子どもの頃に見たウールマークのテレビCMが、今も心に残っている。1970年代のことだったろう。企業名と思っていたが、羊毛輸出業者による自主企画マークだと後年知った。もっとも成功したマークのひとつだと、最近マークについて調べた高校時代からの友人が言う。
彼のまとめた『マークを読む』によれば、地方を含めれば、日本にマークは千種類以上あると言う。よく知られているのは、JISとJASだろう。学校の授業で習った。品質を保証するマークだから確かめて買おうと聞かされた記憶がある。最近はどうなのだろう。商品全体の質が上がり、注目度は下がっている。JISもJASも最近になって路線を改めているのもそうした背景があってのこと。
マークを見れば時代がわかる、と友人は言う。なるほど、90年代にはエコマークはじめ環境問題に関連したマークが注目を集め、今は有機JASやふるさと認証食品のEマーク、特定健康食品マークなど特定の価値に関心が集まる。かつては洗濯方法についての注意マークをよく見たものだが、今はペットボトルなどリサイクルマークを見て分別する機会が多いように思う。価値観や生活スタイルに、マークも添っているということか。
一方で、プライバシーマークの登場などを思えば、14世紀頃に生まれたホールマークが銀食器の品質を示すものであって以来、いつの時代も生活者が不安を抱く分野はあり、品質保証の必要性は依然残っているといえるのかもしれない。
ぼくたちは今、何を基準に商品を選んでいるだろう。品質はすでに基本条件として折りこまれ、その上の付加価値で選んでいた時代も終わろうとしているように思える。今はむしろマークに象徴される外部基準ではなく、自分を語るために消費している時代であろうか。ただ、マークとは互いに共有する基準があって初めて成立するもの。自分だけで構成される「自分印」なんてのはありえないのではあるのだが。
文中紹介した『マークを読む』(中井有造)、マークについてコンパクトにまとまった一冊、200種以上のマークの説明が含まれており、お薦めです。
なお、今回より月2回、1日と15日の更新となります。ご了承ください。
久しぶりに投稿します。
確かに私たちが子供の頃の JASマークなどの品質保証関係のマークには「これがついていれば絶対に大丈夫・・・」という意識があり、マーク自体に威厳があったように思います。
あまりにもマークが氾濫している昨今、本当にこれは必要だというものが曖昧になっているように思います。
意味の解らないマークが多くなってきているので、今回の『マークを読む』は、ぜひ読んでみようと思っています。
ここ数年、耐震度偽装問題や食品表示偽装問題など、日本の品質表示に関する疑惑や問題が強く認識される事件が相次いでいると思います。
日本の消費者がブランドや大企業志向を強めているのも、これらがある意味で「マーク」のような役割を担っているのが一因ではないかと思います。
社会で信用を受ける「マーク」のような評価制度が存在する事は、大資本や伝統をもたない新興企業にとって市場の評価を得る大きな助けになり、新規参入者が成功する事は、市場の活性化につながり消費者の利益にもなります。
日本はもっと評価制度が充実について真剣に努力するべきだと思います。
私、実は以前ウールマークを管理する団体に勤務していました。
あれは、オーストラリアを中心とした牧羊業者の組織がスポンサーになって、羊毛の拡販のためにスタートした制度です。
ウールマークは、世界ではダイムラーベンツ、コカコーラ、ミシュランに継ぐ認知度を誇るマークと言われています。
当初は品質基準を満たしさえすれば無料で付けることができましたが、現在は、資金的な問題から、50万ドル(だったかな?) とかのライセンス料を取っています。