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ちょっと知的な雑学&トリビア

感情を表す

2003年9月01日 【コラム

 感情を抑制し理性的になることが進歩とされていた時代があったように思う。未来の人間は無表情で論理的に描かれて。そう、SFドラマ『スタートレック』の異星人ミスタースポックのように。その光景が懐かしいのは、おそらく現代では、感情はむしろ肯定的にとらえられるようになったからだ。こまやかな感情表現が人間性を表し、機微に通じることがよしとされる。
 それでもぼくたちは、感情は社会から理性で隠した、マグマのように心の底にある裸の心のようなイメージを抱いている。でも、実際には感情とて社会に規定されている。こうした考え方を感情社会学として提唱しているのがホックシールドで、彼女によれば感情は二段階を経て生まれるという。最初に理想像があり、現実とのギャップから感情が芽生える。夫婦仲むつまじくあるべきなのにけんかをしたといった状況から、「悪いことした」という罪悪感が生まれるように。ところが、その人が生きている社会に「女に頭を下げちゃいけない」なんて風潮があると、自分の感じている罪悪感とのギャップが生じる。そこでまた新しい感情が求められる。感情というのは、こうして二重に社会的に操作されているというのがホックシールドの論。
 感情表現にも差がある。喜びや怒りの表情をアメリカ人とインドネシアのスマトラ島の住民にしてもらい、何を感じるか調べた研究では、アメリカ人は表情に対応した感情を知覚するのに対し、スマトラでは顔面の変化は感情と知覚されなかったという。この実験を行ったレヴィンソンらは、スマトラでは顔面筋の変化より人間関係における経験を重視しているからと分析している。
 悲しいときに悲しまないと異端視される。ぼくたちが感じる悲しみあるいは喜びは、どこまでが本当の自分の気持ちで、どこからが社会にあわせたポーズなのか。いや、そもそも「自然な」感情なんて、どこにもないのかもしれない。


3 comments to...
“感情を表す”
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小橋昭彦

感情の社会的な位置づけについては、たとえば『感情の社会学』という書籍をご参照ください。また、「自分って何」でとりあげた文化心理学も近い分野です。「社会構築主義と感情の社会学」もご参考に。


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片岡

 いつも楽しみに購読させて頂いております。小橋さんの書かれる文章の目の付け所にはいつも、うんうんとうなずかずにはいられない感じです。
今回は「感情」と言うテーマですが、我々日本人は元来「忍」を美徳としてきた人種で中々感情表現が上手いとは思っていませんでした。しかしながら「阿吽」の呼吸と言う言葉もあり、お互いのアイコンタクトで済ますことが出来ていたように感じていました。
 しかしながら・・最近は益々感情表現が・・異常な表現となり、青少年の凶悪犯罪が増えてきています。これも感情表現の異常現象ではとも思います。
 悲しい時に泣いて、楽しい時に笑う!健康に一番良い事とも聞きます。一番小さな集団生活「家族」で素敵な感情表現を養っていけると良いのになって思いました。
 これからも素敵なコラム楽しみにしています。


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rnakaji

もっとも自然な状態としての新生児の感情は快、不快であって表現は泣くことだけど、泣くのは不快の直接表現でなく、保護者への依存を表現しており、保護者の泣く、即保護の反射を刺激しているという論文がありました。
内的な感情と対外的な感情表現は本来全く別なもののようです。ともかく、感情表現は多様でなくては社会的とは言えないのではないでしょうか。自ら多様な感情表現を持っていないと、他人の感情を斟酌することも難しいのではないでしょうか。




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 ヤマアラシのジレンマという寓話がある。寒さに震えるヤマアラシのカップル。暖をとろうと抱きあうと、棘で相手を傷つける。といって離れると寒い。ショーペンハウアーによるこの寓話を利用して、精神分析医べラックはヤマアラシ指数なるものを考案している。刺激の数にその強度と持続時間を掛ける。友人が5人いて平均週3回会っていてそれぞれ80分くらい一緒にいるなら、1200。同じ指数でも、持続の短い表面的なつき合いが多い人もいれば、友人が少なくてもじっくり会っている人もいる。 棘の長さにもいろいろあるのだろう、他人ととる距離も、人によって違う。これを4種に一般化したのが、エドワード・ホールだ。いわく45センチまでの密接距離、120センチまでの個体距離、さらに3.6メートルまでの社会距離、それ以上の公衆距離。密接距離は親密じゃないと保てないし、個体距離のうち75センチまでの近接相内で男女が並んでいると、夫婦か恋人に見える。社会距離はパーティ会場やビジネス上の会話で利用される。 米国での実験では、見知らぬ人に頼みごとをする場合は、40センチの距離から熱心に頼むのがもっとも効果的だったという。ただし熱心さが伝わらなければ最悪の結果になる距離でもある。膝詰め談判がいつも効果的とは限らないわけだ。 日本でもユニークな実験が行われている。女子学生に男子学生へのインタビューをしてもらうものだが、最初に男子学生が映ったビデオを見せて好感度を尋ねている。その結果、好感が持てる人とは平均181センチメートル、好きになれない人物とは154センチメートルの距離をとってインタビューしたという。好きな相手の場合の方が離れていた。なれなれしく思われないようにという配慮か。ヤマアラシのジレンマ以上に微妙な気持ちが隠れているようでもある。人との間と書いて人間。この「間」が、なんとも味わい深い。

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 路線図に現在の走行位置が示されるバス運行システムを初めて見たのは仕事先に向かっていた奈良でのことだった。それからおよそ十年、当時住んでいた京都でも携帯電話によるバスの位置情報サービスがはじまった。 時刻表通りに来ないバスを待つ辛さは、多くの人に経験があるだろう。待っているときに限って、逆方向のバスばかり何台も通り過ぎる。皮肉のひとつも言いたくなるが、実はこれはあたりまえで、自分が乗りたいバスが先に来たらそれに乗るわけだから、同じ条件で自分の方向のバスを数えることはない。一面的な現象しか起こらないのを皮肉にとらえてしまう、心理的なバイアス。 大正期に東京都心部で走っていた路面電車も、混雑や遅れが日常茶飯事だった。これを冷静に観察したのが物理学者の寺田寅彦で、その名も「電車の混雑について」というよく知られた随筆を残している。待つ時間が長くなるとそれだけ待ち人が増え混雑する、最初に来た電車にみんな乗ろうとするから一台目は乗降に時間がかかり、二台目は人も少なく追い上げる。これが繰り返されるから、電車はどんどん数珠つなぎに。 大正11年6月19日、寺田寅彦は、神保町近くの停留所で数十分間、この事実を検証した。それによると、およそ40台通り過ぎたうち、2分以下で後続の電車が来たのは23回、4分以上待たされたのが4回あったという。じゃあ待っているとたいていは2分以内で来るのかと考えてしまうけれど、これもよくある勘違いで、待ち時間をかけないといけない。すると2分以内に電車が来るのはおおむね3回に1回に過ぎず、たいていは長く待たされる。 寅彦の出した結論は、電車は二台目ないし三台目のすいたものに乗るべし。到着時刻に差はない上、待つ間は思索にふけり、車中では座って体を休め、書籍などを読むことができる。金平糖やキリンの縞模様、人魂などの研究をしたことでも知られるユニークな学者、寺田寅彦。バスを待っても器が違う。

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