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ちょっと知的な雑学&トリビア

円周率

2003年9月18日 【コラム
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 まずは質問から。地球の円周を4万キロメートルとして、ぴったり一巻きしたロープを地上1メートルで巻きなおすなら、どのくらい長くしなくてはいけないか。答え、約6メートル。あんがい短い。円周率と基礎的な公式を知っていれば、計算できる。
 いま円周率は、小数点以下およそ1兆2400億桁まで求められている。東京大学の金田康正教授のグループが、スーパーコンピュータを約600時間動かして計算した結果だ。すべてではなく任意の桁を知るには、デビッド・ベイリー教授らによって見出された公式がある。順番に求めなくてもわかるというから不思議。この公式、コンピュータによって発見されたもの。計算だけではない、情報技術の可能性を拓いた。
 円周率の世界記録といえば、暗唱記録も桁外れ。4万2000桁、達成したのは当時21歳の日本人。読み上げるのに9時間、仮に世界記録の桁数すべてを読むなら、3万年以上かかる計算ではある。それにしても、いったいどうして覚えたのか。「みひとつよひとつ」ではないだろう、純粋に数字だろうか。英語による暗記法では、「For a time I stood pondering on circle sizes.」にはじまるマイケル・キース作の詩などがある。各単語を構成する文字の数が円周率の数字に対応している。
 ランダムに思える円周率も、1兆桁もあればおもしろい並びが見つかる。01234567890は532億1768万1704桁目からなど、1兆桁までに8回登場する。ぼく自身の誕生年月日の並びは、 8323万2713桁目から見つかった。そうと知るとその桁に親近感を覚えるように、人は、円周率を単なる数字と見たがらない。小数点以下20桁までを加えると100になるとか、プロトプテルス・エティオピクスという肺魚の第3染色体が、円周率を4進小数に展開した結果に一致するとか。数字を音符に置き換えて聞く調べも妙なるもの。無限に続く円周率は確かに不思議だが、人間の想像力や探求力は、それにも増して限りない。

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9 comments to...
“円周率”
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小橋昭彦

まずは世界記録保持者「金田・佐藤研究室」へどうぞ。スーパーコンピュータ開発メーカーによる「プレス発表」もご参考に。自分の考えている数字は含まれるかな、調べたいときは「The Pi-Search Page」へ。読み上げ時間を実感したければ、「How long would it take to recite Pi using the following Java applet?」に各国語による読み上げがあります。Michael Keithによる詩は「Circle Digits – A Self-Referential Story」でどうぞ。「David H. Bailey」教授のサイト、また「Talking about Pi」といった研究者ページからも豊富な情報にアクセスできます。円周率の音楽はいろいろありますが、日本語では「円周率は神の音楽」などでどうぞ。あと「The Joy of Pi」のリンク集も有益。また、まじめなところでは「円周率の公式」もどうぞ。それから、これはかなり重いページになります、円周率を記録したページに、その名も「3.141592653589793238462643383279502884197169399375105820974944592.jp」があります。なお、書籍としてもいろいろあるようですが、『π?魅惑の数』をお薦めします。


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ながさわ

πですか。
今は牌を持つことの方が多いですが(おいおい)、学生時代は公式を使って(先生にご教示頂きつつ)Z80という石で2時間かけて1万桁を計算した……という文化祭の催し物を思い出しました。
三角関数のテーブルを作ったりしつつ……。

ところで、今の小学校では、πは約3、らしいですよね。
世間では、学力低下が懸念とか騒がれていますが、個人的には無限への魅力が損なわれているんじゃないかと思います。
勉強も趣味も、『魅力』がやる気を引き出すんではないでしょうか?


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rinmon

こんにちは。
任意の桁を得ることが出来るというのは知りませんでした。だからこそ自分の誕生日の並びなどを調べられるのですね。おもしろい。
僕は小学校5年の時に友達と競って60桁あまりを記憶したことがあります。これくらいだと、意味も何も構わず覚えることが出来ます。人間は不思議です。πの教育は「3」から「3.14」に戻されたのではなかったでしたっけ?記憶違いなら、ごめんなさい。
また、数にまつわる話題を扱っていただけると、うれしいですねえ。


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平川 夏美

小学校で円周率は3.14であると習った時、父に3.14の先は15926…と無限に続くと教えられ円周率に興味を持ちました。
国立科学博物館へ両親、いとこと遊びに行ったとき、壁一面に円周率が書かれているのを見て、「覚えあいっこしよう!」と手持ちの小さなメモに賢明に書き写しました。
博物館が改修される少し前のことで、オレンジ色のペンキがはがれて最後の方は読み取れなかったのを覚えています。
そのメモの桁では飽き足りず、図書館で円周率を調べました。小学生が円周率の詳細を調べたいと言うので、司書さんに不思議な顔をされました。
最盛期には80桁ほど暗唱できました。それでもいとことの競争には負けてしまいました^^;
あれから10年経ち、先日まだ覚えているか聞いたところ、なんと彼女はまだ100桁ほど暗唱できました。
円周率は人を引きつけ魅了する力のある数字なのですね。


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上谷満久

理系ネタはやっぱり面白いですね。暗記は苦手で全く覚えていませんが、円周率が3だと正六角形の周囲の長さと同じになりますね。去年の東大の入試問題でπが3.05より大きい事を示せという問題が出ました。文部科学省に警鐘を鳴らしているような問題ですね。


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Hiroe

わたしも小学校で円周率を覚えました。
黒板の上に30桁くらいの帯を貼り付けてあって、み
んなで競い合ったものです。そのとき100桁まで覚
えたのですが、20年以上経ったいまでも諳んじるこ
とができますよ。三つ子の魂百までもとはよく言った
ものだと実感しています。


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とよし

そういえば僕も円周率を中学生のときに教科書に載っているだけ覚えて、今でも50桁くらいまでならいえます。
円周率、なんとも不思議な数ですね。
映画「コンタクト」でも、円周率をずっと計算して、それを立体化(だったっけな)すると意味のある形になるという箇所があったのを今でもはっきり覚えてます。
もしかしたら宇宙のなぞを解く鍵があるのかも、
と真剣に思いました。


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サザエ

和田


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test



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 稲刈りの季節、一年ぶりにコンバインに乗る。レバー操作は忘れてしまっているが、運転席に座ってしばらく見ているとよみがえる。ハンドルの役割をするレバー、刈り取り機の昇降機、アクセル代わりのダイヤル。それほど苦労せず思い出せるのは、田植え機やトラクターの操作と共通した部分があるからか。 下野康史氏の『運転』という書籍があると知って、さっそく手にする。ジャンボジェットや地下鉄から熱気球、二足歩行ロボットまで。それぞれの運転の現場を取材したレポートである。ジャンボジェットは着陸まで自動操縦が可能であるとは知らなかった。リニアモーターカーでは動力は車両側ではなく線路側にある。だから「運転席」は車両内ではなく指令所。そうしたひとつひとつがおもしろく、一気に読み終える。 このおもしろさはなんだろうと考えていた。機械マニアでもないし、走ることに快感を覚える性格でもない。さぐるうちに、田植え機に乗る緊張を思い出す。あれは、運転そのものへの緊張ではない。まっすぐ植えること、効率よく植えることへの緊張だ。自分の植えた苗が、数ヵ月後に稲になる、生命の第一歩を担っていることの重さ。その思いに、書籍に登場した「運転手」らの言葉を重ねる。ジャンボジェットのパイロットは、自動操縦可能とはいえ、実際には自分で着陸させることがほとんどと答えている。潜水艦の操舵員は、全速で走っているときはやはり快感で、互いに武勇伝的に語り合うという。運転のむこうに、ひとりひとりの心が息づいている。 機械に囲まれて今、ぼくたちは何かの運転あるいは操作なしには暮らせない。しかし、運転するとはただ機械を操ることではない。本来それは、必ずどこかへ向かって行う行為だ。そんなことに、あらためて気づく。運転に、ぼくは生きることを重ねていたのかもしれない。そのハンドルやレバーを手にするとき、ぼくたちはどこへ向かっているのか。何を目指しているのか。

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 世界のミイラ学者が集って3年に1度開催されている「ミイラ会議」。第1回はカナリア諸島で行われ、以降コロンビア、チリ、グリーンランドと開催を重ね、2004年の第5回はイタリアで予定されている。いずれの開催地もミイラに関係の深い土地で、ミイラがエジプトだけのものでないことを示している。乾燥や泥地が偶然ミイラを残すことも多い。 世界ではいったい何千体、いや何万体のミイラがあることだろう。それらをなぜ、人は作ってきたのか。エジプトの王たちは再生を夢見ていた。中世においては聖人の遺骸が信仰のしるしとなった。南米のチンチョーロ人たちは母親の悲しみを閉じるように、何体もの子どものミイラを残した。現代ではレーニンなど権力者の遺骸が保存され、一方で冷凍保存がビジネスになる。 多くの場合、なんらかの思いが込められたであろうミイラが、一時はすりつぶされ、妙薬として、あるいは絵具として使われていたことには驚かされる。日本語のミイラだって、ポルトガル語の没薬ミルラが語源。エジプトを訪れたナポレオンは、遊び好きの妻のためにミイラの頭を持ち帰ったともいう。ミイラがある種の資源や工芸品的にとらえられていた時代があったのだ。 ネムリユスリカという「ミイラ」昆虫がいる。環境が乾燥状態になるとトレハロースを爆発的に合成して体内を水あめ漬のようにして、ミイラ状態になる。そのまま10年以上経った後でも、水を与えれば復活する。この昆虫と同じ情報伝達系を人間も持っているというから、研究が進めば、乾燥保存して水で戻す人間ができないとも限らない。 そのとき人は、ミイラになることを夢見るだろうか。そう思い、ふと、村上春樹氏の『海辺のカフカ』を思い出す。物語の終盤、ひとりの女性が主人公の少年に生きるように願い、こう言い添える。「あなたに私のことを覚えていてほしいの」と。そう、ぼくたちが残すべきは、ただこの肉体ではない。

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