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ちょっと知的な雑学&トリビア

暖をとる

2002年1月21日 【コラム
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 2月のUターンを前にして、心配ごとのひとつは寒さだ。京都から2時間弱、北国というほどではないし、成長するまで育った土地ではあるけれど、10年あまりも離れていると身体が寒さを忘れている。
 子どものころは行火(あんか)を足元にして眠ったものだった。豆炭をいこして、行火に入れて、布で包んで布団にしのばせる。夜遅くまで勉強をするときは練炭を入れた火鉢だ。いや、火鉢というと灰の上に炭を置いたものか。枕草子にも「火桶」として出てくる。奈良時代からあったというから、平安時代には冬の風物詩として定着していたのだろう。
 火鉢の上にやぐらを置いて布団をかけると置きごたつになる。場所を動かせる便利さがあるが、登場したのは江戸時代のことらしい。いまでは電気が主流だけど、ひと昔前までは豆炭。行火に豆炭を入れるついでに、こたつにも入れておく。子どもながら、ひと仕事した気になったものだ。
 置きごたつと掘りごたつはルーツが違って、堀りのほうは囲炉裏にやぐらをおいて布団をかけたもの。歴史は古く、室町時代には登場している。
 歴史がもっとも古い暖房設備はというと、囲炉裏だ。火を家の中に持ち込んだのがルーツ。炊事や照明がわりにもなるなど、かつてはおおきな役割を担った。縄文や弥生の住居跡からすでに見られる。さすがにこれは利用経験がない。
 行火がもっと小さくなると懐炉(かいろ)になる。これも昔からあるけれど、最近ではもっぱら使い捨てカイロ。1978年の登場だ。鉄の酸化熱で熱くなる。開発したのは菓子メーカー、ロッテの関連会社。もともとは菓子の劣化を防ぐ脱酸素剤の開発中に熱くなるのに閉口したのがきっかけで、発明は偶然から生まれる好例として取り上げられたりもする。
 いまでは多くの会社から売り出されており、その数、ひと冬10億枚。貼るタイプの登場や、もまずに温かくなるなど、改良が続いてきた。
 冬はつとめて。現代の清少納言は、その後どう続けるだろう。

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12 comments to...
“暖をとる”
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小橋昭彦

暖房についておすすめは、「日本の暖房の歴史」です。


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小橋昭彦

没ネタ。発行するホタルミミズ(朝日12月29日)。喫煙で腰痛の危険度1.3倍(日経12月28日)。火星に運河を見たローエル、日本通(日経12月20日)。いん石から生命宇宙起源説を裏付ける糖発見(日経12月20日)。


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nemota

コラムを読んで昔々を思い出してしまいました。
高校の通学はもっぱら50ccバイク。春夏は快適ですが冬の寒さといったらもう!。雪は降らないけど冷たい空っ風が強い土地柄。あの頃は使い捨てカイロもなく、もっぱらベンジン使用の白金(?)カイロを胸に、そして新聞紙を胸に広げて入れ(風をシャットアウトして寒さを防げる)、バイクに乗る。で信号待ちには、グローブ越しにエンジンに触る。というのが自分なりの暖のとり方でした。

掘りごたつについても一言(煉炭使用)。とても危ないですけど、子供の頃よく中にもぐって遊んでいました。
子供にとってはあれは一種の基地みたいなものなんですね。
幸い一酸化炭素中毒にはならなかったけど、煉炭の火がズボンの脛に燃え移り、大やけどしてしまいました。今もそのあとが残っています。母親が火を手でたたいて消してくれたのを覚えています。

子供を持った今思うと、あの頃のお馬鹿な自分を思い切り叱ってやりたいですね。


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PINOKO

掘り炬燵。思い出がふと浮かび、書き込みしたくなりました。もう20年以上も前になるでしょうか、父の実家も母の実家もかやぶき屋根で囲炉裏があり、冬は掘り炬燵となっていました。
母がよく話してくれる思い出話は、掘り炬燵の中で窒息して気を失いかけている猫を引っ張り出しては、その辺に寝かせておくと、いつの間にか元気になってまた炬燵に潜り込む懲りない猫たちのこと。いつも、危ないのになぁ、と思いながら聞く話です。
でも、私も父の実家の囲炉裏に転がり落ちたことがあるらしいです。そのときは“暖をとって”いなかったので、灰だらけになっただけで火傷は負わずに済みました。
今は、両家とも家を新築してしまい囲炉裏はありません。少し寂しいですね。


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高岡眉

東京に住んでいるのですが、所要でよく帰郷します。郷里は長野県で、今でも掘りごたつの穴が開いています。今ではホットカーペットにストーブという暮らしになったので、もう使わなくなりましたが。
寒いところに行く前というのは、やはり身構えますよね。防寒に最大限気を使っても、からだはそんなに早くは順応しません。それに「寒いところでの注意事項」をつい忘れてしまうんですよね…
どうぞお気をつけて。


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小橋昭彦

長くなってしまうのでコラムでは触れませんでしたが、暖房といえばあと湯たんぽもありますね。なんでも最近は電子レンジであたためられるものが登場して人気だとか。メールで教えてもらいました。


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コグレマサト

電子レンジ湯たんぽをメールしたコグレと申します。
いくつか製品が登場しているようですが、我が家では
「ゆたぽん」という、ぬいぐるみ型を使用していま
す。

ぼくゆたぽん
http://www.hakugen.co.jp/products/info/020.html


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トド

私の父の田舎では30年くらい前まで囲炉裏&掘り炬燵があ
りました。囲炉裏の熾きを掘り炬燵に入れて使うもので、
よく靴下を駄目にした覚えがあります。PINOKOさんも書か
れていますが、確かに猫がよく中毒を起こしてました。従
兄弟が可愛がっていたので、猫の姿が見えないと炬燵の中
をチェックしたものです。
私は当時、田舎に帰ったときに囲炉裏の番をするのが大好
きで、何時間も囲炉裏の前で薪をくべたり火の中の薪の位
置を直したりしていたものでした。
今はそういったことが出来ないのが残念ですが、出来たら
長火鉢が欲しいなと思っています。銭型平次でしたっけ?
長火鉢の前で煙管でタバコを吸っていたのは?あんな火鉢
が欲しいんです。妻には反対されていますが。(笑)


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いも焼酎

丹波、但馬の冷え込みが伝わってきます。常夏の鹿児島では懐かしく感じます。やはり、北兵庫では『豆炭をいこす・・』というんですね。久しぶりに聞きました。


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ky

なんと言っても、湯たんぽでしょう。


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konet

掘りごたつの話題が少し出ていたのでちょっと。

僕の祖父母の家は4年ほど前に立て替えた新築なのですが、
こたつは掘りごたつです。
もちろん、今風の電気掘りごたつなのですが、
足が悪く、あぐらや正座が出来ない祖父母や、近所の老人会の方々に、
椅子のように座れると大評判のようです。

あと、北に行けば行くほどに炬燵を使わなくなるそうです。
北海道なんかでは、大きなストーブで家全体を温めるのが主流だとか。


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小橋昭彦

北海道の話で思い出しましたが、韓国ではオンドルが一般的なようですが、家全体をあたためるセントラル・ヒーティングは、北国ほど欠かせませんね。日本人は、わびさびの心というか、節約心というか、ともあれ、自分のまわりだけぬくもって、雪の庭を見つめているとか、そんな感性にあっているようで、カイロなど小さなものに発展してきた、というのもおもしろいですね。

いも焼酎さん、そう、豆炭は「いこし」ますね。国語大辞典にないので方言かなと思いつつ、ほかに適切な表現を思いつかず、地方の話だしいいかと、「いこす」でいっちゃいました。標準語ではなんと言うのかな?




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 近所の家電販売店の1階にペットロボットが置かれていて、子どもを連れて行くたび、ひとしきり眺めている。眠っているときもあればじゃれているときもある。メーカーの説明によれば、そのロボットは、喜び、悲しみ、怒り、驚き、恐怖、嫌悪という6つの感情を持つという。好ましい感情は喜びだけかと思わないではないが、この分類は人間の心理学の分類に添っているのだとか。東洋で六情といえば喜・怒・哀・楽・愛・悪などと言ったりしたものだが。 感情を表現したり測ったりするといえば、少々分野が違うけれど、うそ発見器を連想する。最近米国の研究グループが、うそをつくと目のまわりが熱くなるという実験結果を発表した。高解像度・高感度の熱画像カメラで撮影したもので、仮にこのシステムを空港やビルの入口におけば、荷物チェックなどのとき、対象者に装置をつけてもらわなくても、うそが発見できるという。 知らない間に観察されているというのは気持ちのいいものじゃないけれど、銀行やコンビニにつけられている監視カメラとどう違うかと尋ねられると微妙ではある。米フロリダ州タンパでは街角を撮影して道行く人の顔をスキャン、犯罪者リストと照合なんて実験も行われた。結果は大成功とはいえないようだけれども。 ペットロボット遊びに疲れた子どもが、「抱っこぉ」とせがむ。しかたないなあ。言いながら抱き上げると、ちょっとほほが赤くなって、口もとがゆるみ、目がきらきら。それを見て、こちらの気持ちまでほかほかする。街にセンサーがあふれる時代になっても、このあたたかいセンサーは、ぼく自身のものだ。

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 あれは会社員時代、勤めていた研究所が所属する研究所団地の合同新年会があって、ぼくも出席したのだった。アトラクションのひとつに企業対抗豆つかみ競争があって、大皿の黒豆を決められた時間内に箸でどれだけチームの皿に移せるかを競う。 豆は、弱く持つと滑り落ちる、強くはさむと逃げていく、逃げていく先は予測できないから、コントロールしづらい。人間はこうした状況をコントロールするとき、ぐっと力を入れて抵抗力を高める。コーヒーを運んでいるときもそうだ。抵抗力には方向性があって、前後には強いけれど、横からは弱い。背中からぶつかられたときより、横からぶつかられたときのほうが、コーヒーをこぼしやすいのはこのためだ。 とはいえ、コーヒーをこぼさないという目的は比較的コントロールしやすいもので、安定した状態と呼ばれる。豆つかみはより難しく、不安定な状態。従来はこうした微妙な制御は人間にはできないとされていた。でも、人はこんな状態でも、練習を重ねることによって巧みに操ることができるようになる。科学技術振興事業団の川人学習動態脳プロジェクトが明らかにした。 硬いものを壊すときは強く、子どもをなでるときはやさしく、対象が大きくても小さくても、人は柔軟に自分の行動を制御する。岩波の『認知科学の新展開』というシリーズの一冊に、人間は指の関節まで入れた精密なモデルでは全身で244の自由度を持つとあった。これらを総合的に制御して、ぼくたちは外部要因と接している。 夜中、なんどか寝覚めて、はねのけている子どもの布団をなおす。なおしつつふと、自分の幼いとき、一緒に寝ていた祖母が夜中、やはり布団をかけてくれていたことを思い出した。今も昔も、変わらないものがある。そんな思いが胸に満ち、布団からのぞく小さな子どもの頭を、そっとなでた。

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