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ちょっと知的な雑学&トリビア

トンボの眼鏡

2003年2月27日 【コラム
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 トンボの眼は複眼であると理科で習って、悩まれたことはないだろうか。トンボには世界がどう見えるだろうと。いくつもの像が万華鏡のように見えるのだろうか。その答えは、簡単には見つからなかったと思う。動物心理学者のロイド・モーガンが唱えた公準というのがあって、動物の行動を人間の視点から解釈することを戒めている。餌を見て鳴いているだけなのに、自分への愛情表現だと考えてしまうような過ちをするなってことだ。
 情報処理機関である脳が違うんだから、見え方を想像しても仕方ないというのは一理ある。でもトンボの視界を想像するところに科学のおもしろさがあるはずでもあり、もっと踏みこんでほしいとも願う。そんなところに、認知心理学の鈴木光太郎教授による『動物は世界をどう見るか』を知り、興味深く読んだ。
 結論からいえば、トンボだって世界はひとつに見えているはず。眼が二つある人間でも像はひとつだ。ただ、解像度は人間の100分の1程度なので、仮に人間の眼をトンボの複眼で置きかえるなら、最低でも直径1メートルくらいが必要という。
 ミツバチの視覚実験もおもしろい。さまざまな色の台紙と餌場で実験したところ、同じ白い紙なのに結果が違う。ミツバチは紫外線を見ることができるとわかって謎は解消。同じ白紙でも紫外線の吸収率が違っていたわけだ。ところで、ミツバチは紫外線「も」見えるのではなく、人間とずれていて、逆に赤が見えない。とすると、ミツバチにとっての色ってどう見えるのかと気になる。人間の黄色はミツバチにとっても黄色なのか、それともずれる形で赤なのか。紫外線は何色なのか。
 モーガンの公準はこうした問いを避けることを薦めるけれど、鈴木教授は補色と色円環の考え方をふまえ、赤ではとあえて推測する。それが小気味いい。相手の立場になって想像するっていうのはぼくたちだからできることだし、科学論文はともかく、日常生活でペットの行動に愛を見たって不都合はないよね。

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9 comments to...
“トンボの眼鏡”
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小橋昭彦

その他、詳しくは「新潟大学人文学部」鈴木光太郎教授の『動物は世界をどう見るか』をどうぞ。この分野の古典としては、「環境世界」という言葉を提唱したユクスキュルの『生物から見た世界』があります。


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山本 淳

今回の記事とはまったく関係はないのですが、
かれこれ20年ちかく『とんぼのめがね』という
ハンドル(昔はペンネーム)を使っています。
ラジオへの投稿とか...。


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十倉 清宏

 5歳違いのビーグルをカップルで飼っておりました(室内で)。愛とは表現し難いのですが、年上のオスがメスをかばい、見守る雰囲気を感じました。曲がり角では左右を確認するし、他の犬からメスを護る姿勢は、ずっと持っておりました。そのくせ時には、何に気に入らないのか、突然噛み付かれて、悲鳴をあげているのです。老衰したオスが亡くなって約4ヵ月メスが二匹分甘えるようになったほか、道路での警戒姿勢はきっちり引き受けております。うちで生まれた子犬が一匹で、極端に甘やかされて大きくなって、自分を人間と思い込んでいるのと大きな違いを感じております。 dotao


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JOMI

小学生か中学生のとき、「犬の視覚は白黒」という話を聞いて、「そうか、今見えているこの世界(と思っている像)が絶対的なものではないのか」と初めて思ったことを思い出しました。
人間の目には見えないので三次元空間と捉えるものの、そうした構造を持った存在があれば、時間のながれという四次元目も見えるのかな、とか。

今自分にとって絶対と思えることも、必ずしもそうではないことを忘れてはいけないと、年を重ねるにつれてより強く感じております。


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F.K

複眼で見ると言うことは複数に見えるのではなく、様々な角度からその物体を見るということであり、集められた情報を脳の中で計算することによって、空間での位置を特定し識別するのに有利です。
だから昆虫は飛んでいる虫を素早く認知して食べることが出来ます。
神の素晴らしい想像のみ業であると言えます。
人間のDNAも30億の塩基からなりその遺伝情報はまだ謎に満ちています。
神のプログラムの素晴らしさをかいま見る今日この頃です。


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小橋昭彦

JOMIさん、ありがとうございます。

鈴木教授の著書によると、イヌは色覚を持っています。ただ、人間と違って2色から判別します(2色しかわからないという意味ではありません→人間は3色からです)。ゴキブリやザリガニなども持っています。タコは色がわからないようです。


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うり助

例えば「葉っぱは何色?」と質問すれば、みんな「緑色」と答えるでしょう。
しかし、各個人が緑色を本当はどのように感じているかは確かめようがないですね。私が「緑」と感じているものを、他の人は私でいうと「赤」と感じているものを指しているのかもしれない。要するに、人によって見え方が違うのかもしれません。
私は色覚異常なので、みなさんの本当の色の見え方に大変興味があります。


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小橋昭彦

うり助さん、ありがとうございます。

加えて、文化的な背景もありますね。虹の色も、ニュートンに影響された今こそ7色が主流ですが、民族によってはもちろん、5色、あるいはその他の色数と答えるところもありますから。

けっきょく、「本当の」色の見え方なんて、ないんでしょうね。色覚については健常なぼくと妻の間でも、ぼく「赤だ」妻「茶色やん」なんてことは、日常茶飯事です。


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中猫

鈴木教授の推測は、とくにモーガンの公準に反しているというわけではないようにも思います。




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 人間の眼が、明暗に比べて色合いにおおざっぱなのは、それぞれを担当する視細胞の違いによる。色を見分ける錐体細胞は網膜上に650万個、輝度を担う桿体細胞は1億2000万個。数だけでもこれだけ違ううえに、錐体細胞は明るいときを中心に働くようにできている。 配置にも違いがあって、錐体細胞は網膜の中心部に集中しているのに対して、桿体細胞は周辺部にも手厚い。考えてみれば、敵にしろ獲物にしろ、見分けるために必要なのは迫りくる陰といった情報なわけで、色はその次でいい。野生の名残といえるだろうか。 敵や獲物といえば、たとえ視野の周辺でも、動いていると気になるのも、これに関係がある。動くものは敵あるいは獲物の可能性があるわけで、だからこそ敏感。考えごとをしているときに目の端でちらちら動くものがあって気が散る、あれは知的活動と野生がたたかっているのか、なんて考えると楽しい。 夜によく見えないのが鳥目。確かめると、フクロウのような夜行性の鳥は別にして、昼行性の鳥には錐体細胞しか持たない種が多い。暗がりに弱いのも道理。それではと魚を調べる。こちらはどちらの細胞も持っている。腹が白い理由も明暗で説明されていて納得。太陽がさして腹側が暗がりになったとき、その反対の側である背が影のように黒ければ、全体が平板に見え敵に目立たない。カウンター・シェーディングといわれる方法。明暗を利用して身を守っているわけだ。 ここで再びヒトに戻る。ヨーロッパの人々の眼が青いのは虹彩という部分にメラニン色素が少ないため。日本人に比べて眼そのもののサングラス効果がなく、まぶしさに弱い。ひるがえって日本人は、まぶしさに強い眼ゆえか、夜に明るさを求め、色合いにこだわる。『陰翳礼讃』は谷崎潤一郎、漱石にも『明暗』と題した未完成作品があった。いまのぼくたちはどうだろう。心のヒダってのは、明暗でつかむもののような気がするけれど。

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