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ちょっと知的な雑学&トリビア

野菜たち

2002年8月29日 【コラム
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 保育園から帰ってくるなり、祖母のところにかけていって、ダイコンとハクサイの種をください、とお願いしている。園内菜園で育てるのだろう。この夏もトマトやキュウリなど、自分たちで収穫した野菜が給食の食卓をにぎわしていたと聞く。小さな手で摘みとられる野菜を想像し、それらの来歴について思いをはせる。
 ニンジンやナス、キャベツなどはアジアやヨーロッパでも昔から知られていたが、トマトやジャガイモ、カボチャやトウモロコシは南北のアメリカ大陸が原産だから、コロンブス以前は知られていなかったことになる。トウモロコシやジャガイモが人類を飢餓から救うのにどれほど役立ったかを考えると、新大陸「発見」は食卓にとっても大きなできごとだった。
 ジャガイモは地下茎を食べることから、はじめは奇異な目で見られていた。もっぱら花や枝葉の観賞用だったのは有名な話。17世紀ごろから食用に栽培されるようになり、やせた土地でもできることから飛躍的に拡大する。そうなると、戦争にあたっては敵国のジャガイモ畑を荒らすことが重要戦略。1778年のプロイセンとオーストリアの戦争は「ジャガイモ戦争」と呼ばれもしているほどだ。
 いまでこそぼくたちは野菜をはじめとした植物の恵みをあたりまえのように消費しているけれど、本来は、食べるものはもちろん、着るものから日用品まで植物に大きく依存していたわけで、むしろ植物に生かされてきたといえる。「だいこんとはくさいのたね」を育てつつ、子どもは、店頭に並ぶ消費するものとしての野菜ではなく、そんな、生きている仲間としての野菜について知ることになるのだろう。そう思いつつ、ふと、そもそもダイコンやハクサイの種ってどんなだったけと振り返る。あわてて保育園かばんを開けて確かめた今朝だった。

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2 comments to...
“野菜たち”
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小橋昭彦

世界を変えた野菜読本』が参考になりました。ジャガイモについては「ポテトランドめむろ」などをどうぞ。


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MYU

北海道芽室町のじゃがいも畑は圧巻ですよ。
うす紫色のじゃがいもの花は本当にきれいです。
北海道で暮らすようになって、「野菜って、人の手で作られているんだな」と実感するようになりました。
そして、あのちいさな一つ一つに、栄養以外のいろいろな恵みが含まれていることを感じるようになりました。
天と地と人の恵みの詰まった野菜たちを、これからも感謝していただきます。




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 東の端からもたらされたお茶に西の端の砂糖を入れる。国力を誇示するようなこの表現が見られた18世紀、イギリスは世界貿易の主導権を握るようになり、紅茶はインドなどの東洋から、砂糖はカリブ海の島々で行っていたプランテーションから手にするようになっていた。 当初は高価だった紅茶や砂糖も安くなり、大量に消費されるようになった。1650年にオックスフォードではじめて生まれたというコーヒー・ハウスがにぎわい、イギリス各地に広がった。政治から経済まで、さまざまな情報が交換され、政党を生み、ジャーナリズムを生み、科学者のあこがれ王立協会を生み、おまけにバブルまで生んでいる。 バブルというのは、いまのバブル経済の語源ともされる南海泡沫事件。1720年に起こった南海会社の株価暴落をきっかけにした大恐慌で、もともと利益をあげられるはずのないバブルのような会社だったのでこう呼ばれるようになった。そんな会社の株がやりとりされたのも、コーヒー・ハウスでの情報交換があってこそ。 アメリカ独立運動の決定的なきっかけともされる1773年の「ボストン・ティー・パーティ事件」は、ボストン港に入ったイギリス船の積荷だった紅茶を海中に捨てたもの。高価な紅茶と砂糖をあわせるのは、いわば究極のステイタス・シンボルでもあったから、イギリス上流階級のシンボルを捨てたところにアメリカがはじまったともいえるわけだ。 サトウキビ畑のプランテーションにアフリカからの黒人奴隷が働かされていたことなども思うと、砂糖は決して甘いだけではない。砂糖で世界を記述することもできるという百科事典のひとことにひかれて調べ始めた砂糖。なるほど、一杯のお茶にも、世界の歴史が香っているのである。

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