ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

進化する心

2003年5月15日 【コラム
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 鼓動の高鳴りという生理的反応を恋愛感情と判断したという心理実験結果は、危険な状況下にある男女が恋におちやすい理由を説明できそうだ。状況が恋愛を生むなんてロマンチックじゃないという人には、こんな考え方はどうだろう。
 原始時代からこれまで、ヒトは多くの危険な状況を生きてきた。あるグループは互いを愛し合い協力して切り抜けたし、別のグループは他人行儀のまま協力せず滅びていった。それが積み重なる中で、危険な状況において恋をし協力できる集団が選別されて生き残った。だから、現代人は危険な状況下で恋する人が多い。
 心もまた、進化する。ゾウの鼻が長いのは進化の結果という考え方は受け入れやすいけれど、心についてはしづらいのは、それが化石として残らないためだろうか。それでも、ネアンデルタール人が滅んでぼくらが生き残ったのは、社会性を身につけた心の進化のゆえだったと唱える人もいて、ことに90年代以降広く検討されるようになってきた。
 それならばなぜ、怒りや恐れのようにどちらかというと不都合な感情が淘汰されなかったのか。確かに現代社会においてはマイナスだけれど、ぼくたちはそれよりずっと長い間、野生に生きてきたことを忘れてはいけない。野獣との闘争や逃亡などの場面では、怒りやおそれがおおいに役立つ。いわばぼくたちの心はまだ原始時代のままなのだ。
 現代社会は、ぼくたちの心にどんな進化をもたらすのか。若い人のキレやすさも進化かというのは短絡的で、進化というのはそのように個体で見るものではなく、未来においてキレやすい人たちの集団が生き残りそうじゃない人が滅びたなら、それは確かに進化だったと判断できるような、長い大きなスケールのもの。ぼくたちの心は、そんな長く大きな歴史を積み重ねて、いまここにある。

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22 comments to...
“進化する心”
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小橋昭彦

進化心理学の学会としては「人間行動進化学研究会」があります。長谷川教授ご夫妻が日本での先導役って感じで、たとえばそのサイトにある「認知発達研究における進化心理学の可能性」をご覧ください。また「心はどのように進化したか」の対談もおもしろいです。「森羅万象探究」も有益。その他、「社会構築主義と感情の社会学」「こころの適応と心理学0進化心理学入門」「適応主義の構造」もどうぞ。英語文献では「Center for Evolutionary Psychology」を。


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ギー

読みづらかった


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ミケ

小橋さん、こんにちは。いつも楽しく読ませていただいています。

今回のテーマについては、「心のあり方」とは「脳の働き」である、という前提で書き込みさせていただきます。

私は生物学を学んだ者ですが「心が進化する」という話には違和感を感じます。「社会の変化に応じて、心のあり方が変わってきた」と考えた方が素直な気がします。

「怒りや恐れのようにどちらかというと不都合な感情」、「確かに現代社会においてはマイナス」という考え方も、“マイナスなものは排除したい”という世の中の風潮から言って多数派の意見だとは思うものの、これらの感情は高等生物の持つ古い脳に共通する性質ですから、この部分を無くすと個体の生命維持をも危うくすると言われています(もちろん、ご存知だと思いますけど)。

また、「若い人のキレやすさ」ですが、これは新しい脳が、社会の変化に対応できるような適切なトレーニングを為されていないためではないかと思いますが。

※蛇足ですが、生物学で言う「進化」には、「進歩」の意味合いはないと思います。


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大島

>ギー氏

 どうして?
 何が読みづらいのかわからん。
 問題はあなたにあるとおもうよ。


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松本秀人

小橋様のコラムを読んで思い出したのですが、SFや映画、あるいはゲーム(RPG)などに登場する“未来人”って、感情が抑制的というか、なぜか冷静な人物のパターンが非常に多いですよね。
「文明が高度に発達すると、無表情・無感動になる」というお約束があるようで、“感情表現ばりばりの未来人”ってのが登場しないのが、なんとも興味深いです。


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匿名

ゾウの鼻が長いのは進化による、と単純に考えておられますが、一部進化は考えられるものの、言い切れるのでしょうかね?さらにこの考えを進めると、アメーバから進化したという極端な起点に行き着きますね。本当にそうお考えでしょうか?


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小橋昭彦

ミケさん、ありがとうございます。

心のあり方が、変化してきた結果であるというのは、ミケさんと共通して持っている認識ですね。それが適応を経た進化の結果か、心の側が社会にあわせて自ら変化してきたからか、というのは、おもしろい論点と思います。

これまで身体の形は自ら変えることはできませんでしたが、仮に遺伝子工学が進んだら、身体も進化ではなく自ら変化するようになる。心については、ひとあし先にそうなっていたのか、なんて空想も広がりますね。

ちなみに、「進化」が「進歩」ではない、というのはその通りと思います。そういえば最近流行の、「松井も進化している」なんて言い方には、まあ表現としておもしろいからオーケーとは思いますが(表現には自由がないとね)、厳密には間違った使い方ですね。


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小橋昭彦

ギーさん、ありがとうございます。それから大島さん、サポートありがとうございます。

ええと、拙文は学術的な内容も含め、かなり多くの情報を詰め込んでおり、初めての方には「難しい」印象も持たれることがあります。でも、何度か読まれるうちに慣れられるようです(または読まなくなっちゃうとか→それも自由)。

特に今回の「心の進化」というテーマは、一般的常識からは理解しづらい考え方なので、説明も苦労し、何度も書き直しました。確かに「読みづらい」ところがあったかもしれません。

ギーさん、具体的に指摘していただければ、今後の参考になりますので、よろしくお願いいたします。(大島さんのおっしゃる「問題」っていうのは、読み方のことじゃなく、書き込み時にそうした具体的なところも指摘しようねってことかと思います。)


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小橋昭彦

ゾウの鼻が進化か、ということについては、ごめんなさい、今は答えをだせません。他に何か説明をご存知でしたらぜひお知らせください。

「ゾウの鼻が長いのは進化の結果という考え方は受け入れやすい」のは事実だと信じますが、その考え方そのものの真偽は今回とはまた別の話になるので、いろいろ奥が深く……。そもそもダーウィン進化論への異議をとなえる研究者もいらっしゃいますし。

ちなみに「アメーバから進化した」というのも、進化の考え方からすれば、極端じゃないと思います。進化の系統樹って、原初の単純な生命からはじまって、そこにホモ・サピエンスも含まれてますよね?「The Tree of Life( http://tolweb.org/tree/ )」などおもしろいかも。


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kengo

秘密を共有したり危機的状況を共有すると
恋愛に陥りやすいというのを聞いたことがあります。(体験?・・・)

職場での恋愛や、学校などでも付き合っていることを
秘密にしていると2人の間では盛り上がるような気がします。

もちろんそれだけでは長続きするわけではないのですが。


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SJ

いつも楽しみに拝読しています。

上の方で読みにくいという投稿がありましたが、
「キレやすい人たちの集団が生き残りそうじゃない人が滅びたなら」
ここで引っかかりました。
読点が入っていたらよかったと思います。
ギーさんのおっしゃるのはもっと別のことかと思いますが。
語句の並び・テンの位置ひとつとっても、誰にも読みやすい文を書くというのはとても難しいものですね。
生意気なことを言って申し訳ありません。


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004

初めまして。
いつも「へぇ」とか「知らなかったー」などと思いな
がら拝読させて頂いています。

常々思うことがあります。近頃「キレやすい若者」と
いう表現が本当に頻繁に使用されていますが、本当に
最近の若者は「キレやすい」のでしょうか?

確かに物騒な事件なども多く、犯人は未成年だった、
という報道を度々目にします。
電車等のマナー違反・喧嘩も多いようで、注意を促す
車内アナウンスが流れる線もありますよね。

しかし、本当に「今の」若者「だけ」、「キレやす
い」が多いのでしょうか?
報道の仕方でそのようなイメージが定着しているとは
考えられないでしょうか?
今も昔もそういった性格を持つ人がいるということは
確かだと思います。
人々の感覚が敏感になっているのではないでしょう
か?
また、若い人に限られているのでしょうか?電車など
に乗っていると周囲の人に当たり散らしている中年の
方を見かけることも少なくありません。

私は、若者と言われる年齢ですが、「キレやすい」と
いう言葉に何だかしっくりきません。
「若い人」も、そうでない人も、今の社会でストレス
が多く余裕も持てず、穏やかでおおらかな心を持てな
いでいるから、そういう「キレやすい」状態になって
しまうのではないかと思うのです。若い人に限られた
問題ではないと思います。
そのことについて、色々調べてみようと思います。

ありがとうございました。
これからも頑張って下さい。楽しみにしています。


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いしだ たかし

 松本さんの未来人は理性的というお約束があるのではという指摘を見てつらつらと考えました。
 コンピューターが普及してマンマシンインターフェースと関わっている時間がマントゥマンのフェイストゥフェイスの時間より長くなると、機械と付き合うのに都合が良いように感情も進化したのではないでしょうか‥(^_^;?

 ウィンドウズがフリーズしてもいらいらしたりせず、冷静に再起動して中断した作業を再開できるような人しか生き残らなかった‥という推論はどうでしょうか。

 妄想的な雑文ですいません‥m(__)m

 ところで、今回が特に読みにくいかどうかですが、「心」というナイーブな問題を扱っているので、反発を感じられる可能性が高いという気はします。文章自体が特に今回どうこうということはないかと思います。


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小橋昭彦

今回は論点が多くって楽しいですね。

004さん、ありがとうございます。ぼくも書きつつ気にはなっていたのですが、一般的表現としてたとえに引用しました。ぼくとしては「キレやすい」というのはどうだろう、と思う部分はあります。

甘いものを食べていると我慢力がなくなる、といったような研究結果もあったようには思いますが、少なくとも若者一般をとりあげて「キレやすい」とくくってしまうような考え方は、好きではありません。これはまた機会があったらとりあげてみたいです。


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小橋昭彦

未来描写で感情が薄いというのも考えさせられるテーマです。おそらくひとつの下敷きになっているのが、科学の進歩だと思います。科学は感情ではなく理性の産物。だから人間も感情が薄くなる、といった連想がはたらいているようには思います。

その証拠(?)でもないですが、サイバーパンク系などで科学の負の進歩を前提(?)にした未来描写では、むしろ暴力が前面に出てたりしませんか?


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yosida shouta

始めまして、今日から講読させて頂く者です。映画脚本などを書くのが好きで、哲学に深い関心を持っています。

「日本にキレやすい人が増えている」と言うその原因は、「キレやすいと言う性格を持つ人が社会に認められてきている」と言う事からでしょう。逆に言えば「ある程度キレ易くなくては認められなくなってきている」と言う事です。

それはなぜか?と言うと「世の中にキレやすい人間が増えてきている」からでしょう。「周りがキレ易いヤツばかりだから、自分もキレ易くならなければ、痛い目に合うばかりだ」と言う訳です。だから「キレ易い事」が「正当防衛」として社会に認められるのです。

しかし、そもそもの発端はどこからか?と言うとそれは近年急激に推進した、「平等化」が原因によるモノだと思われます。階級が厳しければ、お偉いさんは偉そうにするし、「その下の者」はお偉いさんには頭を垂れる。しかし、「その下の者」も、「さらに自分の下の者」には偉そうにする。・・現在ももちろんその「上下の関係」と言う物は依然としてハッキリした物ですが、それでも年を重ねる事に微妙に希薄になってきていると思います。つまり、「誰が誰に頭を下げればいいのか分らない」から全員が偉そうにする。するとそれがまかり通ってしまう物だから、「キレ易いヤツが増える」のだと思います。

ダーウィンの進化論に「その時代に適合した者は生き残り、適合しなかった者は滅びる」とあります。このままでは優しい人間が滅びてしまいそうな気がします。誰かのセリフの「優しいだけでは生きていけないが、優しくなければ生きている価値がない」を心にとめたいと思います。

全く話は変わります。
「危機的状況下で男女が結ばれやすい」のは事実ですが「危機的状況下で結ばれた男女は別れる確立が高い」と思います。一時的な感情の流れで燃え上がった愛は、日が経つに連れ自分の心をがっかりさせる結果になる事が多いからです。地道な愛こそ、頑丈な愛でしょう。
「水は低きに流れる」恋人同士になったりする事も運命だし、そして別れる事も運命だと思います。だからと言って人生なんか慎重に行動したってしかたない。「let it be 」ですね。

今回のテーマは「心の進化」と言う事ですね。面白いテーマです。私は人類に無意味に「心の進化」をして欲しくないと思います。やはりどうせ進化するのなら「より善い物」に進化して欲しいと思います。それをなすには「心の文化」を後生に残す事だと思います。つまり私に言わせれば「いい映画を作る」と言う事になります。


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Y.Kubota

光と音の速度差以来2回目の書き込みです。

上の皆さんのコメントにもあるとおり、「切れやすい性格」については、社会的に受け入れられるかどうかがキモで、遺伝子的(脳の)進化というよりは、文化的な要素(Meme:ミーム)の進化というか変化によるところが大きいのだと思います。
進化論的に考えるのであれば、性格の多様化(これってそうですよね)が起こっているということは、その性格が淘汰されやすい条件となる要因がなくなった(または減った)のが原因ではないでしょうか。
「切れやすい」性格の人口がある比率以上になったときに、その集団が滅びる確立が少しでも高いなら、「切れやすい」ひとはある比率を超えないような歴史になるんでしょう。

また、元文章にあるとおり、人類の歴史は100万年分あり、ここ数百年で遺伝子的変化が急に起こるとも考えにくいと思っています。特に、(地球規模の)社会的交流の可能性が広がった現在、特異な遺伝子が(特に感情や情動に関して)選択的に残ることも可能性が低くなっていると考えます。
つまり、「怒り」や、「恐怖」がなくなるには、ずぅーっと長い年月が必要になると思います。それも、「怒り」、「恐怖」などが生きていくなり子孫を残すときに不利な環境が世界中の多くの場所で起こる条件ですが。

社会的に見た性格と、遺伝子的要因での情動を厳密には切り分けられないと思いますが、自分の中での怒りが、コントロールできるものなのか、抑えきれないものなのかを考えて損はないと思っています。

参考文献はたくさんあるのですが、正確なタイトル思い出せません。


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松本秀人

「キレる」という点については、「感情の段階的表現が不足しているのではないか」と思うことがあります。
つまり以前であれば、“肩が触れた→口論になる→つかみあいになる→(仲裁が入らないと)殴り合いになる”というパターンだったものが、いきなり“肩が触れたので殴る”人が増えたということです。
これは若者に限らないと思いますが、要するに負の感情を表現することに慣れていない、あるいは過度に抑制的になるため、それをはたで見ていると、「いままで無表情だったのに、いきなり怒り出した」ように見えるというワケです。
また、負の感情のやりとりに慣れていなければ、怒られるほうにしてみれば、怒られた内容より怒られたということそのものに拒絶反応をしめす(“逆ギレ”)ことにもなりがちです。
適度に怒り、適度に人に対して文句をいう、もちろん非常に難しいことですが、これを避けていく傾向が強まれば強まるほど、「キレる(ように見える)」人も増えていくのかもしれません。

あれっ、でも“抑制的”、“無表情”、これって“未来人”?


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u1

活発なやり取りに触発されましてコメントしたくなりました。
004さんの意見に賛同して私見おば。
切れやすいということ。
切れるというのは理由なく(少なくとも他の人にはわからない形で)怒り出すことだと思います。理由が理解できないのでそれは非常に唐突に発生するように思います。ですが、それは日本の文化です。皆さんは「子供の癖に!」としかられるシーンを知っているでしょう。でもそれは怒り出す理由としては論理的でなく非常に社会的な(年功序列と言う)理由です。これは、それを知らない人にはなぜ怒り出されたのか理解できないでしょう。つまりキレているのです。こんな風に頭ごなしに、非論理的にされる注意に対して自分の意見が正しいと思っている若者が「うるせーよ」という。すると一般的に若者はキレ易いとなるのです。日本人は相互理解というものを社会を通して行い、コミュニケーションを通して行ってこなかったので、社会の縛りがなくなると相互理解の不一致の原因を認識できなくなるのでしょう。大人が相互理解できていない問題を棚に上げて、キレるなんて言葉を作り間違った問題提示をするなんていうのはなんとも日本人っぽいやり方ですね。キレ易い人間が増えたのではなく、相手の気持ちを理解できない大人が増えたのが実際のとこでしょう。
社会を主体におけば、環境の変化に対応するための「進化論」は短いスパンでおきているように思いまが、そんな50年やそこらで進化は起きないんじゃないでしょうか。


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てるまる

こころの進化は遺伝するのだろうか?

人の進化の歴史は生命の進化の歴史からすれば極々まだ短いものです。
だから、結論はまだ未来にあるものなのでしょう。
それでも、他人との繋がりの中で僅かばかりでも心の進化を継承してきました。
で、現代、親から子へ心の継承はされなくなりつつあります。
それが、切れやすい子の発生などに繋がっている気がします。
底に穴のあいた器に、手の平でバケツリレーをするような行為が心の進化にはあると思います。


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PEI

「切れ易い若者」について、観察からの意見を書きま
す。
自分は、カナダに6年住んで、2001年の暮れに帰
国したのですが、以前と比べて切れ易い人が格段に増
えてますね。町を歩いていて、怒鳴っている人、クラクションを鳴らす頻度など、格段に増えています。
そこに年齢による差異は感じられません。若者の問題
でなく、社会の相互理解力が低下していると言うご意
見に賛成です。


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さと☆ひろ

なんか心にグッとくるいい文章だった。結構理論的な
文なのに心に響く。とてもいい文章だと思う。




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 悲しいから涙するのではない、涙するから悲しいのだ。心理学でジェームズ=ランゲ説を説明するとき、しばしば引き合いに出される表現だ。涙という生理的反応が直接悲しみという感情につながるのではないにしても、本質的には外れていないらしい。 よく知られた実験に、ダットンとアロンによるつり橋実験がある。つり橋を渡る男性の被験者に女性のインタビュアーが質問をする。さらに詳しいことを聞きたいときは電話して、と電話番号を渡す。安全なつり橋より、危ないつり橋で声をかけたときの方が、後から電話をしてくる男性の比率が高かったという結果。自分が揺れる橋にどきどきしていたのを、女性への心の高鳴りと考えて、より魅力的に感じたというわけだ。 バリンズは、自分の心音を聞かせながら、女性写真のうち好きなものを選んでもらう実験を行っている。このとき、偽の心音を聞かせてある写真のときに速くうたせると、その写真を選ぶ確率が高くなる。偽の心音でも、自分はその写真に興奮したと勘違いを起こさせられたという結果。生理的反応と心理的反応をつなぐのにあたって、生理的反応を認知する自分をおく考え方だ。 それでもやはり、感情とはそんなに単純なものかとも思う。思う一方で、セロトニンというホルモンの分泌が気持ちを落ちつかせるのに関係していると聞くと納得する自分がいて、それって結局生理的反応が感情に先立つと考えているということではないか、と自らの矛盾を笑いもする。 涙するから悲しいという表現は冷笑的だろうか。涙を流すことによってぼくたちが自らの悲しみを知るとすれば、ぼくたちは涙の数だけ、自分を見つけていることになる。涙を流すこと、悲しむことは小さな自分探しなのだ。小さな自分を重ね、明日を生きる勇気とする。そうであれば確かに、涙の数だけ強くなれるのだ、ぼくたちは。

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 1日に1000人。いま全米で心臓停止に見舞われる人数。生存できるのはそのうち3%未満とか。心臓は20分停止していても蘇生する可能性があるけれど、脳は血流が止まると5分前後でダメージを受け始める。脳の損傷を遅らせることができれば救命率もあがる。 米国の国立衛生研究所で研究が進められているアイス・スラリーという製品がある。冷却材スラリーを肺に注入、胸部を圧迫する。送り出された冷えた血液が脳の温度を下げ、脳細胞の壊死を遅らせる。このとき、体温は2度から6度まで下がるとか。患者が病院に搬送される頃には、ねばっとした液体だったスラリーは無害な塩水になっているので、吸引で肺から出すことができる。 血液そのものを媒介として冷やすアプローチになるほどと思いつつ、トナカイを思い出していた。胴体は毛皮に覆われているのに、脚は寒そう。あらためて考えると不思議だけれど、トナカイが氷の上にも立つことを思うと、よくできていると気付く。脚まで温かかったら、体温で氷が溶けてその場に凍りついてしまう。脚は冷えていた方がいい。ただし冷えた血液が胴体に回って体温を下げてはいけない。だからトナカイでは、胴体と脚の間にある動脈と静脈がすぐそばを通るようになっている。足からの冷えた血液は、そこで動脈を通る胴体からの温かい血液で温められた上で、胴体に返る。動脈と静脈で熱を交換し、熱損失が少ないようにしているわけだ。 手のひらを太陽にかかげて熱い血潮を見る歌があったっけ。保育園の頃に習い、お日さまに小さな手をかざして、ほんとうだって驚いた思い出がある。調べてみると「手のひらを太陽に」は、アンパンマンで子どもたちに人気のやなせたかし氏の作詞なのだった。手のひらの血潮から、みみずやおけらやあめんぼにまでいのちをみるやさしさ。そういえば、いのちの実感を伴う血潮という言葉を、ずっと使っていなかった。

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