ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

ミイラ

2003年9月22日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 世界のミイラ学者が集って3年に1度開催されている「ミイラ会議」。第1回はカナリア諸島で行われ、以降コロンビア、チリ、グリーンランドと開催を重ね、2004年の第5回はイタリアで予定されている。いずれの開催地もミイラに関係の深い土地で、ミイラがエジプトだけのものでないことを示している。乾燥や泥地が偶然ミイラを残すことも多い。
 世界ではいったい何千体、いや何万体のミイラがあることだろう。それらをなぜ、人は作ってきたのか。エジプトの王たちは再生を夢見ていた。中世においては聖人の遺骸が信仰のしるしとなった。南米のチンチョーロ人たちは母親の悲しみを閉じるように、何体もの子どものミイラを残した。現代ではレーニンなど権力者の遺骸が保存され、一方で冷凍保存がビジネスになる。
 多くの場合、なんらかの思いが込められたであろうミイラが、一時はすりつぶされ、妙薬として、あるいは絵具として使われていたことには驚かされる。日本語のミイラだって、ポルトガル語の没薬ミルラが語源。エジプトを訪れたナポレオンは、遊び好きの妻のためにミイラの頭を持ち帰ったともいう。ミイラがある種の資源や工芸品的にとらえられていた時代があったのだ。
 ネムリユスリカという「ミイラ」昆虫がいる。環境が乾燥状態になるとトレハロースを爆発的に合成して体内を水あめ漬のようにして、ミイラ状態になる。そのまま10年以上経った後でも、水を与えれば復活する。この昆虫と同じ情報伝達系を人間も持っているというから、研究が進めば、乾燥保存して水で戻す人間ができないとも限らない。
 そのとき人は、ミイラになることを夢見るだろうか。そう思い、ふと、村上春樹氏の『海辺のカフカ』を思い出す。物語の終盤、ひとりの女性が主人公の少年に生きるように願い、こう言い添える。「あなたに私のことを覚えていてほしいの」と。そう、ぼくたちが残すべきは、ただこの肉体ではない。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

5 comments to...
“ミイラ”
Avatar
小橋昭彦

まずは書籍として『ミイラはなぜ魅力的か』をおすすめ。ミイラ会議、次回トリノは「WORLD CONGRESS ON MUMMY STUDIES」でどうぞ。これまで様子は、「MARI at the Third World Congress on Mummy Studies in Arica Chile」「A Brief report on the IV World Congress on Mummy Studies」といったレポートで一端がうかがえます。また、ネムリユスリカについては「水で戻すと生き返る動物組織」「高等生物(ネムリユスリカ)の永久的休眠の誘導・維持・覚醒機構の解明とその利用」で詳しい情報が得られます。それから、村上春樹氏の『海辺のカフカ(上)』『海辺のカフカ(下)』から文中、引用しました。


Avatar
日高

小橋様いつも楽しく読ませていただいております。
ミイラといえばエジプトを思い出してしまう私なのですが、エジプトのミイラが現在数少ないのは、やはり薬などに使用していたせいでしょう。
なんかぞっとするような話です。
食べるのはともかくとして、なんだかそのうち人間フリーズドライなんていうのも本当にできたりして・・・ (お湯をかけて、3分間待つのだぞ0)
そういえば、乾季をコチコチの乾燥状態ですごして、雨季になったら水分で復活するという鯰の話を聞いたことがありますが、昆虫にもいるんですね。
(適応能力のすごさを感じます)
ミイラになりたいとは思いませんが、自分そっくりのアンドロイドなんか作ってみたいと思うのは私だけでしょうか・・・?
朝晩涼しくなってきましたが、体調を崩されることのないよう、これからも執筆活動にがんばってください。


Avatar
MAX

ミイラになりたかった人もいるでしょうが、ミイラになるつもりはなかったのに外的環境がたまたま適していてミイラになってしまった人は・・・どう思ってるんでしょうねぇ、何も考えてはいないと思いますが・・・。昔私も大英博物館展でしたっけ、ミイラを見に行ったことだけは告白します。

さてさて、ミイラというのは昔は神聖なものであり、自らミイラになるために絶食してゆるやかに死ぬという方法もあるそうな。これからフリーズドライミイラが誕生したらどうなるんだろう? 時間も、宗教も、悲しみも、商売になってしまうんだろうか? 

・・・宇宙がロマンと希望の世界からビジネスの世界に変わってきているこの21世紀。私たちはロマンをどこに求めればいいのでしょうか。


Avatar
rnakaji

日本の環境で即身仏になるのはなかなか難しいようです。土中の湿度は場合によっては骨まで溶かしてしまうようです。
即身仏は誓願にあります。誓願を達成するための手段で、ミイラになることに本来は大きな意味は無いはずですが、ミイラになったほうが誓願の永遠性が民衆に感じられるので、ミイラになる事が誓願が叶うような認識になるのでしょう。
「魂魄ここに留まりて」は死んで幽霊になるためのセリフですが、霊魂が留まっているように感じられるのでしょう。


Avatar
藤島 奈帆子

藤島と申します。初めてメールさせていただきます。

ミイラに巻いてある麻布を昔、製紙会社が買って売ったという話を聞いたのですが、今でもどこかにその紙が残っていたりするのでしょうか?
詳しいことをもしご存知であったり、詳しい方をご存知でしたら、いくつか質問をさせていただきたいのですが、教えていただけませんでしょうか?
宜しくお願い致します。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 まずは質問から。地球の円周を4万キロメートルとして、ぴったり一巻きしたロープを地上1メートルで巻きなおすなら、どのくらい長くしなくてはいけないか。答え、約6メートル。あんがい短い。円周率と基礎的な公式を知っていれば、計算できる。 いま円周率は、小数点以下およそ1兆2400億桁まで求められている。東京大学の金田康正教授のグループが、スーパーコンピュータを約600時間動かして計算した結果だ。すべてではなく任意の桁を知るには、デビッド・ベイリー教授らによって見出された公式がある。順番に求めなくてもわかるというから不思議。この公式、コンピュータによって発見されたもの。計算だけではない、情報技術の可能性を拓いた。 円周率の世界記録といえば、暗唱記録も桁外れ。4万2000桁、達成したのは当時21歳の日本人。読み上げるのに9時間、仮に世界記録の桁数すべてを読むなら、3万年以上かかる計算ではある。それにしても、いったいどうして覚えたのか。「みひとつよひとつ」ではないだろう、純粋に数字だろうか。英語による暗記法では、「For a time I stood pondering on circle sizes.」にはじまるマイケル・キース作の詩などがある。各単語を構成する文字の数が円周率の数字に対応している。 ランダムに思える円周率も、1兆桁もあればおもしろい並びが見つかる。01234567890は532億1768万1704桁目からなど、1兆桁までに8回登場する。ぼく自身の誕生年月日の並びは、 8323万2713桁目から見つかった。そうと知るとその桁に親近感を覚えるように、人は、円周率を単なる数字と見たがらない。小数点以下20桁までを加えると100になるとか、プロトプテルス・エティオピクスという肺魚の第3染色体が、円周率を4進小数に展開した結果に一致するとか。数字を音符に置き換えて聞く調べも妙なるもの。無限に続く円周率は確かに不思議だが、人間の想像力や探求力は、それにも増して限りない。

前の記事

 なぜ、ぼくたちは二足で歩くのだろう。手を大地から離し、直立したきっかけは何だったのか。二足歩行はヒトを定義する重要な要素だけれど、この根本的な問いに対して、いまだ定まった説明はない。 大地溝ができて東側がサバンナになり、ヒトを森から切り離し直立させたというイーストサイド物語は、東側以外からの化石発見で揺らいでいる。草原に要因を求める説には、ほかに森の端から草原へ死肉をあさりに行くときに直立したとする説、遠くの敵を見つけるために視線を高くしたという説、立つことで熱い地表から大脳を離してクールダウンしたという説などがある。 食行動に注目した説では、チンパンジーが木の実をとるときに立つように、初期のヒトも立って頭上の枝に手を伸ばしたとする説や、小さな木の実などの食料をえり分けるときに手が必要だったという説がある。日本の島泰三博士は、手と口が連合して進化してきたとして、初期のヒトは骨髄を食べており、骨を割る石を持ち運ぶために二足歩行したとする新説を唱えている。 まったく違った視点としては、人類は一時水辺で進化し、子どもを抱えるなどして水中を歩くために直立したとするアクア説がある。このところ有力なのはオーウェン・ラブジョイ博士による繁殖戦略仮説だろうか。両手でたくさんの食料を持ち帰れるオスがいた夫婦の方が子孫を残すのに有利だった、だから二足歩行にむいた骨盤を持つ子孫が生き残ってきたという説。 いま最古のヒトの足跡化石として知られるのは、約360万年前のアウストラロピテクスのもの。現代人を含むホモ属として最古といえば、イタリアで見つかった足跡が知られている。滑りやすい斜面についた3本の歩行跡。途中で急斜面を迂回したり、足を滑らせて手をついた跡もある。はじまりはともあれ、こうしてぼくたちは、ずっと迷ったりこけたりもしつつ、現代まで歩いてきたのだ。

次の記事