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ちょっと知的な雑学&トリビア

無限の無限

2002年6月24日 【コラム
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 数学が好きだった。社会人になってしばらく、朝のひととき高校生向けの問題集を一問ずつ解いて過ごしていたものだった。たったひとつの回答に至るシンプルさが好きだったのかもしれない。
 世の数学書ブームにおされて、ゼロをめぐる博物誌や無限を取り上げた書籍に手を出す。すごみがあるのはやはり無限の話。なにしろカントールにしろヘーゲルにしろ、無限に取り組んだ数学者は精神を病んでしまっている。人間関係ゆえか、無限に取り込まれたかはわからない。
 紀元前5世紀、ゼノンがアキレスと亀のパラドックスを唱えたとき、そこに無限が隠れていた。先を行く亀に追いつこうとするアキレス。しかし亀のいたところまで来た頃には亀はさらに先に進んでいる。再びその地点まで達する間に亀はさらに先に進む。こうしていつまでもアキレスは亀に追いつけない。
 無限に新しい世界を開いたのはカントール。彼の半生を読みつつ、自然数と偶数の個数が同じと知ったときの驚きを思い出した。1、2、3と続く自然数に対して、2、4、6の偶数は半分の個数のように思う。だけど1番目の偶数、2番目の偶数と無限に数えられるわけで、1は2に、2は4にと1対1に対応できる。つまり個数は同じ。さらには、線分と正方形も、線分と立方体も同等というのだから、常識がひっくり返る。
 カントールはさらに無限にも階層があって、無限も無限にあると言っている。この無限と無限の関係を求めようとしてさ迷い、息抜きをしたかったのか、シェイクスピアはフランシス・ベーコンだという仮説を唱え証明しようと深く入り込み、やがて1918年に没する。
 朝のひとときを数学の問題に割いていた日から10年あまり、答えに至るシンプルさより、無限の持つ不可思議に魅かれている自分に気づく。世の限りなさを知ったからか。田舎に帰って見上げる夜空は、いっそう深い。

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7 comments to...
“無限の無限”
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小橋昭彦

書籍『「無限」に魅入られた天才数学者たち』がカントールの半生について詳しいです。『無限の不思議』は身近なパズルのような事例が豊富で楽しいです。あと、ちなみに21世紀の7大難問として、賞金付で提唱されている数学問題があります。「Millennium Prize Problems」をどうぞ。


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小橋昭彦

その他の没ネタです。石川県で1億4000万年前、最古のアロワナ化石(朝日6月10日)。ケネディ艦長の魚雷艇発見(神戸5月30日)。船首の突出なくして燃費向上(神戸5月30日)。フーリガンの語源はフーラハンという暴れ者(神戸5月24日)。建仁寺、江戸初期のサウナ式浴室再現(神戸4月28日)。アジア、アフリカ原人は同一種(高知3月21日)。宇宙はビッグバンを無限に繰り返しているという新理論(日経4月29日)。骨再生促す物質確認(神戸4月30日)。被子植物の祖先の化石発見(朝日5月3日)。白亜紀のモノニクスは鳥ではなく肉食恐竜(朝日4月24日)。


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ふなはし

小橋さんが数学好きだったとは。
なんか嬉しいです。特に無限とか0とかの
分析哲学をベースにした議論については
私はその亜流の科学哲学を専攻していたので
非常に大好きだったりします。

だからなんだという訳じゃないのですが(^^;


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こま

カントルのアレフはボルヘスのアレフにつながっている・・・
十数年前に出た(当時読んだ)『反科学史』とかいった
タイトルの本のカントルのイラストが強烈な印象に残っています。
片手をかざして開いた本の前に座っているのですが、
天から届く光が手を通過して本に投射されていて、
手のひらのアレフの文字が本にも映っている・・・
カントルの思想を見事に表していて驚きました。
私も当時哲学を研究し、
近接分野の科学哲学や数学基礎論の本も読み漁り、
世界の構造を解き明かしたいという途方もない夢を抱いていましたから。
久しぶりにそんなことを思い出しました。


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小橋昭彦

無限方面(?)に踏み込むと、数学と哲学って近いんだなと実感できました。あとついでに、宗教も近いみたいですが。カントールの研究も、当時の神学者から注目されていたんですよね。


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ふなはし

そうですね。無限の議論と宗教って
昔は近かったみたいですね。
論理実証主義の時代以降、無限議論
(にかぎらないけど)、神をいかに
論理から排除するのかってのが隠れた
トレンドになったみたいですけど。
#こまさんは、お詳しそうですね。


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tてるまる

無限を考えてると、思考そのものが無限化していくような感覚がありますよね。
麻薬めいた感覚というか、精神を病むのが良く理解できる気がします。

楽しすぎる。




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 残念、日本代表。それはともかく、スタジアムを埋め尽くした青のTシャツを見て、あの中に放り込まれたら、たとえ熱心なサッカーファンでなくても熱狂的なサポーターに変わったろうと想像した。それでふと、悪気はないのだけれど「監獄実験」のことを思い出したのだった。 社会心理学を学んだ方なら、ご存知だろう。実話をもとに『エス』というタイトルで映画化されて公開予定なので、これから耳にする機会が増えるかもしれない。「役割」が人格に与える影響を調べることを目的にした、1971年、スタンフォード大学のジンバルド教授による実験である。 実験に参加した被験者はボランティアに応募した24人。参加者は無作為に看守役と囚人役に分けられ、研究室を改造した監獄で、それぞれの役割を演じさせられた。実験期間は2週間。ところが、予想を超える規模で看守役の攻撃性がエスカレートし、囚人役は精神的な不安に襲われるようになった。実験は1週間で中止。 囚人役は番号で呼ばれ、裸の上に囚人服を着せられる。看守はカーキ色の制服に警棒。両者の役割はコイントスで決められたにすぎない。ごく普通の被験者が、制服を着て役割をこなす中で、人格を変えていく。 極限状態だったからというわけでもない。ぼくたちの日常でも警官の姿に権威を感じたりするが、一般には個人ではなく制服に権威を感じているだけだ。逆に、警官の服を着ただけで、中身と関係なく権威をかさにきる可能性もある。 もちろん制服には、業務上の動きやすさを保ったり、仲間意識を芽生えさせるなどの利点もある。青いTシャツが生んだ感動だってそうだ。ただ、制服に手を通す前に、裸の人間としての自分を振り返ってみることは有益だろう。議員バッジや流行のファッションのように、それと気づきにくい「制服」だってある。そんなもので自分を失ってたまるものか、だよね。

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