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ちょっと知的な雑学&トリビア

新しい言葉

2002年11月21日 【コラム
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 創刊号の復刻版につられて購入した現代用語辞典。1948年版というから、戦後3年目。内閣用紙割当の都合で語数を減らしたとある。時代の空気を想像しつつページを繰る。と、政治用語の解説に「複雑怪奇、臣道実践、承諾必謹などという政府の造語は」とあって手を止めた。複雑怪奇が政府の造語とは。
 調べてみると、なるほど、1939年に組閣された平沼騏一郎内閣が、独ソ不可侵条約の締結を受けて「欧州情勢は複雑怪奇」と声明を出して辞職している。当時の流行語というから、吉田茂の「バカヤロー」並みか。知っておくべきだった。
 さらに復刻版を眺めていくと、1946年にチャーチルが使って広まった「鉄のカーテン」という言葉もはや収められている。冷戦時代を象徴するこの言葉、ぼくが10代の頃まではナマの手触り感があったけれど、いまでは死語になったと感慨にふける。
 野球用語では「リード・オフ・マン」が項目にあげられており、説明文に「トップ・バッターともいう」とある。その後はむしろトップ・バッターが一般的に知られ、リード・オフ・マンは、イチローが大リーグに挑戦してあらためて日本に定着した気もするのだが。
 Planetを東京大学系では「惑星」、京都大学系で「遊星」と呼ぶともある。いま一般には惑星の方が使われるが、これはその後の研究の流れと関係があるのかどうか。
 そういえば明治時代はじめの学生は「自由」「義務」なんて新漢語をかっこよさげに使っていたそうだし、いまではIT革命などと普通に使われる「革命」も、時代によっては生臭いイメージがあったろう。言葉は時代とともにあり、日々新しい。新聞だけでも毎日10前後の新語が見つかるというから、若者だけではない、大人だって新しい言葉を利用したがるわけだ。
 言葉は、概念や認識とともにある。言葉の乱れを嘆くのも無益ではないけれど、怖いのは、言葉を否定することで、その言葉で伝えようとする思いまで封じることなんだろうな。

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3 comments to...
“新しい言葉”
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小橋昭彦

まずは『現代用語の基礎知識』を。コラムで触れた創刊号復刻版のほか、風俗・芸能グラフィティも、ものを書く上で便利です。以前のコラムとは「いましか、言えない」。複雑怪奇は「20世紀 ことばの記憶」も参考に。新語というと若者言葉を連想しますが、若者言葉については「甲南大学 都染研究室 キャンパスことば分室」「けとば珍聞」「サブカルチャー言語学」などをどうぞ。また、「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」が定番です。


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いしはら

惑星と遊星が同じものだと知りました。
興味が湧いたのでネットで調べたところ、
こんなサイトを見つけました。

赤い惑星・火星
惑星と遊星はどう違う? http://www.geocities.co.jp/Athlete/2383/hanasi/yuusei.html


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小橋昭彦

いしはらさん、ありがとうございます。じっくり読んでしましました。




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 江戸時代に発展した日本独自の数学、和算。代表的な名をあげるなら、17世紀に活躍した関孝和だ。彼が行列式の理論を記した「解伏題之法」を表したのは1683年で、ライプニッツより早い。その弟子建部賢弘が「綴術算経」を時の将軍、吉宗に献上し円周率を42桁まで正しく求めたのが1722年。これまたオイラーがπを採用する1737年に15年先立つ。 江戸時代に和算が発展したのには、「塵劫記」というロングセラーの役割が大きい。その巻末には、解答のつかない12題の問題がついている。これができない人は教えるなという意図があったようだが、後代の人はそれを解き、さらに自分で問題を追加していった。「遺題継承」と呼ばれるこの習慣が、和算のレベルを向上させていく。 それにしても、絵馬の代わりに数学の問題と回答を掲載した「算額」が神社に奉納されてもおり、和算がいかに重宝されていたかがしのばれる。まあ、重宝されるといっても、年貢計算など実用面で役立つ一方で、遊びに近い部分もあった。ねずみ算などは遊び感覚を取り入れたいい例だろう。 ねずみ算といえば、時代をさかのぼり、豊臣秀吉から欲しいものをやると言われて答えた曾呂利新左衛門の逸話も知られる。将棋版を指して「今日は一粒、明日二粒、三日目は四粒と、前日の倍にして盤の目の数、81日分の米粒をいただきたい」と答えたと。おやすい御用と受けた秀吉。さて実際にやってみると、日本中の米を集めても足りなくなる計算。 奈良時代にさかのぼり、当時の教科書「孫子算経」にもおもしろい問題がある。「29歳で9月に妊娠した女子が生む子は男か女か」なんて質問が通常の問題に混じっている。なにやら計算して、結果が奇数だから男と。算術が呪術と近かった時代。教科書の名にあるように、「経典」と同類なのだ。 そういえば、小学生時代の算数で今も驚いた記憶があるのは、円周率にきりがないと聞いたこと。数字に自然の魔力を感じて、妖しかった。学問を、必要以上に世の不思議から切り離すことはない。

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 蚊について書いたところ、西ナイルウィルスが心配ですねと投稿をいただいた。米国で社会問題になっているとも聞く。ちなみに米国が蚊による伝染病の危機にさらされたのはこれが初めてではない。かつて黄熱病に襲われた時の記録は、いまも公衆衛生上の大事件として残る。1793年、フィラデルフィア。夏の間に猛威を振るった流行病は、5万5000人の住人のうちおよそ5500人の命を奪う。じつに10人に1人。 当時は黄熱病を伝染させるのが何か、わからなかった。蚊は一生に一回しか人を刺さないと信じられていた。蚊が病気を媒介するという説を唱えたベネズエラの研究者が狂人扱いまでされているほど。 蚊と病気のつながりを最初に発見したのは、象皮病を追っていた英国のパトリック・マンソン。1875年に死体からフィラリアを発見、さらにフィラリアを血中に持つ庭師に蚊のいる部屋で眠らせ、彼の血を吸った蚊の中からフィラリアを発見する。もっとも彼も蚊は二度も人を刺さないという常識にとらわれていたため、蚊の死骸が飲み水に落ちるなどして感染するのだろうと結論付ける。 その後蚊と感染症の関係はマラリアの研究で進展を見せる。1880年、フランスの軍医ラブランがマラリア原虫を発見。1897年に英国のロナルド・ロスが蚊がマラリアの運びやであることを発見する。ちなみに当時はといえば、ノーベルが1896年に死亡、史上最高額の賞金のついた賞を創設すると彼の財団が発表した時期。誰が発見者かをめぐって確執があった様子。先陣争いならともかく、愛憎うずまく人間模様。最終的に第2回の医学・生理学賞をロスが単独受賞しているが、もともとは共同受賞者の名があったともいう。 蚊と人類の長い闘い。その裏では人間同士もけっきょくは争っていて、なんだかちょっと哀しくもなった。

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