ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

冷える血液

2003年5月19日 【コラム
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 1日に1000人。いま全米で心臓停止に見舞われる人数。生存できるのはそのうち3%未満とか。心臓は20分停止していても蘇生する可能性があるけれど、脳は血流が止まると5分前後でダメージを受け始める。脳の損傷を遅らせることができれば救命率もあがる。
 米国の国立衛生研究所で研究が進められているアイス・スラリーという製品がある。冷却材スラリーを肺に注入、胸部を圧迫する。送り出された冷えた血液が脳の温度を下げ、脳細胞の壊死を遅らせる。このとき、体温は2度から6度まで下がるとか。患者が病院に搬送される頃には、ねばっとした液体だったスラリーは無害な塩水になっているので、吸引で肺から出すことができる。
 血液そのものを媒介として冷やすアプローチになるほどと思いつつ、トナカイを思い出していた。胴体は毛皮に覆われているのに、脚は寒そう。あらためて考えると不思議だけれど、トナカイが氷の上にも立つことを思うと、よくできていると気付く。脚まで温かかったら、体温で氷が溶けてその場に凍りついてしまう。脚は冷えていた方がいい。ただし冷えた血液が胴体に回って体温を下げてはいけない。だからトナカイでは、胴体と脚の間にある動脈と静脈がすぐそばを通るようになっている。足からの冷えた血液は、そこで動脈を通る胴体からの温かい血液で温められた上で、胴体に返る。動脈と静脈で熱を交換し、熱損失が少ないようにしているわけだ。
 手のひらを太陽にかかげて熱い血潮を見る歌があったっけ。保育園の頃に習い、お日さまに小さな手をかざして、ほんとうだって驚いた思い出がある。調べてみると「手のひらを太陽に」は、アンパンマンで子どもたちに人気のやなせたかし氏の作詞なのだった。手のひらの血潮から、みみずやおけらやあめんぼにまでいのちをみるやさしさ。そういえば、いのちの実感を伴う血潮という言葉を、ずっと使っていなかった。

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4 comments to...
“冷える血液”
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小橋昭彦

Ice slurry、注目ってことで5年間の開発予算もついたようで。「” Ice slurry” heart treatment gets $4 million boost」をご参考に。


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斉藤 修一

いつも、良くこんなに多くの本をお読みになり、良くこんなに知恵をお持ちになれるものだと感心して拝読しています。
本日の後半の「血潮」に関するところが、これから育つ子供に持って欲しい大事な感覚であると感じます。人類は無論のこと、生き物に対する思いが備わって、一人前の生き物になれると思います。
出来上がった大人に期待するよりも、これからの子供に託したい感覚です。
米国流の消費を美徳とする考え方と逆行する、物を大事に、命を大事にする考え方を子供に持たせたいです。


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てるまる

目を瞑って神経を集中し、心音と脈拍を感じ全身を流動する血に耳(神経)を傾けると、心が落ち着きます。コオろが落ち着くのに呼応して血も落ち着いていく。面白いですよ。よくやるんです。


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てるまる

うっ…すみません。連続投稿になってしまって。
上の投稿の「コオろ」と変な単語になっているところは、「こころ」です。




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 鼓動の高鳴りという生理的反応を恋愛感情と判断したという心理実験結果は、危険な状況下にある男女が恋におちやすい理由を説明できそうだ。状況が恋愛を生むなんてロマンチックじゃないという人には、こんな考え方はどうだろう。 原始時代からこれまで、ヒトは多くの危険な状況を生きてきた。あるグループは互いを愛し合い協力して切り抜けたし、別のグループは他人行儀のまま協力せず滅びていった。それが積み重なる中で、危険な状況において恋をし協力できる集団が選別されて生き残った。だから、現代人は危険な状況下で恋する人が多い。 心もまた、進化する。ゾウの鼻が長いのは進化の結果という考え方は受け入れやすいけれど、心についてはしづらいのは、それが化石として残らないためだろうか。それでも、ネアンデルタール人が滅んでぼくらが生き残ったのは、社会性を身につけた心の進化のゆえだったと唱える人もいて、ことに90年代以降広く検討されるようになってきた。 それならばなぜ、怒りや恐れのようにどちらかというと不都合な感情が淘汰されなかったのか。確かに現代社会においてはマイナスだけれど、ぼくたちはそれよりずっと長い間、野生に生きてきたことを忘れてはいけない。野獣との闘争や逃亡などの場面では、怒りやおそれがおおいに役立つ。いわばぼくたちの心はまだ原始時代のままなのだ。 現代社会は、ぼくたちの心にどんな進化をもたらすのか。若い人のキレやすさも進化かというのは短絡的で、進化というのはそのように個体で見るものではなく、未来においてキレやすい人たちの集団が生き残りそうじゃない人が滅びたなら、それは確かに進化だったと判断できるような、長い大きなスケールのもの。ぼくたちの心は、そんな長く大きな歴史を積み重ねて、いまここにある。

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 ヒトはゾウと似ている。ゾウの鼻が長い理由を調べていて、国立科学博物館の解説でそんな表現に出会った。ゾウを後ろから見て、ジーンズを履いたお相撲さんを連想したこともあったっけ。むべなるかな、移動に直接関係しない腕まで支えるヒトの腰から下の構造は、相対的に大型動物と同じなのだとか。 何かを食べるという行為においてもそうだ。ゾウは鼻で地面から食物をとりあげる。それを口で砕き、飲み込んでお腹で消化する。ヒトもまた手で食べ物を口まで運び、顔で砕き、お腹で消化する。子どもがゾウを真似して手を顔の前でぶらぶらさせるのは、正鵠を射たジェスチャーであったわけだ。 これをたとえばウマと比べればことはより明確になる。ウマは地面に顔が届くから、顔で食物をとり、その顔で砕き、それからお腹で消化する。食物をとるところと砕くところが近接しており、ヒトやゾウとは違う。ゾウは巨大化して頭が重くなり、首を長くしては支えきれなかった。ウマと同じようには食物をとり上げられなかったのだ。 同じ大型動物でも、首長竜の場合は事情が違う。あれは頭を小さくすることで重量を減らし、首を長くした。頭を小さくするために、歯やあごといった食物を砕く機能はお腹に持って、顔はただ食物をとるためだけとした。砕く機能と消化機能が近接しているから、ヒトやゾウとは違っている。 ゾウの鼻が長いのは、水生の頃にシュノーケルとして伸びた、という説もある。しかし、あの鼻が実際には上唇も一緒になっていることを思うと、食物を地面からとりあげるためにという説がもっともらしい。ゾウの進化史は4000万年以上昔にたどれる。チャドで発見された最古の人類ともみられる700万年前の化石も、ゾウの化石と一緒に見つかり、年代推定の参考にされた。人類がようやく地上に現れたその頃、ゾウはすでに長い歴史を積み重ね、鼻も長くなっていたのである。

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