ccをめぐって
ccのことを目にしたとき、ふと相対性理論を解説する一説を思い出して、はじめそれがどうしてかわからなかった。
cc。電子メールで同報相手のところに出ているのと同じ、カーボンコピーの略。米国で生まれたクローン猫の名前だ。ただ、ccとオリジナルの猫とは模様がかなり違うなど、そっくりになっているわけではない。
クローン羊のドリーが誕生したのが1997年。クローンなんて未来の話だと思っていたら、日本だけでもすでに約300頭のクローン牛が生まれているという。珍しいことでもないのだ。クローンマウスが短命だったという研究結果が発表されるなど、検討すべき部分は残るにしても、技術的にはかなり成熟してきているらしい。
ccは、さる大富豪が飼い犬のクローンを作りたいと考えてはじめた「ミッシー・プリシティ」というプロジェクトから生まれた。最愛のペットのクローンを作ろうというわけだ。ペットを失った飼い主が精神的な傷をおうペットロス症候群対策にという気持ちはわかる。しかしそれは前向きな解決策なのだろうか。そう問いかけて、相対性理論なんて遠い話を思い浮かべた理由に気づいた。
特殊相対性理論では、時間は不変ではない。光速宇宙船で旅して帰ってきた人は、はるか未来の地球に着くことになる。移動体の中では、静止状態でいるよりゆっくりと時間が進むから。移動することが、時間旅行になるのだ。極端に言ってしまえば、人は、歩くときさえ、未来へ時間旅行をしている。
最愛のものを立ち止まって振り返るという行為と、たえず未来に進むという行為。ccからアインシュタインへの連想は、このふたつを無意識に並べていたのだった。むちゃな連想だろう。だけどカーボンコピー的な考え方より、すこしばかり飛躍していたほうが、新しい何かを生み出す可能性につながる。ま、つまらないコラムとしてもね。
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