ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

青い目のルーツは一人の遺伝子変異

2008年2月02日 【雑学なメモ
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn
Blue-eyed humans have a single, common ancestor
New research shows that people with blue eyes have a single, common ancestor. A team at the University of Copenhagen have tracked down a genetic mutation which took place 6-10,000 years ago and is the cause of the eye colour of all blue-eyed humans alive on the planet today.

その昔、人類はみんな茶色の目だった。6から1万年前のある日、遺伝子変異が起こって、青い目の人が生まれた。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn



required



required - won't be displayed


Your Comment:

 アラン・ホブソンといえば、夢研究の第一人者。「夢の科学 (ブルーバックス)」の著者でもあり、これはすごくおもしろい本だった。
 夢というと、「空を飛ぶのは何の象徴」といった夢判断的な考え方がまだ幅をきかせているのじゃないだろうか。
 まあ、夢の意味を読み取るのがその本人であるなら、いわばロールシャッハテストみたいなもので、夢を解釈することに意味がないわけではないだろう。
 でも、夢に神秘的な作用があるようなとらえかたは、いかにも古風。
 ホブソンは、そんなフロイト的とらえ方を一蹴し、きわめて現実的なとらえ方をする。彼が本書で問いかけているのは「心脳パラダイム」だ。
 それは、心と脳は同じものである、という考え方だ。わかりやすく言えば、脳に起きた化学的変化が心にほかならないと。
 まあ、これはこれでかなりドラスティックな考え方ではある。
 第一部でホブソンはこの考え方を説明する。覚醒に関わるアミンと睡眠に関わるアセチルコリンが制御する、アミン-コリン作動系としての生物化学的な脳の姿だ。
 その結果見えてくるのはどんな世界か。第四章にある一節を引用しよう。
「(前略)意識状態が、夢見のような正常な錯乱であろうと、アルコール離脱性譫妄のような病的な錯乱であろうと、どちらの場合も形式上同じ特徴と同じ原因を有しているのである。その共通した特徴とは、失見当識、不注意、記憶の低下、作話、幻覚、情動の過剰な高揚である。また共通の原因とは、脳内の化学物質のバランスが突然変化することである。」
 要するに、心脳パラダイムから見ると、精神錯乱も夢も同じ状態に他ならないのだ。それが、正常と異常をつなぐ橋になる。
 この橋を渡りながら、ぼくたちの意識あるいは無意識に生起するさまざまな状態を説明するのが第二部だ。記憶、幻覚、情動、活力。そしてついには「心」そのものまで。
 ホブソンの観点から言えば、神経生物学的な心脳状態こそ基盤だ。その上で、内省で把握できる意識があり、把握できない非意識がある。こうなってくると、神経生物学のもとに、心理学も哲学も精神分析も還元される(と実際ホブソンは第十二章で述べている)。
 だから本書の副題である「夜ごと心はどこへ行く?」は、「夜ごと脳はどう変化する?」に他ならない。さらに言えばそれは、「錯乱時に脳はどう変化する?」と問うことでもある。
 そこから導かれる答えは、精神疾患の治癒に役立つことになるだろう。ホブソンは第三部で、治癒につながるいくつかのエピソードを紹介している。
 心脳パラダイムはあまりに「物理的」だろうか?
 いや、仮にそれに従うにしても、それは決して機械のようなものではない。むしろ複雑系が支配する、きわめて幻想的な風景。
 ホブソンが第十二章に記した一節を引用しよう。
「水の流れや焚き火を観察し、秩序正しい流れが不規則な流れにとって代わられ、再び秩序に戻るのをよく見てみよう。同様に、意識の流れも流動し、途切れ、渦巻き、再び終結する。」
 そう、心脳パラダイムのなかでも、夢の神秘、心の不可思議は、それとして残されるのである。

前の記事

 自分勝手とは何か。
 自分にプラスかマイナスかを横軸に、相手にプラスかマイナスかを縦軸にグラフを描いてみよう。自分にプラスで相手にプラスなのは共存共栄。自分にマイナスで相手にプラスなのは利他行動。そして、自分にプラスでありつつ相手にマイナスなのが、自分勝手と定義される。ちなみに、自分にマイナスで相手にもマイナスなのは単なる嫌がらせである。
 自分勝手は良くない。やめよう。言うのは簡単だが、実行するのは難しい。ゲーム理論を用いてそのことを説明し、それでもなおかつ、自分勝手をやめるようにするにはどうすればよいかを、大浦宏邦さんは探っている。ゲーム理論への分かりやすい入門になっている。
 自分勝手にも二種類ある。
 今、相手と二人の関係を考える。自分勝手な行動をすると自分は20円もらえ、相手は10円損するというルールとしよう。仮に両者が相手のことを考えて何も行動しないと、差し引きはゼロ円である。一方、相手が損をしてもいいからと、両者が自分勝手な行動をすると、二人とも10円もらえることになる。こういう場合の自分勝手は、いわば良い自分勝手だ。経済社会における「競争の原理」は、おおむねこの考え方と言えるだろう。
 ルールを少し変えてみよう。自分勝手な行動をすると20円もらえ、相手は30円損すると考えるとどうか。お互い何もしないとゼロ円というのは同じだ。では、それぞれが自分勝手に行動するとどうなるか。二人とも10円損するのである。これは悪い自分勝手だ。
 前述のどちらの場合も、相手が自分勝手をする場合としない場合を検討し、自分にとっての最善手を合理的に考えるなら、自分勝手をした方がよい。両者にとってそれは同じで、合理的には二人とも自分勝手をするところに落ち着く。いわゆるナッシュ均衡だ。
 ただ、前者の場合はそれが全体にとってしあわせ(パレート効率という)だが、後者の場合は不しあわせ(パレート非効率)になる。問題は、パレート非効率になるとしても、合理的には自分勝手が「やめられない」ことだ。
 こうした状況を「囚人のジレンマ」というが、それが繰り返されるときを考えるのが進化ゲーム理論である。
 その場合、はじめは協力し、あとは相手と同じことを繰り返す「しっぺ返し戦略」が良いことがわかっている(「上品でいこう」参照)。
 もっとも、人間の場合、集団で暮らしている。ここに「共有地の悲劇」というやっかいな問題が発生する(「共有地の悲劇」参照)。5人の集団で、10頭までなら問題なく飼える牧草地を管理していたとする。収益は1頭5万円。10頭を超えると発育が悪くなり、1頭につき2万円の収益低下が起こるとしよう。
 この場合、各人にとっては、少しでも多く飼う方が合理的なのだ。こうして牧草地は荒廃してしまう。
 これを解決するギンタスのモデル(サンクション=罰則=を導入する)についての説明がていねいだ。こうした流れでの説明はこれまで目にした記憶がなく(不勉強?)、とても興味深く読み進めた。
 ギンタスのモデルは、自分勝手を防ぐ手法だ。
 ところが、その先にさらに問題がある。
 自分勝手を防ぐシステムとは、自集団の最大利益を目指すためのものだ。では、仮にその集団が他の集団との社会的ジレンマに直面するとどうなるか。
 自集団勝手は、やめられないのだ。
 仮に集団内に、他集団と仲良くしよう、そのために自分たちの損も我慢しようという人が現れたとする。すると、それは自分勝手な行動と認知され、サンクションの対象となってしまう。自分勝手を防ぐシステムが、自集団勝手を防ぐことを妨げるのだ。
 このほか、ゲーム理論をめぐっては「共感」「権威主義」「評判」など、社会を読むキーワードが多い。これらもていねいに拾われている。
 自集団勝手をめぐる研究が、いま社会的ジレンマの研究者の間で進んでいるという。ある意味社会を抽象化してとらえるこの窓の向こうに、21世紀の協力社会が見えてくることを期待したい。

次の記事