ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

落ち穂拾い

2001年1月24日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

『晩鐘』と並ぶミレーの代表作といっていいだろうか。刈り入れのあと、畑に落ちた麦の穂を拾う3人の農婦を描いた、1857年の作品。サロンに出品したこの作品に先立つ1857年、ミレーは同じモチーフを扱った『落ち穂拾い、夏』を描いている。
 山梨県立美術館にあるこの作品は、画面が縦長で、麦の積み藁(わら)が農婦たちのすぐ後ろにある。完成版では積み藁を遠ざけ、画面を横に使い大地の広さを強調することで農婦たちの孤独を際立たせている。画家の試行錯誤を見るようだ。
 当時、農業といえばフランス人の6割が従事する最大の産業(朝日12月17日)。落ち穂拾いは、農村共同体が弱者の保護と扶養のために許していた慣行で、数日間、通常の労働では生計を支えられない者に耕地を開放し、老人や寡婦などに落ち穂を拾うことを許していたもの。ミレーの描いた3人の農婦も、生計の助けにと許可を得て落ち穂を拾っているわけだ。
 実家の主な職業は米作り。おいしいと評判で注文も多いのだけれど、減反政策のため多く作ることはできず、すべての注文に応えられない。稲刈りをしつつ、もったいないと落ち穂を拾う。そんなとき、ふとこの絵を思い出し、豊かな時代になったな、と感じつつも、ふと複雑な思いが心をよぎるのでした。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

One comment to...
“落ち穂拾い”
Avatar
小橋

ミレーについて、「美の巨人たち」がコンパクトにまとまっていて読みやすいです。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 おそらく多くのパン屋にあるのではないか。アンパンマンあんパン。3歳を前にした息子はトングを片手に「いたくないかなあ」とつかむのをためらっている。 あんパンは明治7(1874)年に生まれている(日経12月16日)。和洋折衷の例としてよくあげられるけれど、まさにその代表例。パンそのものは16世紀にはポルトガルから伝来していたものの、ご飯と違う食べ方をするし、イーストとバターの匂いが気になり庶民には広がらなかった。ここに和の甘味・あんを取り入れて日本人好みに作り変えたのが木村安兵衛。酒まんじゅうの香味を持たせようと工夫を重ねたという。米とこうじで生地を発酵させる、酒種あんぱんだ。 あんパンの発売から2年後、天皇への献上用に桜の花の塩漬けを載せた桜あんぱん、俗にいう「へそパン」が生まれ、代表的な商品となる。 パンはその後、ジャムパンやクリームパンなどさまざまなバリエーションが登場した。一世帯あたりパンへの年間支出額はおよそ3万円。全国のパン屋さんは約5000社という。ちなみにパン消費は西高東低で、もっとも消費量が多い町は兵庫県神戸市だとか。 アンパンマンあんパン、つかむのはためらっていた息子も、いったん買って持ち帰ると、鼻からがぶりとやって、おいしいねとにこにこ。それでいいのだ、アンパンマンも自分を他人に食べさせるが、パンは味わってこそ楽しい。

前の記事

 スピードや効率が叫ばれる時代だからだろうか、「ムダ」がなんだか恋しい。何もしなくていい春の午後、草にのんびり寝そべって、空を見上げていた少年時代を思い出す。 類焼見舞いに来てくれたとあるプログラマーに今なにやってるのと聞くと、「役立たないムダなプログラム作ろうと思って」と言う。徹夜でやっていてふと気づくと役立つものを書いてしまっている、これはいけないと削除する。そんな話。冗談かとも思うけれど、そんな考え方はなんだかすてきだ。そもそも、このコラムだって雑で役立たない、が本来の主旨。 とはいえ、税金をつぎ込んでいる研究に「ムダ」があるのはいただけない。総務省の行政監察の結果、そんな研究が旧農水省管轄下の7研究機関で37課題あった(朝日12月18日)。別々の機関で同じ研究をしていたり、緊急性・必要性が高いとは思われない研究があったり。 たとえば「ニガウリ等のつる性野菜・花き栽培が屋内環境に及ぼす影響」という研究がある。結論は、「日よけになる」。いや、笑い話ではない。研究に従事した人にはそれなりの理屈もあるのだろうけれど、さて、あえて調べるほどのことなのかどうか。 ムダの無い世の中は息苦しそうだけれど、せめて自分の懐、時間をつかってにしないとね。

次の記事