小橋 昭彦 2004年6月10日

旧人の一種ネアンデルタール人は、およそ30万年前から3万年前までヨーロッパで暮らしていた。新人であるクロマニヨン人が現れたのが、4万年前。両集団は1万年ほど共存していたらしい。クロマニヨンがネアンデルタールを滅亡させたという説もあるけれど、可能性は低い。集団間の接触はほとんどなかったのではないかと考えられている。

たとえば、現代のチンパンジーとゴリラ。果実を食べるなど食の好みが重なりつつ、争いは少ない。理由の一端が、それぞれの性質や行動パターンの違いだ。チンパンジーは果実に執着し、小集団での狩りなどさまざまな戦略を編み出している。一方のゴリラは、特定の果実には執着せず、集団で動きながらさまざまな食物を食べる。こうして食べ物の選択や獲得方法を違えることで、互いが接触する機会を減らしている。ネアンデルタールとクロマニヨンも、そんな風に共存したのだったか。混血した可能性も、ほとんどない。

頑丈なネアンデルタールと、きゃしゃなクロマニヨン。両者は、性格の上でも大きく違っていたようだ。ネアンデルタールの脳は現生人類より大きいけれど、体重比では小さめで、体重に対する前頭葉の大きさは、現生人類より3割くらい小さいと見積もられている。それゆえに言語が未発達で、未来志向性に乏しかったようだ。死という観念も薄かったらしく、花を手向けたという報告もあるけれど、意図的な埋葬が確認された例はない。クロマニヨンのように洞窟画や彫刻に親しむこともなかった。ネアンデルタールは死を恐れることなく、未来に悩むこともなく、静かに地上から姿を消したのだったか。

シミュレーションからは、わずかな出生率の差が滅亡と繁栄を分けることが示されている。1万年後のある日、クロマニヨンは、そういえば最近あのでかい奴をみないなあ、なんて思いを馳せたかもしれない。そして死に脅え、将来に悩み、しかしそれゆえに今に命をつなぐのだ。

4 thoughts on “さよならネアンデルタール

  1. ネアンデルタールの性格についてはシンポジウム「アイデンティティに悩むネアンデルタール」で取り上げられていました。発表者のひとり「斉藤成也」氏のサイトもご参考に。また、当時のネアンデルタール人の姿については「Dederiyeh Neanderthal」をどうぞ。共存していたかどうかについては「質問:ネアンデルタール人は何故滅んだの?」「ネアンデルタールと現生人類の関係」「日本人はるかな旅展」をご参考に。ゴリラとチンパンジーについては「山極寿一」氏のインタビュー「ゴリラに見る人間社会の起源」が参考になります。「黒田末壽」氏のページもどうぞ。それから、過去のコラム「孤独なホモ・サピエンス」及びそのときの参考書も参考にどうぞ。

  2. いつも楽しいコラムをありがとうございます。
    実はネアンデルタールはクロマニヨンに滅ぼされた
    と信じていたんで、なるほどと感心したしだいです。

    クロマニヨンは闘争心が旺盛で、戦闘的だとどこかで
    聞いたんですが、違ってたんですね。
    未来志向と死へ恐怖ですか、それが原点かも知れませんね。

  3. 加藤さん、ありがとうございます。

    クロマニヨンが闘争心が旺盛で戦闘的という部分は、あるいはその通りだったかもしれません。死への恐怖があるがゆえに襲ってくる相手と必死に闘うといったこともありますしね。

    逆に言うと、闘争心のない種は、生存競争のなかで生き残りにくかったと考えられます。もちろん同時に、他者を思いやり手を組むことができる種の方が生き残りやすい側面もあります。

  4. 小橋様
    今日も楽しいメッセージ有難うございます。
    30万年前となると具体的な世界を描きにくいのですが、ネアンデルター人は3万年生存し、クロマニオン人と1万年同時期を過ごしているということは愕きです。大脳や言語の発達を遂げ、文化文明を築いた現代人は果たして彼等以上に地球上に生存できるのか考えてしまいます。現代人のエゴが既に生物の絶滅を促しているところをみると、あと何年生きられるのかなとという想いと、これではいけないという想いが錯綜します。
    仰る通り、生き残るとは「他者を思いやり手を組むことのできる種」だと思います。

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