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ちょっと知的な雑学&トリビア

ムダ

2001年1月25日 【コラム
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 スピードや効率が叫ばれる時代だからだろうか、「ムダ」がなんだか恋しい。何もしなくていい春の午後、草にのんびり寝そべって、空を見上げていた少年時代を思い出す。
 類焼見舞いに来てくれたとあるプログラマーに今なにやってるのと聞くと、「役立たないムダなプログラム作ろうと思って」と言う。徹夜でやっていてふと気づくと役立つものを書いてしまっている、これはいけないと削除する。そんな話。冗談かとも思うけれど、そんな考え方はなんだかすてきだ。そもそも、このコラムだって雑で役立たない、が本来の主旨。
 とはいえ、税金をつぎ込んでいる研究に「ムダ」があるのはいただけない。総務省の行政監察の結果、そんな研究が旧農水省管轄下の7研究機関で37課題あった(朝日12月18日)。別々の機関で同じ研究をしていたり、緊急性・必要性が高いとは思われない研究があったり。
 たとえば「ニガウリ等のつる性野菜・花き栽培が屋内環境に及ぼす影響」という研究がある。結論は、「日よけになる」。いや、笑い話ではない。研究に従事した人にはそれなりの理屈もあるのだろうけれど、さて、あえて調べるほどのことなのかどうか。
 ムダの無い世の中は息苦しそうだけれど、せめて自分の懐、時間をつかってにしないとね。

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8 comments to...
“ムダ”
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小橋

行政監察結果は「行政評価局」にて。


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小橋

今日の没ネタ。中年にかかるとよくできる首にできるつっかい棒のような小骨、首を下に曲げる動作を繰り返すことでできる(朝日12月18日)。がん予防にトムヤンクンが効果(朝日12月18日)。


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油野達也

無駄を無くすためにより多くの、より詳細な情報を求める。すると今度は情報を取捨選択する手間が必要となる。それって無駄じゃないのかな?ニガウリの研究も始めはなにかの目的を果たすためだったんじゃないでしょうか?「無駄な研究を無くすための研究」って無駄かな?けけけ。


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小橋

あはは。そういえばどこかの会社では、合理化めざしてプロジェクトを立ち上げて企画を練ったけど、そのプロジェクトが乱立してかえって混乱した、という話も。
「捨てる!」技術が必要なのは、モノだけじゃなく情報についてもでしょうねえ。


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小橋

あとで思ったんですが、税金でムダをしちゃいけないかっていうと、必ずしもそうじゃないですね。というか、有益な結果の出る研究しかできない、というのはかたぐるしいし、よろしくないと思いました。
コラムの最後、ムダをするなら「自分の懐・時間で」と書いちゃいましたが、そうじゃない。ポイントは仮説でしょうね、きっと。研究には仮説が必要かと思いますが、その仮説が、どれだけ共感できる、夢のあるものかが問われているのでしょう。
今回の研究が監査で指摘されたのは、仮説が「つる状野菜は日よけになる」といったあまりにもなものだったからじゃないかとも推測できます。一歩踏み込んで、そのことを地球温暖化対策に役立てられないかとか、そういう方面までいっていると、めくじら立てられなかったかも。今回の個別ケースについては、詳しくはわからないですが。


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ムダの塊

亀な反応で申し訳ないですが・・・
ムダってなんでしょう?
絶対的なムダというものがあるのか私にはわかりません
ある特定の方向からみればあるのは解りますが
万人(物)にとってムダなことってあるのかなと・・・

先の研究者の場合は結論を求められたから仕方なく
だったのかもしれませんし・・・
仮説の問題ではなく多分最初の段階では日よけの研究を
するつもりでは無かったが、他に特徴が見出せなかった
から(本人はもっと画期的な発見がしたかったかも)
まあ、金目当ての適当研究の可能性も高いですが・・・


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橋本 圀彦

最初の情報で、結論「日よけになる」とあったので、結論からムダと判断しているのはおかしいと思いましたが、仮説「つる状の野菜は日よけになる」であれば、ムダだと思います。この様な話は、書き方で、色々な解釈の仕方ができるので、大変危険なことだと思います。
話は、くれぐれも、正確に。


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カンジンスキー

データマイニングより
ビール購入者は紙オムツを同時購入する。。というような
推論。無駄。結果論から導いた競馬必勝法を聞いている気がする。過度のデータ依存症はいかんよ。まずは人の生声を聞け。かな?




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『晩鐘』と並ぶミレーの代表作といっていいだろうか。刈り入れのあと、畑に落ちた麦の穂を拾う3人の農婦を描いた、1857年の作品。サロンに出品したこの作品に先立つ1857年、ミレーは同じモチーフを扱った『落ち穂拾い、夏』を描いている。 山梨県立美術館にあるこの作品は、画面が縦長で、麦の積み藁(わら)が農婦たちのすぐ後ろにある。完成版では積み藁を遠ざけ、画面を横に使い大地の広さを強調することで農婦たちの孤独を際立たせている。画家の試行錯誤を見るようだ。 当時、農業といえばフランス人の6割が従事する最大の産業(朝日12月17日)。落ち穂拾いは、農村共同体が弱者の保護と扶養のために許していた慣行で、数日間、通常の労働では生計を支えられない者に耕地を開放し、老人や寡婦などに落ち穂を拾うことを許していたもの。ミレーの描いた3人の農婦も、生計の助けにと許可を得て落ち穂を拾っているわけだ。 実家の主な職業は米作り。おいしいと評判で注文も多いのだけれど、減反政策のため多く作ることはできず、すべての注文に応えられない。稲刈りをしつつ、もったいないと落ち穂を拾う。そんなとき、ふとこの絵を思い出し、豊かな時代になったな、と感じつつも、ふと複雑な思いが心をよぎるのでした。

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 1月も終わろうというのにどうかと思わないでもないけれど、凧の話。まあ正月に凧というのは江戸時代からのことらしく、実際、古くから凧揚げの風習がある地方など、各地ではさまざまな時期に凧揚げ行事が行われている。長崎の「ハタ揚げ」は10月、浜松5月、熊本8月、沖縄では10月から11月。 遊びとしての凧揚げが盛んになるのは17世紀に入ってからで、これは西洋でも変わらない。それまでは、たとえば厄除けだったり軍事目的だったり。漢の韓信が紀元前202年、楚の項羽との戦いで人を乗せた凧を利用したのは有名な話。 起源は明確ではないが、紀元前400年ごろにはすでに中国で揚げられていたともいう。日本には9世紀ごろまでに中国から伝わっていたらしく、紙鳶(しえん)という名が文献に見られる。紙のトビ。英語のkiteと同じとらえ方だ。 ちなみにたこの呼び名は江戸で広まったもので、関西ではもっぱらいかだった。英語は前述のようにトビだが、ドイツ語では竜、スペイン語ではすい星、ヒンディー語ではチョウが原義だとか。中国の凧はツバメ型だったりチョウ型だったり、輪郭が多彩。サイズも大きく、笛などの楽器をつけたりもする。 ぼくの世代にとっては、小学生時代にさっそうと登場したゲイラカイトが思い出深い。1975年正月から日本を席巻した、アメリカゲイラ社のビニル製三角だこ。まっすぐ高く上がっていくのは驚きだった。その反面、たけひごをたわめ、あしの長さひとつに工夫を凝らしたあの喜びはなかったけれど。 いま、人気上昇中なのがスポーツカイト。数本の糸で操つる。第2次世界大戦中に射撃の練習用に使われていた「ターゲットカイト」がルーツだとか(日経12月23日)。古来の凧も新しいカイトも、どこか軍事と関係しているのがおもしろい。

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