小橋 昭彦 2003年9月15日

 稲刈りの季節、一年ぶりにコンバインに乗る。レバー操作は忘れてしまっているが、運転席に座ってしばらく見ているとよみがえる。ハンドルの役割をするレバー、刈り取り機の昇降機、アクセル代わりのダイヤル。それほど苦労せず思い出せるのは、田植え機やトラクターの操作と共通した部分があるからか。
 下野康史氏の『運転』という書籍があると知って、さっそく手にする。ジャンボジェットや地下鉄から熱気球、二足歩行ロボットまで。それぞれの運転の現場を取材したレポートである。ジャンボジェットは着陸まで自動操縦が可能であるとは知らなかった。リニアモーターカーでは動力は車両側ではなく線路側にある。だから「運転席」は車両内ではなく指令所。そうしたひとつひとつがおもしろく、一気に読み終える。
 このおもしろさはなんだろうと考えていた。機械マニアでもないし、走ることに快感を覚える性格でもない。さぐるうちに、田植え機に乗る緊張を思い出す。あれは、運転そのものへの緊張ではない。まっすぐ植えること、効率よく植えることへの緊張だ。自分の植えた苗が、数ヵ月後に稲になる、生命の第一歩を担っていることの重さ。その思いに、書籍に登場した「運転手」らの言葉を重ねる。ジャンボジェットのパイロットは、自動操縦可能とはいえ、実際には自分で着陸させることがほとんどと答えている。潜水艦の操舵員は、全速で走っているときはやはり快感で、互いに武勇伝的に語り合うという。運転のむこうに、ひとりひとりの心が息づいている。
 機械に囲まれて今、ぼくたちは何かの運転あるいは操作なしには暮らせない。しかし、運転するとはただ機械を操ることではない。本来それは、必ずどこかへ向かって行う行為だ。そんなことに、あらためて気づく。運転に、ぼくは生きることを重ねていたのかもしれない。そのハンドルやレバーを手にするとき、ぼくたちはどこへ向かっているのか。何を目指しているのか。

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7 thoughts on “運転

  1.  「運転」楽しく拝読しました。小橋様が自ら田植機やコンバインを運転なさることを知り、日本農業も捨てたものでないと勇気が湧きます。農業関係者を代表して感謝致します。
     マシンの運転の他、家庭では女房の操縦(いや操縦されるばかりかも)もかなり困難度の高いスキルを要しますね。会社では上司と部下の操縦は危険がいっぱいです。
     さらに現在は自らを律することの困難さを新米のコシヒカリを搗きながらひしひしと感じています。

     マシンの運転は爽快感がありますが、運転は基本的なことをしっかり護らないと危険です。
     ことにコンバインは!)危険な刃物、搬送チエン、カッターを同時に動かしますので巻き込まれると指、手を亡くした方がいっぱいです。いずれも詰まった時に「エンジンを止めないでも俺は大丈夫と自信いっぱいに」作業するとりいぱな方が上腕を亡くしたりします。たいてい、集落に一人はおられます。
     !)コンバインは重心が高く、前から見ても、横から見ても逆台形、転倒しやすく、下敷きになって亡くなった農協の優れたオペレーターを知っています。
     !)ベルトがいっぱいついています。これは指をなくすには絶好のツールです。アッと気がついたときは右手指4本を持っていかれた人があります。
     絶対エンジンを止めて点検。補修。詰まり除去をしてください。
     二番目に怖い機械が刈り払い機です。10m以内で石を飛ばして失明させた人があります。時々、自分の顔に何かがああたりますね。
     三番目には乗る農業機械の危険です。裸の機械は下敷きになると重大事故になります。死亡もしくは重傷間違いありません。安全フレームつきトラクターなら安心ですが。コンバイン、田植機では安全フレームがついていません。
     裸の機械です。兵庫県で年間5から10人が亡くなります。
     楽しい農作業に水を差して申し訳ありませんが、どうぞ気をつけて収穫の秋をお楽しみ下さい。

  2. 拝復
    いつも深みのあるエッセイ、興味深く読ませていただいております。ありがとうございます。
    運転ーーー私たちの肉体と心(心の表面的な部分)もまた、機械ですね。それを操作しつつ生きておりますが、それでもってどこへ行こうとするのかーー

    中野 勲

  3. メールマガジンが届くのをいつも楽しみにしています。今回のエッセイには特に興味を持ちました。

    何か悩み事があったり、目標を定められない様な時には何故か深夜にドライブに出たくなります。何処かに向かって走り続ける車に自分を重ねる事によって、直面している問題から一瞬だけ目を逸らせるのではないかな、と。

    交通量の少ない深夜の道路でハンドルを握り車の動きを自分のコントロール下においている時に感じる気持ちというのは、目標に向かって一直線に走っている時に感じる喜びと重なるのかもしれません。

  4. 運転を学ぶあるいは操作を学ぶためには、どれほど多くの脳神経を経て可能になっているのか計り知れません。脳神経を意識して、出来た・出来なかったを繰り返して生活をしています。脳腫瘍の術直後は直線の運転と右折左折は出来たのですが、その他の微妙な操作は出来ませんでした。ブレーキだけではないのが運転。
    そして歩くことはできなくても、運転は出来る不思議。今は言葉の運転の練習中なのかもしれません。
    翼が欲しい人間に翼に代わって与えられた夢が車がもしれないと思います。

  5. なかなか示唆に富んだお話有難うございます。自分も自動車を運転しますが、それは必ず目的地(目標)があり、到達すれば一応終息します。ところで、”ひょっこりひょうたん島”は海流に乗って身をまかせ、コントロールは効かない。そんな生き方もあると思いますが、どうでしょう。

  6. みなさま、ありがとうございます。

    三好さま、貴重な経験談、教えられることが多かったです。またしょうきちさま、おっしゃるとおりですね。「運転」をぼくたちが得たのはいつのことだったのでしょう。考えようによっては、道具を得たときでしょうか。そう考えると、映画『2001年宇宙の旅』の冒頭のシーン(原始人の道具が宇宙船に)はいっそう示唆的ですねぇ。

    松山さん、ありがとうございます。草刈り機を動かすときはほんと、気を使います。昨日も日役で地域の草刈だったのですが、そういう、多くの人と作業するときはいっそうですね。

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