ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

ブリキの時代

2001年7月27日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 夏の一日、百貨店で行われていたおもちゃの歴史展に出かける。会場に並べられたブリキのおもちゃの数々が懐かしい。不思議だ、ぼくが子どもの頃には、時代はすでにブリキからプラスチックや超合金に移っていたはず。これがブリキの持つ魅力というものか。
 日本におけるブリキのおもちゃの歴史は、明治にはいってほどなく始まる。その後大正時代にかけて、世界でそれまで主流だったドイツ製に代わって日本製のブリキ玩具が注目されるようになり、昭和に入って1930年代には質、量とも世界第一のおもちゃ生産国になった。戦前の玩具輸出最高額は1937年に記録した4200万円だ。
 大戦がはじまり、ブリキ玩具は製造できなくなり後退したが、戦後、進駐軍の持ち込んだ缶詰の空き缶を再利用して製造することから復興を果たす。占領下の日本(Occupied Japan)製と刻印されたおもちゃが世界に輸出された。
 日本のおもちゃは現在も世界で注目されている。といっても、やはりいちばんはテレビゲーム機。国内のおもちゃ売上ベスト10をみても、テレビゲーム関係が多く登場する。
 じつをいうと、テレビゲームをおもちゃと呼ぶことがどうもしっくりこなくって、ふとおもちゃの語源を調べてみた。もともとは「持て遊び」で、手に持って遊ぶという意。それが「もちゃそび」、接頭語オがついてオモチャである。手に持って遊ぶか。確かにテレビゲームもコントローラを手に持ちはするけれども。
 展示会の帰り、子どもにせがまれてというよりは親が欲しくって買ってしまったブリキのおもちゃを手に、ふと、これは箱から飛び出しそうだな、と思う。人が寝静まったあと箱から飛び出して踊るという、あの歌。テレビゲームはどうだろう。箱から飛び出してこそ、おもちゃじゃないか。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

6 comments to...
“ブリキの時代”
Avatar
小橋昭彦

おもちゃについて、「日本のおもちゃ情報」「TOY MUSEUM」「柴野おもちゃコレクション展」「ブリキ玩具の歴史」をご参照ください。なお、テレビゲームについては、2000年11月17日にとりあげていますね。旧サイト時代のものなので、次に再録しておきます。


Avatar
小橋昭彦

テレビゲーム

 人間は、いつから遊びをするようになったのだろう。子どものおもちゃがいつ頃から登場するようになったのかは明らかでないが、少なくとも、玩具の起源となるようなものは古代エジプト時代の墳墓にすでに見られる。人形やボールやこま。
 ただしそれらは当初遊びではなく宗教的な意味合いを持っていた。いまでは赤ちゃんのおもちゃと考えられているがらがらでさえ、ルネサンスの時代までその音を魔よけと信じて使っていたそうだから。
 現代、多くの人に楽しまれているテレビゲーム。世界初の商用ゲームは1971年に米国で発表されている。その名をコンピュータースペースという。遊園地な
どでコインを入れて遊ぶ、いわばアーケードゲームの第一号だ。
 商用でないテレビゲームということでは1962年、MITのスティーブ・ラッセルが開発して広まった「スペース・ウォー」が歴史のはじまりとされている。見方によっては、1958年、ブルックヘイブン国立研究所のウィリー・ヒギンボーサムが見学者に機械を楽しんでもらうために作ったのが最初だとも。オシロスコープに表示させたテーブルテニスゲームだ。
 そういえば、最初に商業的成功を収めたとされるアタリの「ポン」や1975年に発表された国産初のゲーム機もテニスやピンポンがモチーフだった。古代エジプトの墳墓にあった「ボール」や「人形」が、球技やキャラクターという形で現代のテレビゲームにも息づいている。遊びって変わってきたようで変わらない。


Avatar
てるまる

人間の作ったおもちゃには、どこか不満足感がある気がします。
何処か物足りないです。

川ではしゃぎまわった子供の頃
魚を追い込んで捕まえる。
流れに乗って漂ったり。
流れに逆らって泳いだり。
高台から無茶なキリモミ掛けて飛び込んだり。

やっぱり、自然というおもちゃが一番楽しかったですね。


Avatar
hosanam

「ポッコン」という遊びがありました。
牛乳ビンのフタを机の上に置いて「ぱっ!」と一気に息を吹きかけてひっくり返す遊びです。

 遊び相手と一枚ずつフタ出し合って、ひっくり返されたら相手にフタを取られてしまうというものです。
 当時、いろんなフタを集めました。
銭湯でフルーツ牛乳やコーヒー牛乳など、コレクションしていくんです。
 それを、相手にとられると悔しいこと。

 牛乳ビンのフタも立派なオモチャにしてしまう。そんな子供の頃の発想はどこへ行ってしまったんでしょう。


Avatar
てるまる

みんなで集まるたびに、新しいルールを作ってただの鬼ごっこを違う遊びにしたりとか、いろんな遊び方を発想していましたね。

ただの駆けっこに宿る「燃える闘魂」(笑


Avatar
Alies

テレビゲームも、近い将来テレビという「箱」から飛び出す時がくるでしょう。
その時には、喜んで「おもちゃ」の仲間にしてあげて下さいね。




required



required - won't be displayed


Your Comment:

 7月にはいって、約550万年前の猿人の化石がエチオピアで見つかったと報道された。現在有力になりつつある見方では、人類と現生の類人猿が共通の祖先からわかれたのは、およそ650万年から550万年ほど前のこととされている。だとすると新しく見つかった化石は、人類が誕生した直後のものということになる。 この猿人、足の指の形から二足歩行をしていた可能性が指摘されているが、気になるのは付近の550万年前の様子。湿潤な森林地帯だったとされているのだ。これでまたアクア説が注目されるかな、なんて記事を見ながら思う。 アクア説。訳すと、水生類人猿仮説だ。人類はそのもっとも初期の段階で、水の中で暮らす生活をしていたのではないか、というのがそれだ。ぼくたちはこれまで、人類は森の中からサバンナに進出し、その結果直立二足歩行をするようになった、という考え方をもっぱら聞かされてきた。しかし、最古の人類が湿潤な森の中で生活していたとなると、これはあたらない。 むしろ、水につかった樹木から別の樹木に移動するとき、水中を歩きつつ呼吸を確保するために二足歩行したという方が自然ではないかと提唱されている。水の中での生活を多くしていたのなら、ヒトだけ体毛が少ないのも説明できる。 じつは、ヒトの化石のほとんどは水辺で見つかっている。ただ、これは水によって運ばれて沈殿した堆積物が化石化と保存に最適だからで、ほかの動物の化石でもいえること。専門家はこれを「タフォノミック・バイアス(化石化のばらつき)」と呼び、できるだけ無視してきた。しかしアクア説の立場にたつと、無視しすぎてきた可能性もある。 アクア説は、これまでどちらかというと異端視されてきた。中心となって論考してきたエレイン・モーガンが学者でないことが理由のひとつともいう。彼女が1972年に著した記念碑的な著作を『女の由来』という。もちろん、ダーウィンの『人間の由来(The Descent of Man)』のもじりだ。 ダーウィンから100年。アクア説は、そしてエレインは、Manをもって人間と考えるような固定観念にぼくたちがとらわれているのではないかと、問いかけている。

前の記事

 モーツァルトを胎教音楽にするとか、栽培野菜に聴かせて生育をよくするという話はしばしば聞くが、犯罪抑止にも役立つらしい。 米フロリダ州の犯罪多発地域で地元警察がモーツァルトなどのクラシック音楽を流したところ、昨年前半119件だった事件通報が、今年前半は83件まで減少したという。音楽を流し始めたのは4月以降だから、年初から流していたらもっと減っていたかもしれない。 音の効果という連想で、アクティブ・ノイズ・コントロール技術を思い出す。騒音を音で消すという逆転の発想。従来の騒音対策は二重窓にしたり壁を厚くしたりと、いわば受動型の手法だったのだけれど、アクティブ・ノイズ・コントロールは、こちらから音を出して退治しようという能動型の対策だ。 音にはそれぞれ固有の波がある。そこで騒音の波形を分析し、逆の形をした波をもつ音を発生させる。するとそれらが打ち消しあい、騒音が減るというわけ。原理そのものは古くから知られていたけれど、80年代から90年代にかけて、技術の発展によって商品化されるようになった。 すでに高級車のエンジン音の低減や、空調ダクトの消音などに利用されている。最近になって高速道路などの壁に取り付ける商品も開発されたが、一般的な遮音壁にくらべ、交通量を6割程度減らしたと同じ効果があるという。 犯罪抑止と騒音対策。それぞれに違う音の利用法ではある。それでも、相手にまともにぶつかるんじゃなく、違う発想からとりくんだり、逆をついたり。どちらもなんだか人生訓のようでもある。

次の記事