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恋の文法

2002年5月02日 【コラム
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 チンパンジーは、単語に相当するものを数百くらいなら覚えることができる。しかし、食事や危険を声にして仲間に知らせるなど「発声」に近く、文法までは持っていない。単語を超えた文のレベルを理解できるかについてははっきりしないのだ。
 最初は単純な単語が生まれ、やがて単語と単語が結びつき、複雑な意味を表現する文法が生まれる。そんな言語の歴史をなんとなく信じていたので、ジュウシマツが文法を持っていると知って驚いた。千葉大学の岡ノ谷一夫助教授らの研究だ。
 ジュウシマツの歌は、もって生まれたものではなく、親から子どもに伝えられる文化だという。だから、聴覚を失うなど学習する機会が無かったり他種に育てられたりすると、本来の歌を歌えなくなる。岡ノ谷助教授の研究しているジュウシマツでは、7つの要素を組み合わせて3つの「単語」を構成しており、それらを特定の文法で配列して歌っているという。ジュウシマツの原種であるコシジロキンパラでは歌はずっと単純で、進化するとともに文法が複雑になっている。
 ハンディキャップ理論というのがある。ある個体が生存に不利なハンディキャップを持ちつつ生存競争に勝ち続けているなら、それを補うだけの優れた面があることを意味する。とするとハンディキャップが大きいほど、自分の優位性を示すことになり、異性にアピールするという説だ。
 ジュウシマツで、歌うのはオス。歌で恋を語りかけているわけだ。メスは歌わず、じっくりと歌を聴いてオスを選ぶ。実際、複雑な歌をより好むことがわかっている。ところで、複雑な歌は天敵の注意を引き、危険性が増すことにつながる。そこでハンディキャップ理論。メスは、複雑な歌を持つオスの方が天敵から生き延びる術に長けていると判断して選ぶ。それが積み重なった結果、歌が複雑に進化してきたのではないかというわけだ。
 人の言葉も、単語と文法が別に進化してきたのかもしれない。文法は、恋を伝えるためであったのか。いとしい人に伝えるためにいっそう、複雑な文法を手にしてきたのだったか。そう考えれば、学生時代のグラマーももっと楽しかったろうに。

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One comment to...
“恋の文法”
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小橋昭彦

今回のコラムは岡ノ谷助教授の研究に多くをよっています。そこでまずなにより、「岡ノ谷研究室Webサイト」をどうぞ。研究室サイトとは思えない立派なできばえです。関連してインタビュー記事「ジュウシマツの歌で『言語の起源』にせまる」「小鳥の歌からヒトの言語の起源に迫る」も参考に。コラムでは取り上げませんでしたが、「イルカの歌」「チンパンジーの言葉(アイプロジェクト)」「こどものことば」も参考にしました。




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 春の1日、浜辺で潮干狩りを楽しむ連休の一こまが新聞に掲載されていて、この風景はいつから続いてきたのだろうと考える。青柳の泥にしだるる汐干かな、句にしたのは松尾芭蕉。品川あたりは潮干狩りの名所として知られており、浮世絵としても残っている。 百科事典にあたってみると、潮干狩りはレジャーとしてではなく、信仰行事として始まったと記されていた。旧暦3月3日、家族揃って重箱を手に海浜に出かけ、みんなで飲食をする。ひなを水に流す風習があるけれど、自らも潮水でけがれを払い、魚介類をとって遊ぶというわけ。節句の日に浜辺で遊ぶ行事は、磯遊びとして今も行われているところがあるという。 この季節、磯遊びと同じように山に行って共同飲食する山遊びも行われており、こちらは花見のルーツと考えられている。潮干狩りと花見。浜へ、山へ、同じような信仰を背景にしているということになる。 野遊びといえばピクニックが思い出されるが、こちらはイギリスが起源で、1800年ごろに始まっている。産業革命で都市化が進むなか、家族揃って自然のなかに出かける1日が求められるようになったということであったか。 ふるさとの町でもっとも高い山の頂上までは1時間弱。ちょうどいい山歩きとなり、都市部からやってくる人たちも多い。ぼく自身、その頂上に何度立ったろう。さわやかな風を受け、町を見おろすときの達成感。蛇行する川沿いの竹やぶや、小さく走る車。鳥の目を得て、どきどきした子ども時代を思い出す。 先日、久しぶりに友人たちとこの山に登った。約束をして頂上から家に携帯で連絡。庭に出てきた子どもらを見おろし、豆粒のような姿をみやりつつ「見えるよ」と会話する。新しい機器が生んだ新しい山登りの楽しみ。と同時に、電話を切ったあと、鳥の目を得たときまで地上とつながらなくてもいいのになと、自分たちを笑い合ったりもしたのだった。

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 全国の都道府県庁の所在地で、もっとも牛肉の消費量が多いのは和歌山市。梅干の購入額でも全国トップで、こちらは紀州梅というブランドもあり、それなりに納得できるけれど、牛肉の場合は、生産量はむしろ低いから不思議。 和歌山人はみえっぱりだから、スーパーなどで知人と出会うと豚肉を買おうとした手を牛肉に変えてしまうなんて説もある。こうした出身地に応じた県民性は、酒の席などで血液型と並んで格好の話題になる。鹿児島県人は保守的だとか、秋田県人は照れ屋だとか。 高知の女性は、はちきんと呼ばれる活発さで知られる。NHKの行っている生活時間調査によると、睡眠時間は全国平均と比べ長く、家事時間は短かめという。ところが高知の成人男性の家事時間はかなり長い。男性をうまく使っているということか、これもはちきんの一面かと納得したり。 生活時間調査をもう少しみると、朝寝坊の県には京都、大阪、東京が、早起きの県には青森、福島、秋田が並ぶ。もっともこの場合は、それがそのまま怠惰とか勤勉といった性格にはつながらない。東西での日の出時刻の差が影響していると考えられるほか、どうやら農業従事者や高齢者が多い県ほど早起きということらしい。 NHKでは全国県民意識調査という調査も行っている。たとえばかけごとについて、どうしても許せない悪いことと考える人の割合は、島根、沖縄、和歌山などで平均より高く、東京、千葉、神奈川などではかなり低くなっている。これはやはり県民性なのか。 出身地と性格をそのまま結び付けて判断されると困りものだけれど、どうしてそんな結果にとなったのかと想像をめぐらすのは楽しい。和歌山の牛肉の場合は、和歌山さばきと呼ばれるかつての牛肉流通ルートの影響ではないかと想像されたり、高知の女性の家事時間が短いのは、皿鉢料理という、大皿に盛り付けるだけの料理文化の影響があるのではなど、土地の歴史や文化に触れる機会にもなる。 県民性は単なる性格占いじゃない。歴史や文化への入口ともなるのだ。

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