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ちょっと知的な雑学&トリビア

音階

2003年4月07日 【コラム
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 モーニング娘。の「恋のダンスサイト」がアラビア音階だと話題になったのは何年か前だったか。アラビア音階といっても100以上あるというから、ここではアラビア音階風というくらいの表現にしておこうか。
 家にオルガンが置いてあって、もうすぐ5歳になる長男もよくそれを弾いている。「ウルトラセブンの終わりの歌」とか言って適当に弾いているのだけれど、考えてみれば彼の創造性も、しぜん鍵盤の世界に添ったものになる。世界には西洋音階と違った音階もあるわけで、たとえば琉球音階をピアノで弾くならドミファソシド、都節音階は左から弾くときはミファラシレミ、右からならミドシラファミになるとか。そんな鍵盤なら、彼はどんな音楽を奏でるのだろう。
 そういえばオルガンを使っている以上、どうしたって弾けない音もある。アラビア音階がそうだし、琴で出る音だってそうだ。そういう意味では、なにかひとつの楽器を選びとったとき、ぼくたちは濃密な音世界を、ある基準で切って選びとっていることになる。もちろん、だから何かを捨てているという意味ではなく、音楽が単音ではなくつながりでできている以上、わが子に琴を持たせれば、それはそれなりの「ウルトラセブンの終わりの歌」が生まれるのではあろう。
 ちなみに、それは言葉にも言えることで、同じ透明な液体を「water」と一表現でまかなう言語もあれば、「水」と「湯」に分ける言語もある。いや、同じ日本語でも、ぼくにとって「コラム」という単語は自らも書く意味を含んだ単語だけれど、あなたにとっては主に読むものという単語かもしれず、受け取るイメージはやはりずれている。
 そのずれは結局その人が生きてきた積み重ねそのものだ。そういう、少しずつずれた言葉を用いながら、ぼくたちは自分の生きてきた積み重ねと相手が生きてきた積み重ねを交換している。人と会話をしていて、ぼくはときどきそんな思いに、心を震わせていることがある。

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8 comments to...
“音階”
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小橋昭彦

音階」が参考になります。また、音楽学の山口修教授による「弦が奏でる心の音色」もどうぞ。なお、後半の言葉に対するとらえ方は、やはりソシュール言語学以降の思想に触れるとより深まりますね。ぼくは『言葉と無意識』などをはじめとした丸山圭三郎さんの思想に影響を受けた部分が大きいです。


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小橋昭彦

ホヤ、ウニ、ミツバチ、カイコなどゲノム解読計画続々(朝日2月9日)。京都内でも地域ごとに京都弁に差(日経1月3日)。先斗町はポルトガル語(朝日8月13日)? 5億年前から生息しているウミユリ(日経1月9日)。犬語は万国共通(朝日11月28日)。日本で初めて缶詰が商業生産されたのは1877年(日経7月31日)。アフリカの原人、170万年前には東南アジアに到達(日経9月22日)。内にためた怒り、高血圧に悪い(朝日1月24日)。食物繊維、大腸がんには効果なし(朝日10月2日)。バナナ輸入の自由化は1963年(日経3月5日)。


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みおく

音階にも平均律と純正律があります。同じドレミファソラシドでも、音の高さが微妙に違うのです。それぞれの単語でキーワード検索すると、詳しいサイトが見つかります。参考まで。


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総裁

みおくさんのおっしゃるとおり12音の音階にもいろいろと種類がありますが、こと平均律が面白いのは「どの調でも使えるようにしたため、どの調でも正しく響かない」という点でしょう。


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MAX

たぶん一人ひとり違うドレミファソラシドをもってるんですよね。
人の数だけ、ドレミの音階があって、
でもハーモニーになったときにはそれがうまく共鳴して倍音を出して
その結果人を感動させるんだから、
音って不思議です。

私個人はラジオの朗読が大好きなのですが、
あれもその朗読者の声の醸し出すハーモニーに聞きほれてるんですよね。

テレビではなかなか味わえない、クラシック音楽を聴いているときの気分です。

ちなみに「シャープとフラットは違う音だ」といわれています。
「どの調でも使えるようにしたため、どの調でも正しく響かない」と↑にありますが、
まったくその通りで、その微妙さの中に醍醐味を感じます。


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kaz

 言葉の話、とっても納得です。その人の言葉はその人にとって歴史であり身体であると思います。
 これからも、雑学コラム頑張ってください。


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nakaji

音楽を音階で示すのは大変難しいようです。
古賀政男の楽譜には細かな表現が書き加えられているそうです。音程を揺らしたり、フェードさせたり、ファルセットに切り替える事が指示されているそうです。ガムランなどの場合だと達人は無限に近い倍音発生のコントロールもできるようですし。
難しいのは言葉で感情表現するのと同じですよね。


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匿名

べつうに無し




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Your Comment:

 その昔、お箸を持ち歩いていた。持ち箸そのものの環境保全効果というより、宴席などで箸を取り出したときの会話が地球環境の話につながることを期待していた。箸を持ち歩くことで、みずからの日々の生活も少し、環境に気遣うスタイルになったように思う。 箸を持ち歩くように、自己像を操作する。それがフリであると承知していても、呈示した自己像に自分自身を合わせていく、ひとにはそんな側面がある。専門用語で言えば、これをキャリーオーバー効果という。偽りの自己だったものが、ほんとうの自己に影響を及ぼす。美化推進運動への署名に協力したあとでは、自分の庭に交通標識を立てる依頼に応える人が増えたという研究もある。署名することが公共活動に積極的という自己への思いを生み、庭に標識を立てることでも許諾してしまうのだ。 あるいは馬券。馬券を買った人は、買う前より自分の買った馬が勝つ可能性を高く評価する。勝つ可能性を高く評価するから馬券を買うのではなく、馬券を買ったから高く評価するわけ。あるいは、仕事への満足度は、報酬の高い人より低い人の方が高い、という結果もある。これはつまり、仕事を続けていることと報酬が低いことの間にズレがあるのだけれど、このズレを仕事に満足しているからだと思うことで埋めているわけだ。 こうして人は、自らの思う自分と、現実の自分との差を埋めようとする。意識的にするのではなく、無意識に。キャリーオーバー効果を生む背景としては、このほかにも、コミットメント説といって、他者に示した自己像を変更することで社会的評価を下げるのを避けようとするために自分を変化させるという説もある。 ぼくたちは、自分で思っているほど自分のことを知らない。何気なく口にしたことに引っぱられて、自分は変わっていく。だから。同じ口にするなら力強いひと言を、同じ描くなら明るい明日を、描こうと思うのだ。

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 消費者の心を動かす技術を研究した定番書にチャルディーニの『影響力の武器』がある。「返報性」「好意」「希少性」など7つのテクニックが心理学実験や観察記録などをふまえて解説されている。そのひとつに「権威」があって、ずいぶん考えさせられた。 ミルグラム博士による有名な実験がある。被験者は教師と名乗る人物から、実験室内の生徒に問題を出し、間違えたら電気ショックを与えるように言われる。電圧は間違えるごとに上げる。生徒は電圧が上がるたびに苦しみ止めてくれと懇願する。しかし教師は続けろという。苦しむ生徒を見つつ、続けるのは何人か。多くの人は100人に1人、あるいは1000人に1人と予測。ところが実際には、3人に2人までが研究者が実験の終了を宣言するまで、電圧を上げ続けた。教師という権威に従ったのだ。この報告はアイヒマン実験として知られ、ぼくたちが強制収容所でユダヤ人虐殺を担当したアイヒマンだったらどうするか、という重い問いを投げかけている。 もう少し日常的な例では、ホフリング博士らが病院で行った実験がある。電話で「医師」と名乗る人から指示された明らかに誤っているとわかる投薬でも、看護婦の95%はその通りに患者に投与しようとしたという。この効果は、権威が証明されなくても、架空とわかっていても生じる。今ならドラマ『ザ・ホワイトハウス』で大統領役をやっているマーティン・シーンのひと言に権威を感じるのもそうした効果で、CMでも使われる手だ。 自分は権威に従わないと言えるだろうか。アメリカの大統領選では、1900年以降8割を超えるケースで身長の高い方が勝っているという事実もある。大きなものや権威のあるものに逆らわないのが、生物としての生存本能だったとすればどうか。あるいはぼくたちヒトは、本質的に誰かに頼って生きてきた弱い命だとすれば。権威を前にするときぼくたちは、よほど力を入れて精いっぱい胸張って、じぶんの心でたたかわなくてはならないのだ。

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