ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

あわ

2001年6月20日 【コラム
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 ビールがおいしい季節。白い泡が浮かんだ生ビールを傾ける至福のひととき。考えてみれば、ビールに限らず、ぼくらの日常で泡に出会わないことはまずない。パン、清涼飲料、石鹸から発泡スチロールまで。
 物理学者のドナルド・グレイザーがノーベル賞を得た素粒子の振る舞いを記録する「泡箱」は、ビールの泡を見て思いついたという逸話も残る。日常生活から科学の最先端まで、泡の謎はつきない。
 この宇宙も、直径1億光年あまりの泡がたくさんくっつき、その表面に銀河が集中し、内部には少ないといった様子だという。泡宇宙ともいわれる構造。
 泡が球形になるのは、それがもっとも表面積が小さく、エネルギーが小さくてすむからだ。ビールに割り箸を入れるとそのまわりに泡ができるのも、割り箸のくぼみに接していれば泡の界面が少なくてすみ、エネルギーが小さくていいからできやすいことによっている。
 そういえば、辛いことが少なくなかった若いころ、部屋の片隅で身体を丸めて耐えた日もあったっけ。あれは、自分の身体を泡のようにして、世の中との接点を小さくしようという努力だったのかも、と空想する。あのとき、そんな泡が世の中にはたくさんあって、この宇宙もまた泡のつらなりと知っていれば、少しは自分を救えたろうか。
 ベランダで遊ぶ子どものシャボン玉が風に流されて部屋に入ってきた。梅雨のあいまの、晴れた一日。しばし、この虹色の泡と風を感じていよう。

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2 comments to...
“あわ”
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小橋昭彦

ビールの泡については「ビールの泡を科学する」がおもしろいです。また、泡については、新刊『泡のサイエンス』がおすすめ。


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小橋昭彦

メール配信時、「この宇宙もまた銀河の泡のつらなり」としていましたが、「この宇宙もまた泡のつらなり」と訂正します。その方が文意が伝わりやすかったですね。また、「ベランダで遊ぶ」の「で」が抜けていました。反省。

ところで、読者の方から、一昔前までは技術的にいかに泡をなくすかが課題だったけれど、最近ではビジネス上いかに利用するか、という視点が出てきておもしろい、とメールいただきました。たとえばインクジェット等の原理を応用し、「薄く均一に塗工」したり「光通信等に使用する光スイッチに応用」したり。なるほど、確かにそうですね。ありがとうございました。

最近は泡を含んだエーロゲルという素材も開発され、火星探索機で利用されるなど、応用分野が広がっているようです。




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 空が黒くなるほどの大群をなして移動し、通過する土地の青い草を食べ尽くす。飛蝗(ひこう)と呼ばれるバッタの群れ。ワタリバッタあるいはトビバッタなどとも呼ばれる。 道端で見かける緑色をしたトノサマバッタなどと比べて、飛蝗の色は黒い。そのため、当初は別の種類のバッタと思われていたけれど、じつは、同じ種類のバッタだという。この理論を提唱したのは1921年、イギリスの研究者ウバロフ。 緑色を帯びているのは草原などで単独で生活する孤独相のバッタ。これがしだいに群がってすむようになり、ついには群生相に変わる。バッタの脳にあるコラゾニンというホルモンが体色変化を調節しているという。農業生物資源研究所によると、同様の物質は甲虫目をのぞくほかの昆虫も持っているとかで、そうした昆虫の脳を白いバッタに移植すると、移植されたバッタの体色が黒化する。 飛蝗は現在もアフリカなどで被害をもたらしているけれど、中国でも、紀元前2世紀から19世紀にかけて1330回以上の大発生が記録されているという。日本ではそれほど多くは見られない。日本人は群れるのが好きそうなのに、バッタはそうでもなかったか。 ともあれ、どうも群れというのは苦手で、渋谷の駅前なんて歩くだけでひどく疲れる。ぼくがバッタなら飛蝗にならず、できればみなとは違う方向に向かってみたいけれど、さてどうか。誘われると赤くなったり青くなったり、じたばたするばかりで断りきれず、けっきょく黒くなって同行するか。なんだかよわっちい自分ではある。

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 庭を歩いていると、梅の古木になにやらぶら下がっている。ミノムシなのだった。中に卵があるのか、あるいは主のいなくなった抜け殻か。風に揺れている。 細かく切った色紙で実験された方もいらっしゃるだろう、ミノムシは糸を出して葉などをまとい、枝にぶら下がって冬を越す。糸を出す虫といえばほかにカイコやクモがいるけれど、ミノムシはカイコほどは糸を作れず、さすがに産業化はできないけれど、糸の強度はこれまでもっとも強いとされていたクモ以上という。 奈良県立医大の大崎茂芳教授らの実験によると、ミノの部分を含め16から60ミリグラムのミノムシの糸は、体重の約3倍まで持ちこたえられたとか。糸を一定の長さまで伸ばして強度を測定し、単位断面積あたりの強さを比較すると、クモの約2.5倍。命綱としては充分だろう。 ミノムシはミノガの幼虫だが、成虫となって飛んでいるのをぼくたちが目にするのはオスだけ。メスには羽がなかったり、ときには脚さえないものもいる。じっとミノの中で、あるいはせいぜいミノのすぐ側でオスが来るのを待ち、交尾をするとミノの中に産卵する。あとはひからびてミノから落ちていく。1年だけの、ミノのまわりの一生。 こんな生態を知ると、ふと個体は自らのコピーを増やそうとする遺伝子の乗り物に過ぎないという言葉を思い出す。もっとも、その点では人間も大差ないのかもしれない。ただ、人間はこうしてコラムを書いたり、文化を生み出したりする存在ではある。せめてそれが、ミノムシの糸以上に強く、ミノに負けないぬくもりのあることを願う。

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