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長い実験

2002年9月05日 【コラム
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 朝日新聞の「天声人語」に世界一長い物理実験が紹介されていた。オーストラリアのクインズランド大学で行われている石油ピッチの滴落下実験。粘度が高いため、1滴が落ちるのに8年ほどかかる。1927年からはじまり、8滴目が2000年の11月に落ちたところ。
 後日、もっと長い実験が紹介される。1843年から続く、肥料が作物に与える影響を調べる実験だ。日本では、1930年から東大農学部の千葉演習林で行われている、モウソウチクの開花とそれに伴う枯死のしくみを解明する実験も息が長い。60年に1回しか開花しないといわれる竹のこと、開花したのはようやく1997年。300年計画の実験なのだとか。
 これら息の長い実験の紹介を読みつつ、思い出したのはダーウィンのこと。ビーグル号での航海を終えて、彼はミミズの研究をはじめた。1837年、28歳のときである。手に入れた土地に白亜をまき、それが埋まる様子からミミズが土を食べて排出し、埋めていく過程を観察した。その期間、40年あまり。死の直前になってようやく、1年に6ミリほどの深さで土地を掘り返すという結論を得て報告書を出版する。
 数学の分野では、解決にもっとも長くかかった問題としてギネスブックにも登録されているのが、有名なフェルマーの定理。彼がギリシア時代の数学者の本の余白にメモを残したのが1630年頃のこと。証明されたのが1995年。その間350年あまり、多くの数学者の挑戦が積み重ねられてきた。
 息の長い実験に対して、科学の進歩のスピードという視点から皮肉る声もあるという。自分の身の回りを考えても、すぐに結果を出ることを求めている気がする。それとて本来はずっと長い視点で見るべきなのに、短い視点しか持っていないのではないか。数十年、数百年の視点を、ぼくは忘れかけていないか。
 そう考えて、心の奥で想像する。クインズランド大学の滴や、ダーウィンのミミズ、千葉演習林のモウソウチクの花を。それからひとつ、深呼吸をした。

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2 comments to...
“長い実験”
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小橋昭彦

ダーウィンのミミズ研究については「ミミズをめぐって」という以前のコラムでも触れています。そのときに紹介している参考書などをどうぞ。フェルマーの最終定理については「フェルマーの最終定理」がおもしろいです。あと、ギネス記録を参照したいときは「Guinness World Records」ですね。


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ららのなこら

フェルマーの定理が解けたというのは、実はウソであるという話を聞いたのですが、本当のところはどうなのでしょう。




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 とあるビジネス誌向けに「技術の標準化」に関する小文を執筆しつつ、標準という言葉の扱いにくさを感じていた。 ぼくたちが何らかの標準を必要としていることは間違いない。このコラムが届けられるのも、相手に通じる標準と考えられる言語を共通に持っているゆえだし、相手と共通の時間を持っているがゆえに約束もできる。単位についてもしかり。一方で、「標準的な人」に含まれるニュアンスはどうだろう。 東京大学先端科学技術研究センターの橋本毅彦教授によると、技術の標準化が進められたきっかけは、戦場において武器の部品の互換性を保ち、修理をすばやくするためだったという。なるほど、とすれば誰だって自分が互換性のある部品とは思いたくない。 標準という言葉には、人と人が気持ちをやりとりするために必要な標準と、物の互換性のために必要な標準というふたつの側面があるといえるのかもしれない。もっとも、気持ちの交換、部品の交換と考えれば、つまりは交換が必要なところに標準が芽生えるわけで、貨幣などもその代表例。「交換」をキーワードにふみこむと別の話になるので、いったんここでおく。 QWERTY配列のキーボードに見られるように、標準は必ずしも最良のものを意味しない。より速く打てるドボラク配列も提案されたのに、タイプライターが壊れないことを第一に考えられたQWERTY配列がいまだに使われている。8時間タイプを叩く間に指先の動く距離の総計は、ドボラク式では1マイル、QWERTY式では10マイルなんて数字も、橋本教授の著書にあるのだが。 標準というのは明確なようでいて、ほどほどのものでもある。共通点を探し求める一方で、規則や基準に杓子定規な対応には疑問を抱く。ぼくたちには、ほどよいバランス感覚があるということか。

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