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ちょっと知的な雑学&トリビア

サルとシェイクスピア

2003年6月19日 【コラム
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 無限の時間と壊れないタイプライターがあればサルにも詩篇23篇が書ける。進化論支持者として知られるトマス・ハックスレーが、創造論者とディベートしたときに言ったとされる言葉だ。詩篇23篇は「主は私の羊飼い」に始まる。「The Lord is my shepherd, I shall not want.」というフレーズが、大文字や記号も含め50通りのキーから偶然に生まれる確率はどうか。THEは50×50×50通り分の1。1秒に1回打鍵したとして、すべて試すのに34時間あまりかかる。スペースも含めTHE LORDまでだと100万年以上、最初の一文だけで宇宙の年齢以上かかる計算。
 サルからシェイクスピアにいたる間には、言葉の進化にも相転移があった、とスペインの学者が言っている。水が気化するように一気に変化する段階があったというわけだ。話し手にとっては少ない言葉ですませるのが楽だが、聞き手にとってはひとつの意味にひとつの言葉が対応する方が間違いが少ない。こうした利害のバランスを数学モデルで表現して計算した結果、言葉はほとんどコミュニケーションがない状態から、完全なコミュニケーションに一気に移った可能性があると。
 英プリマス大学の研究者グループは、実際に6匹のサルにコンピュータを与え、1カ月間キーを打たせている。サルは確かに5ページのテキストを作成した。ただ「THE」さえ生まれなかった。ディスプレイを叩いたり、キーボードに糞をしたりといった行為に忙しかったせいもある。研究者いわく、サルはランダムにキーを打つには複雑すぎる、と。
 サルの打ち出したテキストに目を通す。副題に「シェイクスピア作品に向けての走り書き」。fが2文字、改行、vが続き、p、s、gの連打。その後はページをわたってずっとsが続く。シェイクスピアに至るには遠い、意味のない羅列。それなのにその並びについ、サルの思いを読みとろうとしている自分に気づく。なるほどヒトとは不思議な生き物だ。

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3 comments to...
“サルとシェイクスピア”
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小橋昭彦

Thomas Huxleyの逸話については、「Could Monkeys Type the 23rd Psalm?」「Those Typing Monkeys Don” t Prove Evolution」などでも触れられていますが、どうもあれですね、創造論者側の格好の反論材料になっている雰囲気。言葉の相転移については「Ramon Ferrer i Cancho」「Ricard Sole」両教授によります。論文は「Least effort and the origins of scaling in human language」に。サルのキーボード実験は、「VIVARIA.NET」に詳しく、実際の文書も「Notes Towards the Complete Works of Shakespeare」からダウンロード可能です。また、このサイトのPROTOTYPEもおもしろいですよ。実際にコンピュータがランダムにシェイクスピアを目指してくれます。


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ひだか

サルと比較していいのかどうか・・・
先日、ちょこっとチャットルームを覗いた時のことです。顔文字のオンパレードで、おもわず逃げ出してしまいました。まったくといって理解不能でした。
それでも彼(彼女)らには通じているのですよね。
そうするとサルもひょっとしたら・・・ って思うと、
なんだか楽しくなりますね。
ドリトル先生のようにみんなが言葉でコミュニケーションを取れたらどんなに楽しいことでしょう。
考えると、夢の世界へ行ってしまいそうです。
いつの日か実現して欲しいような、欲しくないような・・・


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ナナシサソ

1カ月間で5ページは少な過ぎる
キーを叩いたら餌が出でくる等の行動理由を与えていないからだろうが

私たちはなぜキーボードをたたくのか?




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 地元で開かれたヒメホタル鑑賞会に子どもと出かける。いつも川で見るゲンジやヘイケと違って、ヒメは山に棲む。特有のすばやい点滅を探して山へ。残念ながらこの日は見かけない。あまりの人出に隠れてしまったか。 ホタルの語源は火照るとも星垂るとも言う。火照るは英語のfireflyと同様の発想だが、星垂るというのはロマンチック。ゲンジの舞う近くの川を見下ろすと、たしかに天の川のようで見飽きない。午後8時、天空の川はまだ東の空。英語にはglowwormという表現もあるが、こちらは飛ばないホタル。ツチボタルのことと言うが、ホタルは幼虫やさなぎも光るし、あるいは飛ばないメスのことをさしているのかも知れない。 世界にホタルはおよそ2000種。光らないホタルもいれば、パプアニューギニアのエフルゲンスのように、一本の木に数万匹が群がり、クリスマス・ツリーのイルミネーションのように一斉に明滅するものもいる。オスが黄色、メスは緑色に光るとか。一度は見てみたい光景だ。 日本に多いゲンジボタルは、西日本と東日本で光る間隔が違う。東日本では4秒以上、西日本では2秒間隔。糸魚川・静岡構造線周辺を境に分かれているといい、DNA研究から数百万年前に分かれたとみられている。その後、それぞれの地域で差が生まれたわけだが、人間でも関西人はせっかちと言われるところ、ホタルまでせっかちな点滅になっているのがなんだかおかしい。 ホタルの方言を生んだ数百万年の歴史。仮に西日本のホタルを東日本に持ち込んでも、愛の言葉は通じないだろう。いま目にしているこの夏のさやかな点滅も、長い歴史を背負ってのこと。その間、森はどう変わり、水はどう流れてきたか。たとえぼくたちが方言を失おうとも、ホタルの方言は残してやりたい。そんなことも思いつつ、ホタルを追った夜だった。

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 前米大統領夫人が『リビング・ヒストリー』と題する回想録を出版したと聞いて、あらためて米国と日本の「歴史」観の違いを思う。多少題名としての装飾は入っているとしても、「ヒストリー」とは。日本でなら個人の歩みはあくまで回想録なり履歴であって、歴史は後世から見てのこと。 たまたま、上田信教授による『トラが語る中国史』を読んでいるところだった。副題に「エコロジカル・ヒストリーの可能性」とある。氏によれば、動植物とヒトとの関係を扱う歴史が、エコロジカル・ヒストリーだという。それをトラの視点から語るというアプローチがおもしろかった。ヘロドトスでも司馬遷でもヒラリー・クリントンでもなく、トラの観点。そういえばクリフォード・シマックに、人類が絶滅したはるか未来、あとを継いだ犬の視点から語る『都市』という傑作があった。もっとも、シマックが扱ったのも結局は人類の歴史。エコロジカル・ヒストリーは、トラとヒトの関わりが主題だ。 この書籍を手にしたのは、子どもの頃に読んだバイコフ『偉大なる王(ワン)』の印象が今も心の底に強く残っていたから。せっかくの機会なので、子ども向けの世界文学全集に入っていたこの話を、古い書棚から取り出して再読する。舞台はちょうど、人間が森林に侵出し、トラとの共生を壊しはじめる時代。幼いながらにも感じた、失われていくものへの寂寥感をあらたにする。 トラだけではない。タヌキやチョウの、あるいはブナやスギの視点からなら、歴史はどのように描かれるだろう。ただ人間が侵略するという物語にはなるまい。ドングリを拾いに入った人間がブナにとって最適の生態を作る一役を担っていたように、ヒトが破壊者でも保護者でもなく、自然の一部として描かれる時代があったはず。いや、それが過去形でしかないとは、思いたくない。

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