は「Mary Leakey」博士が発見した「Laetoli: Footprints In the Past」で、すでに亡くなられていますが、「The Leakey Foundation」という財団が設立されています。最近、保存のため掘り返されました。「The Footprints of Laetoli」にレポート。なお、ホモ属として最古の足跡は「Paolo Mietto」博士による今年の発見で、「Human footprints in Pleistocene volcanic ash(Nature 422 133 (13 March 2003))」として報告されています。


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鈴木 光雄

拝啓
いつも楽しく読まさせています。
2足歩行に関しては当方もたいへん興味があります。
私は歯科医師ですが、2足歩行と歯は密接な関係があります。人たる由縁の2足歩行は、両手の自由と呼気を使用しての発音と、舌骨の下方の位置関係や喉頭蓋と軟口蓋のスペースの広さからかなり不雑な言語がしゃべれるようになりました。そのために社会がでてきて理性脳の大脳新皮質が発達してきました。しかしそのために理性脳と情動脳でかなりの葛藤が生じてストレスを生むことになってきました。そしてこのストレス無意識下で発散する手法として人類は歯軋りを選択しました。しかし健全な歯列では問題が無いですが、現代の軟食では正常に歯が生えなくて歯列不正が生じました。この歯列不正に歯軋りが加われとどうなるか?つまり集中的に1点に応力が加わり歯が、動揺したり割れたりひびがはいたりします。このための歯槽膿漏や虫歯が生じるのです。
 今まで医学としての歯科が、一生懸命努力しても相変わらず虫歯と歯槽膿漏の治療に明け暮れるのは、この人類学的な考察に欠けていたからではないでしょうか?
こんなことを歯科医の立場から述べさせていただきました。ご参考になれば幸いです。

    デンタル デザイン クリニック
       鈴木 光雄


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一般的美容師

二足歩行について着眼点が面白く思います。人間は二足歩行になったから胃下垂になったと聞いたことがありますし腰痛にもなると聞きます。仕事上今腰痛に悩まされています。腰痛についての雑学を取り上げて頂くと嬉しく思います。


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rnakaji

かつて直立2足歩行は人類の進化の結果であって、S字脊椎を持たない他の類人猿にはできないと言われていたらしい。でもウオークマンを聞くチョロ松を見て、訓練すればニホンザルでも直立できる構造になっていることが明確に示された。猿は原猿類から体は起きており、直立はそのバラエティの1つなのかもしれないですね。




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 世界のミイラ学者が集って3年に1度開催されている「ミイラ会議」。第1回はカナリア諸島で行われ、以降コロンビア、チリ、グリーンランドと開催を重ね、2004年の第5回はイタリアで予定されている。いずれの開催地もミイラに関係の深い土地で、ミイラがエジプトだけのものでないことを示している。乾燥や泥地が偶然ミイラを残すことも多い。 世界ではいったい何千体、いや何万体のミイラがあることだろう。それらをなぜ、人は作ってきたのか。エジプトの王たちは再生を夢見ていた。中世においては聖人の遺骸が信仰のしるしとなった。南米のチンチョーロ人たちは母親の悲しみを閉じるように、何体もの子どものミイラを残した。現代ではレーニンなど権力者の遺骸が保存され、一方で冷凍保存がビジネスになる。 多くの場合、なんらかの思いが込められたであろうミイラが、一時はすりつぶされ、妙薬として、あるいは絵具として使われていたことには驚かされる。日本語のミイラだって、ポルトガル語の没薬ミルラが語源。エジプトを訪れたナポレオンは、遊び好きの妻のためにミイラの頭を持ち帰ったともいう。ミイラがある種の資源や工芸品的にとらえられていた時代があったのだ。 ネムリユスリカという「ミイラ」昆虫がいる。環境が乾燥状態になるとトレハロースを爆発的に合成して体内を水あめ漬のようにして、ミイラ状態になる。そのまま10年以上経った後でも、水を与えれば復活する。この昆虫と同じ情報伝達系を人間も持っているというから、研究が進めば、乾燥保存して水で戻す人間ができないとも限らない。 そのとき人は、ミイラになることを夢見るだろうか。そう思い、ふと、村上春樹氏の『海辺のカフカ』を思い出す。物語の終盤、ひとりの女性が主人公の少年に生きるように願い、こう言い添える。「あなたに私のことを覚えていてほしいの」と。そう、ぼくたちが残すべきは、ただこの肉体ではない。

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 このコラムの下調べをしつつ、何度もあくびをしてしまったことを白状する。眠る前だった昨夜はともかく、今朝はさわやか、窓も全開。あくびは集中力がない証拠、酸素不足が原因なんていう説はどうも疑わしい。事実、空気の状態を変えて行った実験によると、部屋の中の酸素濃度とあくびのしやすさは関係がないという。とするとあくびが伝染することを、部屋の空気をもとには説明できない。 ビデオであくびを見た人の4割から6割がその後にあくびをしたという結果もある。映像からもうつるというのがおもしろいところだが、さらにひとつ、確かめてほしいことがある。あくびの真似をしてほしいのだ。ただ大きく口をあけるだけではない、喉の奥まで開くつもりで、鼻の上をしわくちゃにして、目が隠れるほどに。ほら、真似だけのつもりが、ほんとのあくびになったのではないか。 米国のスティーブン・パルテック教授が、あくびがうつりやすい人とそうでない人の心理特性を比較している。その結果、あくびがうつりやすい人は、他人に感情移入しやすい性格だったという。そういえばミラーニューロンといって、他人の動きを見たり真似たりしただけで、実際に自分が動くときのように脳が活性化するという研究成果がある。他人のあくびをみて脳がそれをたどると考えれば、先ほどの真似あくびと同じように、思い入れ深く再現できる人ほど、本当のあくびになるといえそうだ。 進化という視点からは、あくびの伝染しやすい集団は協調性があるといえることが注目される。だれかがあくびをする、それにつられて別のだれかもあくびをする、と誰かが「そろそろ休もう」と言う。休憩時間を合わせ、ともに活動した集団の方が、競争を勝ち抜くのに有利だったのではないかと。 そんなわけだから、もしこの小文を読んであくびが出た人がいたなら、ぼくは悲しむより、心強くとらえたいと思うのだ。世の中から思いやりが薄れていない証拠として。

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