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ちょっと知的な雑学&トリビア

美の風化

2001年7月16日 【コラム
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 ふと思い立って三十三間堂へ出かける。1001体の観音像との再会。ゆっくりと、その前を歩いていく。
 中ほどに、上を見るように掲示がある。天井に、かつて堂内を彩っていた文様のあとが残っていると。堂内はいまでこそさびた風合いをかもしているけれど、華やかに彩られていたころもあったのだ。さぞかしこの世のものならぬ風景であったろうと想像する。とはいえ、当時のように修復することは許されまい。
 美術品の修復は難しい。作家の望んだ形に戻すことは理想のように思えるけれど、ミロのヴィーナスの失われた腕が出てきたといって、それを「修復」することはきっとだれも望まない。教科書で見なれていたくすんだ名画が、修復によって鮮やかな色あいをとり戻しはっとすることもあるけれど、おそらくそのあたりがぎりぎりのところか。
 美術品・芸術品の大敵には、劣化のほか、害虫もいる。博物館の被害の筆頭は、ゴキブリだそうだ。ゴキブリのやつ、台所で安住しているかと思ったが、あんがい目が高い。博物館内のレストランなどから忍び込み、古書などの糊の部分を食べる。
 人は、風化に価値を感じることができる。三十三間堂の観音像のなかには、どれか一体、自分の会いたいと思っている人の面影が宿っているという。ちょっとしたくすみを、いとしい人のほくろに重ねたりもするのだろうか。それもまた、すてきだ。
 子どもにせがまれ、家族で献灯する。手を合わせ、目を上げると観音像の顔、顔、顔。穏やかな顔、ひきしまった顔、ほほえんだ顔。たしかに、さまざまな表情を持っている。ただ、そこにだれかの面影を探すことはしない。会いたい人は、いま側にいるから。

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8 comments to...
“美の風化”
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小橋昭彦

美術品の修復と保存について、「岡崎絵画修復工房」の情報が参考になります。


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小橋昭彦

今日の没ネタ。カレーが日本に入ってきたのは1870年代、英国から(朝日6月19日)。白髪対策は抜け毛と同じ(朝日6月18日)。


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夜助

こんにちは。メルマガ最近購読を始めました。
毎日楽しく拝見させて頂いております。
色んな内容があって面白いですね。
時間があったら自分も挑戦してみたいです(^^;


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こま

ふるびるは「古美る」とも書くという人もいて、
風化に価値を感じる伝統が日本にもあったといいます。
西洋でも廃墟が流行った時代もありました。

時間を経ないと得られない美をちゃんと認識できるのに、
どうして人体に関しては(とくに女性に対しては)
時間を経ると美的価値が下がる一方なのでしょう?
パリのようにある年齢以上にならないと評価されない文化もあるのに、
日本では若さばかり・・・
美術品の「よい風化」には使用は保管のときの条件が大事ですが、
女の「よい加齢」だって周り(特に男)の評価が大事。


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小橋昭彦

こまさん、「古美る」。いいことばですね。

> 女の「よい加齢」だって周り(特に男)の評価が大事。

おお、するどい。

夜助さん、メールマガジン発行、いいものですよぉ。


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COACH

いつも楽しく読ませていただいております。
はたまた、同僚と会話するときの「ネタ」にさせていただいてます。
編集長様はどうやら年代が近いのか、「ん0そうだった」
という事がしばしば・・・
今後もよろしくお願いいたします。
(なんかかたっ苦しくなってしまった。)


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sara

いつも、楽しく読ませて頂いています。
遼太朗くんのかわいいエピソードも楽しみです。
コラム最後の「会いたい人は、いま側にいるから。」
の部分に感動しました(*^^*)
素敵ですね。


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小橋昭彦

> 会いたい人は、いま側にいるから。

ありがとうございます。家族も読んでるんで、ま、家族サービスです。とか言ってみる。




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 宇宙飛行士の若田光一さんがスペースシャトル内でキャッチボールをした光景は覚えていらっしゃるだろうか。なにげないように見えて、脳と意識に関する深い事実が隠れているらしい。 1998年のスペースシャトルの飛行で、フランスとイタリアの研究者がキャッチボール実験をしている。1.6メートルの高さから速さを変えてボールを落とす。地上ではボールの到着と筋肉の動きのタイミングが合っているのに、飛行3日目の実験ではわずかに筋肉の動きが早い。重力によって加速されることを前提に動かしてしまったからと考えられている。脳は、無意識に重力の影響を計算しているわけだ。若田さんのことばにも、まっすぐ投げようとすると無重力空間では上のほうに投げてしまうとあった。ぼくたちも、ふだんは重力の影響を考えて投げている。 このところの脳研究の結果、色や形から見ているものが「何か」を知る信号と、位置や動きから「どこか」を知る信号は脳内で別の経路をたどることもわかっている。 幼いうちに失明したのち、長じてから「開眼」手術を受けた人は、遠くのものが小さく見えること、立体が見る方向によって違う形に見えることに驚きを覚えるという。「何か」と「どこか」という情報が統合されないからだろう。コーヒーカップが上から見ると丸いのに、斜めから見ると楕円であることの不思議。 考えてみれば、見るものはそのままにしてある、と信じていることのほうが不思議なことかもしれない。視覚だけに頼らないこともたいせつか。拙著『最新雑学の本』も、音訳を進めていただいています。

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 最近エスカレーターで急ごうとしても思うにまかせないと思っていたら、案の定、関西の左空けがすたれてきているらしい。首都圏からの旅行者が増えてきたことが一因ともいう。 しばしば指摘されることだけれど、急ぐ人のために関西では左を空け、首都圏では右を空ける。首都圏の右空けは80年代から90年代にかけて定着したとされる一方、関西の左空けは歴史が古く、1970年の大阪万博がきっかけという。右利きの人は手すりを右手で持つから左空けにと考え、阪急梅田駅で放送が始まったとか。 どちらがいいというものではないけれど、一般的に人間は左を壁にすることを好むことをふまえると、首都圏風の方が落ち着きそう。とはいえ、優先するという気持ちからは自分が我慢して右を壁にし、左を空けたほうがやさしいとも考えられる。 いやいや。左遷という言葉からは左はむしろ下位か。事実、右と左でどちらが上座かというと右だ。とすると、右に出るものを許さないというのは、いかにも目立ちたがりやの関西気質といえるか。まてまて。ニューヨークやロンドン、パリなどでも左空けのようだから、関西気質というのはあたらない。 陸上のトラックは左回りで、追い抜くときは右側から追い抜く。それを考えると首都圏風がよさそうだけれど、仮にレーンが固定されていれば内側になる左の方が速いわけで、だったらやはり関西風か。 左といえば子ども時代よく描いた『宇宙戦艦ヤマト』はなぜか必ず左向きにしていた。船舶の側面図は通常は右向きだから、これはやはり上手から下手に向かうという優位性を感じさせようと無意識に演出していたか。歌舞伎の舞台でも権力者の位置する場所は上手、つまり観客から向かって舞台の右手が多い。 もっともそうすると強いものに立ち向かう主役は左から右への動きとなってしかるべきで、敵に向かうヤマトは右向きでもよかったはず。戦うといえば、最近の映画で印象的なシーンとしては、『マトリックス』で敵陣に乗り込む銃撃シーンは左から右への動きだったな。 左か、右か。エスカレーターから戦闘にまで想像は広がる。心臓の位置から右脳、左脳、はてはDNAの鎖の巻き方、銀河の渦まで、この話、きりがない。 うむむ、今日は右につくとも左につくともわからぬ話になった。

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