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喪服の変遷

2003年6月12日 【コラム
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 あたりまえと思っている風景が不思議に見える。長く患っていた母方の祖母の葬儀に出たときのこと。棺に花を手向けつつ、死者の白装束と生者の黒い装い、このコントラストはどこに由来するのかと、頭の片隅をよぎる。神聖な色としての白はわかるとして、黒は。
 服飾史研究家の増田美子氏によると、もともと日本の喪服は白だったという。黒に変わったのは奈良時代のことで、「養老喪葬令」に天皇は直系二親等以上の喪に「錫紵(しゃくじょ)」を着るように定められた。唐にならったものらしく、皇帝は「錫衰(しゃくさい)」を喪服に着たと唐書にある。日本でも金属の錫(すず)の色すなわち薄墨色の服を着ることになったわけだが、じつは唐の錫衰とは灰汁(あく)で処理した麻布のことで、白色だったというオチがある。
 室町時代になって、喪服はいったん白色に戻り、江戸時代まで引き継がれている。日本人にはやはり白色への特別な思いがあったか。再び黒になったのは明治維新後。今度は英国にならったもので、日本人にとって黒の喪服は、二度にわたって外国から入ってきた習慣ということになる。
 死装束の白は今も変わらない。ただ、三角頭巾はしない場合も増えたようだ。鎌倉時代の絵にも残る古い風習。一般に魔よけといわれるが、何が由来なのか。調べるうちに、武士の月代(さかやき)を思い出す。額に特別な意味があったのかもしれない。そこで月代の起源にあたる。中世の貴族が冠をかぶったとき髪が見えないように毛を抜いたのが始まりで、戦国時代、兜をかぶったとき熱がこもらないように頭上を剃って定着したという。即物的な理由で、これはあてがはずれた。
 三角頭巾は、名前の通りそもそもは頭巾で、布を省略して三角になっただけだったか。ならば旅に帽子は不可欠、額とは関係ない。
 四十九日も過ぎた。祖母は無事に旅を終えたことだろう。

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4 comments to...
“喪服の変遷”
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小橋昭彦

増田さんにはそのものずばり、「日本喪服史 古代篇」という著書があります。


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小橋昭彦

没ネタ。5500万年前、最古の霊長類の化石、まずはつかむ動作を獲得(日経サイエンス03年05月号)。150年前の米科学誌で豆腐を「豆からのチーズ」として紹介(日経サイエンス03年06月号)。クローンといっても似ない(日経サイエンス03年06月号)。統合失調症の患者で言語をつかさどる脳の部位が徐々に変化(日経6月2日)。母乳などに含まれるたんぱく質ラクトフェリンに鎮静効果(朝日5月18日)。100年前の日本語会話録音あった(朝日2月14日)。身体を動かす器官「運動器」(朝日9月17日)。「飛行機」の初訳は鴎外(朝日4月13日)? 桜にも種類いろいろ(朝日3月16日)。鹿の群れでの地位、1歳の体重で決定(朝日5月18日)。人類最古の蜂蜜酒「ミード」(朝日5月7日)。体内時計の狂いを調整する第5の遺伝子(朝日10月24日)。動物の体内時計が腎臓細胞増殖に関与(日経5月19日)。緑の香りがストレス軽減(朝日5月7日)。


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こま

関東の喪服は黒ですが、
最近まで関西には白い喪服の伝統が
残っていたと聞きます。
小橋さんのお住まいの丹波や京都には
白い喪服を着る風習はもう残っていないのでしょうか?

死に装束の白は死者の衣装だけでなく
花嫁衣装ももとは同じ意味です。
花嫁のそれまでの人生をいったん終了して
新しく生まれ変わるという意味でした。
成人式ももとは生まれ変わりの儀式でした。

だから、江戸時代までは
白一色の衣服は日常に着てはいけなかったのです。
夏になると毎年出てくる真っ白のワンピース
なんてとんでもない!という感覚です。
白装束は死者と切腹と仇討ちの衣装ですから。

日本人にとって白は「あの世」の色です。
日本の伝統には「あの世の白」がたくさん見られます。
神職の衣装も、御幣もそうです。


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ひだか

昔、女の人は旦那さんが亡くなった時には、「二夫にまみえず」(こういう漢字かしら・・・?)と言って、白の喪服を着ることがあったそうです。
私のところでも、喪服は黒ですね。
しかしながら今やお葬式のあり方そのものが、変化してきているので「喪服自体がなくなってしまうのではないか・・・」と思ってしまうのは、私だけでしょうか?
まあ、そんなことはないでしょうけど・・・




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 その名も、奇想天外。アフリカ西南部の砂漠に、たった2枚の葉だけで1000年以上も生き続ける植物がある。葉の基部に分裂組織があって、生涯伸び続け、帯のようになる。さすがに葉だけというのは珍しいが、樹木を含めると、植物には長寿が多い。細胞壁のある植物ではガンが転移しにくい、動物は生きた細胞のみで構成されるのに対し、植物は死んだ細胞も利用しているなどがその理由。 もっとも寿命という場合、個体とは何かを明確にしなくてはならない。たとえばヒガンバナは、親球根のまわりに子球根ができて増殖する。親子といっても遺伝子はまったく同じ。縄文時代に食用として持ち込まれたという説が正しいとするなら、ヒガンバナは縄文時代からずっと生き続けていたと表現できないこともない。 生命はざっと40億年前に誕生したとされる。なんども繰り返し現れてもよさそうなものだけれど、どうやらそうではなく、たった一度、生命は誕生し、それがすべての源となったらしい。たった一度の誕生から、ぼくたち動物と植物のようにずいぶん違ったものに枝分かれし、いまがあるということ。それはなんだかとても不思議なこと。 身長も、植物は動物よりずいぶん高い。心臓によって送り出す動物の血液と違い、水分子のくっつきあう力で根から葉に水を運ぶ植物の方法だと、理論的には400メートル以上も吸い上げることができる。もっとも、高すぎると横風などで折れてしまうから、実際には理論値の半分も伸びない。 森林インストラクターの井上俊氏によると、万葉集には73種の樹木が出てくるという。マツやカシ、クリにウメ、サカキ、ウルシ、ヤマザクラ。古代より日本人は樹木に親しみ、歌に詠んできた。たった一度の奇跡から生まれ、その後大きく違う道を歩んだ同胞。その仲間のことを、あらためて思う。淡い色合いだった若葉が徐々に色づいてきた、初夏の一日。

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