小橋 昭彦 2003年5月12日

 悲しいから涙するのではない、涙するから悲しいのだ。心理学でジェームズ=ランゲ説を説明するとき、しばしば引き合いに出される表現だ。涙という生理的反応が直接悲しみという感情につながるのではないにしても、本質的には外れていないらしい。
 よく知られた実験に、ダットンとアロンによるつり橋実験がある。つり橋を渡る男性の被験者に女性のインタビュアーが質問をする。さらに詳しいことを聞きたいときは電話して、と電話番号を渡す。安全なつり橋より、危ないつり橋で声をかけたときの方が、後から電話をしてくる男性の比率が高かったという結果。自分が揺れる橋にどきどきしていたのを、女性への心の高鳴りと考えて、より魅力的に感じたというわけだ。
 バリンズは、自分の心音を聞かせながら、女性写真のうち好きなものを選んでもらう実験を行っている。このとき、偽の心音を聞かせてある写真のときに速くうたせると、その写真を選ぶ確率が高くなる。偽の心音でも、自分はその写真に興奮したと勘違いを起こさせられたという結果。生理的反応と心理的反応をつなぐのにあたって、生理的反応を認知する自分をおく考え方だ。
 それでもやはり、感情とはそんなに単純なものかとも思う。思う一方で、セロトニンというホルモンの分泌が気持ちを落ちつかせるのに関係していると聞くと納得する自分がいて、それって結局生理的反応が感情に先立つと考えているということではないか、と自らの矛盾を笑いもする。
 涙するから悲しいという表現は冷笑的だろうか。涙を流すことによってぼくたちが自らの悲しみを知るとすれば、ぼくたちは涙の数だけ、自分を見つけていることになる。涙を流すこと、悲しむことは小さな自分探しなのだ。小さな自分を重ね、明日を生きる勇気とする。そうであれば確かに、涙の数だけ強くなれるのだ、ぼくたちは。

6 thoughts on “なぜに悲しい

  1. このあたりの無意識の自分という存在については、以前も紹介しました、下條信輔氏の『サブリミナル・マインド』に詳しいです。ジェームス=ランゲ説ほか、情動のしくみについては「情動が起こるメカニズム」にも詳しいです。哲学的視点からは「感情は虚構か?」も注目。ちなみに癒しに関してはたとえば「癒しホルモン」などを。

  2. 小橋様
    静岡市に住む者です。
    「なぜに悲しい」の主題に直接関連しませんが、小橋様
    はマーケティングの専門家でおられますので以下私の「
    悲しい噺を」・・・

    ●企業の「お知らせ」の悲しさと貧しさ

    昨日(5/11)朝日新聞12版35ページにイオン株
    式会社がキューピー株式会社へ製造委託したマヨネーズ
    の一部に製造パイプラインに使用されているゴム製パッ
    キンの切れ端が混入している可能性が判明しました・・
    との広告が掲載されていた。

    ・文章は慇懃を極めて長い。
    ・しかし文字はこれ以下にしたら読めないと思われるほ
     ど小さい。

    同じ日の29ページにキューピーマヨネーズの「第26
    回全日本おかあさんコーラス」の全面広告がある。

    ・企業ミスと企業メセナがたまたま同じ日(日曜日)に
     掲載されてしまった?
    ・メセナを大声(全面)で謳い、お詫びは消え入る如く、
     まるで消費者から言ってくる前に<自主的>と言わん
     ばかりに・・・
    ・おそらく出荷後、工場から伝達された情報でしょう。
     キューピー本社が知らないはずはない。

    涙はでないが、怒りと悲しさ、そして貧しさを感じまし
    た。

  3. 小橋様

    いつも、楽しみに拝読いたしております。
    更年期も近づいたせいか、「感動」しても涙がでます。
    でも、もしかして、「感動」は「悲しみ」の一部なのでしょうか?

  4. 先日は、お返事をありがとうございました。
    若い時、人前で涙することが恥ずかしくグッと我慢していたことを思い出しました。何年前からか怒りと悲しみ、悔しさの涙は人生の肥やしに・・・  感動の涙は若さの秘訣と思い、人前でも平気で涙するようになりました。果たしていいことなのかどうか?
    ただ単に年のせいで涙腺が緩んできただけかも・・・

  5. ぼくは嬉し涙の経験が多いです。同じ涙でも「悲しみ」ととらえたり、「喜び」ととらえたり。ほんと、不思議です。

    つり橋実験を知ったとき考えたのも、橋の向こうにいたのが女性じゃなく怪しげな人だったら、やはり危ないつり橋の上にいた人のほうがよけいに恐怖感を感じたのだろう、ということでした。同じ「どきどき」でも解釈が違ってくるだろうなあと。

  6. 小橋様
    最近読み始めさせてもらいました。
    とても興味深い話ばかりで楽しませていただいています。

    悲しみの涙についてですが、
    「悲しいから泣くのではなく、悔しいから涙が出るん
    だ」という言葉を(誰のか忘れましたが→武田てつやだ
    ったような)思い出しました。私はわりとなるほどと思ったのですが、つまり別れのシーンで涙するのは別れが悲しいからではなく、会いたい時に会えなくなるのが悔しくて涙が出るんだと言うわけです。確かに悔しくない別れは祭りのあとのような寂しさを感じるだけなのかなとも思います。
    私は思うのですが、感情の定義なんていうのは実際感じているよりずっとあいまいなんじゃないでしょうか。科学的には同じようなホルモンの分泌でしかないのに、私の想像する「悲しさ」と他の人が想像するものとは全然違ったりしている気がします。(しかし、さらに科学が発達するともっとはっきり同じだとわかってしまうのかもしれませんが)。
    でもきっと、なぜ人はそれぞれある状況下である事象を認識するとうれしかったり悲しかったりするのかは、ずっとわからないままなのじゃあないのでしょうか。で、それこそが自分が自分であることを証明してくれている。
    そんなことを考えました。

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