18世紀フランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソー。『社会契約論』などの政治的著作でも、『告白録』などの文学的著作でも知られており、フランス語圏以外では日本でことに人気が高い。
代表作のひとつ『エミール』はどちらの系列とも言いがたい作品だけれど、その中に「よく注意して青年を見張っているがいい」に始まる一節がある。昼も夜もひとりにさせないなど、彼を「危険な補い」から守るための心得。自己の中の欲望とそれを監視する他者の視線。両者の葛藤をテーマとしていた彼は、その行為に反対する立場だった。
その行為の別の名が、バイブルからとられていることはご存知だろうか。旧約聖書の創世記第38章、ユダの子オナンの物語。かくも本質的な問題とされつつ、研究の対象になることはこれまで少なかった。
とはいえ、ルソーが絶賛したスイス人医師の著作『オナニスム』が刊行されたのが1758年。けっして無視されていたわけでもない。ただ、ことに19世紀、ヴィクトリア時代のピューリタニズムを背景にした論調などは、その行為をきびしく糾弾するもの(朝日3月3日)。
当時と比べて、現代はずいぶん明るくなった。偏見がはずれ、正しい知識が広がるのは歓迎。とはいえ、あまりにあっけらかんと語られてしまうと、さて、ルソーがおそれた「他者の視線」はどうなったのかと疑問を抱かないでもない。欲望ばかりでしあわせがあるはずもなく。
葛藤の克服と自己の統一を探求し、その外部化として統一された社会のあり方までも追求したルソー。「人間は幸福であるために生まれてきた」。彼の言葉である。
参考書として、成城大学「石川弘義教授」の『マスターベーションの歴史』(作品社)を。
今日の没ネタ。西暦655年から656年、アラビア語の岸壁碑文としては最古の碑文、シナイ半島で(朝日3月2日)。大昔、火星に微生物がいたかも(朝日3月2日)。ミサイルを改造して宇宙帆掛け舟(朝日2月28日)。学力には学んだ結果としてのそれと学ぶ力としてのそれ2種類ある(朝日3月3日)。
今日の雑学はむずかしいですねぇ。
「そういう用語」に敏感な年頃に語源を探っていると
聖書につきあたったことを思い出しました。
たしか、「その行為」は「自分ですること」ではなく
て、「外に出すこと」だったように記憶しています
が、そうですよね?
確かに、相手のある行為はともなっていますね。
いやそれにしても、読者層が広いだけに、なんとも書くのにも苦労しましたです。汗。
ちょっと物覚えに参照サイトを追加。「日本性教育協会」も参考になります。特に、「21世紀に向けての第三性革命」にあるように、むしろその行為は今推進の方向にあるようです。また、メディカル・トリビューンの雑誌「Sexual Science」も有益。