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月への落し物

2002年9月23日 【コラム
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 米国のアマチュア天文家が発見した物体が、アポロ12号のサターンロケットの3段目であることが確認された。J002E3と名づけられたこの天体は、31万キロから84万キロという卵形の軌道で地球を回っている。月までの距離が約38万キロだから、月より遠くなったり近くなったりというところ。
 軌道を計算したところ、2002年春までは太陽を回る軌道にあったことがわかった。さらに遡ると、1971年3月に、地球付近の軌道から離れたらしい。同じ大きさの飛行物体の調査や、色と塗料の一致から、1969年11月に月に向けて離陸したアポロ12号で利用されたロケットの3段目であるとみられている。
 仲秋の名月の夜、アポロ12号の落し物について思いをはせながら、夜空を見上げる。J002E3は、1年もしないうちに太陽軌道に戻る可能性が高い。30年あまり前、人類を月まで送り届け、その後太陽系を旅していたJ002E3。それが地球軌道に戻ってきたとき、しかし、人類は月より遠くには達していない。せいぜい地球上空400キロを行き来しているだけ。
 1960年代半ば、アポロ計画の前提となっていたコンピュータのメモリ容量はわずか32キロバイト。月着陸ミッションは、わずかなメモリにプログラムとして記録されていた。当時と比べ、情報機器は天と地ほどに進歩した。だけど今、1961年にケネディが行った演説「60年代の終わりまでに人間を月に送る」のように、大きなビジョンを語り、推進できる人はいない。経済が、時代が、あるいは科学のあり方が違うという背景もある。
 1968年のクリスマスイブ、初の月周回軌道にあったアポロ8号の宇宙飛行士ジム・ラヴェルの妻マリリンは、心配から心細さを感じつつ訪れた教会からの帰り道、ふと見上げた空に三日月を見ている。「ジムは確かにあそこにいる」と彼女は思う。今から30年後、J002E3はふたたび地球をめぐる軌道に戻ってくる可能性がある。そのとき、人類はどこまで到達しているだろう。マリリンのように天体を見上げる人がいるだろうか。仲秋の名月は、うす曇の向こうに隠れ、かすんでいた。

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2 comments to...
“月への落し物”
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小橋昭彦

J002E3については、NASAのニュースリリース「First Confirmed Capture into Earth Orbit Is Likely Apollo Rocket」や、より詳しくは「Near-Earth Object Program」を参考に。日本語資料では「横浜こども科学館」が充実しています。月については、たとえば「月探査ステーション」もどうぞ。また、近年のスペースシャトルについては「スペースシャトル」がコンパクトにまとまっています。シャトルの軌道高度ってわずか300キロから400キロ程度です。


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kajikawa kiyosi

必要経費税と逆人頭税による
愛情主義経済があれば、欲しい




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 日本における科学としての考古学は、1877年に行われたモースによる大森貝塚の発掘にはじまるとされる。茨城県立歴史館の特別展の案内に、徳川光圀、いわゆる水戸黄門さんが発掘をしていたとあって驚いた。1692年のことだから、モースに先立つこと200年。家臣に命じ古墳を発掘、近くにある石碑との関係を探った。出土品を絵図に記録したのち、埋め戻してもいる。日本人初の考古学者といえるかもしれない。 世界の考古学について調べてみると、本格的な考古学的方法をはじめてとったのは、ドイツ人のウィルケルマンによる「古代美術史」という。文献ではなく作品自体の観察にもとづいて、ギリシア・ローマ美術の様式的発展を説いた。これが1764年のことだから、光圀はそれに先立つ。もっとも何ごとにも例外はあるもので、小学館の百科事典には紀元前6世紀に新バビロニア帝国のナブナイド王が神殿を発掘した例も紹介されている。あとが続かなかったので、黄門さんともども、早すぎた先達といえようか。 モースのアメリカには、コロンブス以前のアメリカ大陸の住民を調べる考古学があって、アメリカニスト考古学と呼ばれ特殊な位置づけにある。旧大陸をフィールドとする考古学と違って、歴史学の一環ではなく、人類学の一分野という位置づけだ。現代と過去がどうつながっているかの違いが、こうした違いを生んでいるともいえようか。 広瀬正に、「もの」と題する作品がある。未来の考古学者が現代のあるものを掘り出し、それが何かを喧々諤々する。武器か、食器か、仮面か。何ということのない日用品なのだが、ある器官が退化した未来人には、想像もつかないのだ。考古学における解釈の重要性を感じさせるショートショート。 人類が存続していたとしてだが、おそらくは1000年後にもまた考古学者がいて、ぼくたちの生活を掘り起こしていることだろう。彼らにとってぼくらが見慣れている「もの」はどう見えることか。ときにそんな想像も楽しい。

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 兵庫県立人と自然の博物館の河合雅雄館長が、野生マウンテンゴリラの観察中、怒ったオスに突撃されて命を落としかけた経験を紹介していた。セットしてあったビデオをあとで確認すると、必死の形相だったかというとさにあらず、顔は笑っていたという。 それを読んでいて、桂枝雀の「緊張の緩和理論」を思い出していた。「くるぞくるぞ」「なんだなんだ」と緊張を高めて、「そんなアホな」と緩和する、そんなとき人は笑うと説く。ゴリラに襲われる瞬間を恐怖の到来と見るのではなく、「気をつけろ」というそれまでの緊張状態が「出た!」と一気に緩和されたと考えれば、なるほど、ここに笑いが生じるのが説明できると思った次第。 枝雀は、自らの理論をもとに落語のオチを4分類している。「合わせ」「へん」「ドンデン」「謎解き」だ。駄洒落でもいいのだけど、合いそうにないものが合う「合わせ」、話が極端な方向へずれる「へん」、どんでん返しの「ドンデン」、なるほどとひざを打つ「謎解き」。いずれも聴いている側の気持ちを高め、それから緩和させる手法。 ちなみに、古典的な理論では落語のオチは「しぐさ落ち」「とたん落ち」など10種類あまりに分類される。形式に注目したもの、しくみに注目したものなど分類の視点が一環していないと指摘し、観客の心理の動きに合わせて分類したのが枝雀理論だ。 ぼく自身、文章を書いていて、できればニヤリとくらい笑ってもらいたいと思うのだけれど、笑いは難しい。参考にとアメリカン・ジョークを眺めれば、「へん」に分類できそうな、おしゃれなものが多い。たとえば、飛行機内で騒ぐ子どもを叱っていた客室添乗員が、いつまでもきかないので、「外で遊んできなさい!」。レストランで「君、ハエが入っているじゃないか」「お客様、ご安心ください、ハエの代金は頂戴いたしません」。 考えてみると、緊張を高めるには自らの土俵に引き入れて語るだけの度量と魅力が必要なわけで、どうやらぼくにはそれがない。落とすには自らを高めねばならぬ。

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