長男が小学生になる。子ども部屋をどうしようか。空間配置だけの問題と思うのに、そうはいかない。小さいうちは親が居るリビングに机を配置せよと言う人もいるし、長じてから個室を与えれば自分の権利と思って親に立ち入らせなくなる、幼いうちから与えて親も出入りすべきという人もいる。要するに、間取りではなく子育て論になっているわけだ。
たしかに建築としての家は、家族のあり方と不可分だった。理想の家族に向けて建てられるという見方もある。いわゆる伝統的な民家は、四つ間取りといって土間の横に田の字型に畳部屋が並ぶ。家の主は奥の間に居て、食事となれば囲炉裏のある表の部屋に出てくる。雨の日は土間で子とともに仕事をした。子とどうつきあうかなんて考えたろうか。
大正期、家の中央に廊下を走らせ、玄関脇に応接室を設置するスタイルが生まれる。廊下に面して茶の間がある。その場の主役は夫たる男で、応接室も彼の客を迎える場であったろう。この時期までは「男の家」だったという指摘もある。
戦後、いわゆる公団住宅がnLDKモデルを広め、寝るところと食べるところを分けましょう、寝るところは独立させましょうと推進する。キッチンとリビングが住宅の主役になり、住宅選びに女性の意見が尊重されるようになった。専業主婦化が進んだ時期でもある。その後、賃貸から分譲へという流れもあって個室化が進んだ。
ちなみにわが家は20年余り前に立て替えた田舎の一軒家で、これら歴史をすべて飲み込んだ間取りになっている。子ども用として選択肢はいろいろあったけれど、結局、書斎で余っていた机を与え、そのまま書斎の一角を彼のスペースとした。それが良かったかどうかわからない。いや、きっと正解なんてないのだろう。父の隣で学ぶ彼の姿を見、声を聞きつつ、ときに納得し、あるいは考え直しもするのだろう。そうした過程そのものが、子と関わるということなのだ。
間取りの本はいろいろありますね。とりあえずは『間取りの百年』を参考にしました。ジェンダー的な視点については西川祐子『住まいと家族をめぐる物語』をどうぞ。山本理顕の『住居論』にある住宅擬態論は言葉としていいなあ。なお、郊外の発展については三浦展『「家族」と「幸福」の戦後史』などをどうぞ。
あと、間取りとは直接関係無いようである、宮下マキ写真集『部屋と下着』って、何気ない住宅内が住む人の意識とともに見えていいなあと思います。こういう写真集、ほかに無いかなあ。
毎度 お世話様です。私は自営業で事務所がとりあえず私の「場所」でしょうか。第2子の誕生を期に増築して子供部屋を造りましたが どう云う訳か寝る直前まで自室に入らず居間にいます。私も元気な時は良いのですが風邪など引くと事務所と言うわけにもいかず居間で落ち着き無く過ごす事になります。考えてみると 子供にはそれぞれ部屋があるのに お父さんの部屋はありません。また子供は具合が悪くなると私と寝たがるので これまた落ち着きません。
どうやら 間取りやら 生活全般が子供中心のようです。そう言えば 子供が生まれてから 妻を「お母さん」と呼ぶし私は「お父さん」と呼ばれます。
「あなた」とか「○○さん」と呼ばれる人は書斎が持てるのかな。
娘はもうすぐ11歳です。
一人っ子なので独立した部屋を与えました。
机もベッドも用意して。
しかし自分の部屋を使うのは
友達が遊びに来た時だけ。
後は居間で殆ど過ごしています。
娘にはまだ必要が無いのかも知れない。
私が育ったのは山奥のホッタテ小屋のような
古い家だった。
囲炉裏から練炭コタツに変わったのは6歳頃だったろう。
7人家族。
祖父母、両親、兄弟3人。
自分の部屋なんて夢の夢だった。
部屋は無くても子は育つ?
^^;
おもしろいですね。
確かに、今では住宅は子どもを中心に決めるという感じですね。藤原智美『家族を「する」家』に、アメリカ人は住宅を選ぶとき、夫婦の寝室を重点的に調べるとあって、なんだか考えさせられました。
どっちがいい悪いというのじゃなく、文化の違いなのですが。日本人のルーツは、ようさんのおっしゃるような姿ですね。ちなみにぼくも、土間にかまどがあった家で育ちました。
中一の長男、小六の長女、小3の次女の三人の子供がいます。
子供部屋として三人で共通使用する部屋を与えています。
ただしここを使用するのは寝るときだけ。
長女は以前から自分の机と自分の部屋を欲しがり、最近また中学入学を目前にしてしきりにアピールしてきています。
そろそろ仕方ないかなと思い始めていたところで、私にとってはタイムリーな話題でした。
部屋を与えるにしても、勉強机は買わず、今まで通りダイニングで勉強させるつもりです。
部屋にこもりきりになるのを恐れています。
いつも入って行けない程難しい話だからメールは今回初めてです。
ちょっと今日はお邪魔してみようかなあ0と思いまして!
私は学の無い普通の田舎人です。
だったらこんな所に入ってくるなよ!
って聞こえて来そう0。
でも私は若い人との話が大好きなんですだから。
私の子供達はもう大人です。
子育ては今になって気付く事ばかりです。
私、子供って親の姿次第だと思っています。
両親が常に前向きに明るく生活していたら、子供だってそれを見てそうなると思っています。
もし親が常に落ち込んでいたり、不機嫌だったり、不足ばかり言ってたら、子供も部屋へ閉じこもると思います。
子供と色々な話が弾み明るい家庭である為にも、私たち親が人生を楽しく暮らしたいですね!
子供部屋のことでしたね。
必要だと思う時がくるからやはり必要だと思いますね。
私は、家づくりを事業とする会社さんの、制作物を担
当する仕事が多いので色々と考えることもあります。
私自身はまだ子供がいないので、親の立場に立って子
供部屋を考えることはできません。
しかし、最近は「子供部屋」もちゃんと家づくりの計
画に組み込まれ、商品カタログの必須アイテムになっ
ています。
でも、自分が子供だったとき、自分の家について「ボ
ロボロでやだな」とか「センスの悪い家だな」とか、
それこそ自分の部屋について「ここのクロスの貼り方
がいやだ」とか「こんな狭いのはイヤだな」なんて
思った記憶は全くありません。
もちろん、受験勉強など「自分の部屋がほしい」とい
う気持ちは大人になるに連れ芽生えましたけど。
母が台所で料理をしているそばで宿題をする。妹が机
に向かっているのを意識して机に向かう。。。誰かの
気配がするところに、自分の居場所を見つけていたよ
うな気がします。
長くなってすみません。
初めて書き込みをします
東京から福岡へ転勤したとき 借りた家に子供の部屋として与えられる部屋が二つあり二人の子供がそれぞれ使用しました 長男が中一になったばかり 長女は5年生でした 長男の部屋は二階と言うこともありほとんど入りませんでしたが 高校生のころあるとき必要に迫られて入ってみてびっくり まるっきりゴミ箱でした また男の子の読む本も散乱しています 無論即刻片付けるように命令しました
ところで私の子供のころについて考えると 狭い社宅住まいでしたから個室等考えたこともありません
就職してからも転勤で社宅住まいが続き 退職とともにすんだ父の家も高齢の父がほぼ3部屋を使用 私と言えばパソコンを置いたテーブルの脇で寝るような生活です
貧乏性であまり広い家は居心地が悪いので ちょうど良いのかもしれません
いつも感心して読ませていただいてます。
当方2歳の娘と家内との3人暮らし、アメリカに渡り住み7年目を迎えました。
こちらでは3~6ヶ月ぐらいの乳飲み子の頃自分の部屋で一人、夜を過ごさせるそうです。最初の2~3日は泣いて、泣いて泣きつかれて寝るようですが、すぐに慣れるそうです。そうやって独立心を養うそうですが。。。うちはいたって日本的に育てています。(^_^;)
夜、子供(に限りませんが…)が一人でいるのって怖くて当たり前なんですよね。
野生でそんな状況になったら、捕食者の餌食になる可能性が非常に高いんですから。
結局、「お化け」ってそういう物じゃないのかなぁ…って思います。^^
いつも楽しく読ませていただいております。
横浜に住む二児の父、36歳です。
皆さんのコメントを読ませていただきました。
色々な年齢層の方々がいらして勉強になります。
また、インターネットってこういうふうに
現実ではちょっとありえないようなコミュニケーションが
出来るんだなと改めて感心してしまいました。
就学前のうちの子供たちはまだ部屋は与えていません。
私自身は一人部屋ではなく妹たちと共用でした。
喧嘩もしましたけど楽しい思い出です。