ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

たたいてしつけたら子どもはもっと悪くなる

2005年11月16日 【雑学なメモ
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

Spanking leads to child aggression and anxiety, regardless of cultural norm
No matter what the cultural norm, children who are physically disciplined with spanking and other such approaches are more likely to be anxious and aggressive than children who are disciplined in other ways. This finding, published in the November/December journal Child Development, comes from surveys of parents and children in six different countries.

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

Comments are closed.

「史上最悪のソフトウェアバグ」ワースト10を紹介(上)
1962年7月22日――火星探査機『マリナー1号』
1982年――旧ソ連のガス・パイプライン
1985?1987年――セラック25
1988年――バークレー版UNIX(BSD)のフィンガーデーモンによるバッファー・オーバーフロー
1988?1996年――『ケルベロス』の乱数生成アルゴリズム
1990年1月15日―― 米AT&T社のネットワーク停止
1993年――インテル社製『Pentium』(ペンティアム)による浮動小数点数の除算ミス
1995年/1996年――『Ping of Death』
1996年6月4日――『アリアン5』フライト501

前の記事

 地球に接近した赤い惑星を指差し、小学1年生の長男にあれが火星だと伝える。あの小さな光に向けて、人類はロケットを打ち上げた。宇宙船はかの地に降り立ち、走査。そのカメラを通じて、ぼくたちはすでに赤い大地を「見て」いる。部屋に戻って火星の風景を写真集で追った。この星空に延長された眼を先に持った子は、ブラッドベリの『火星年代記』の詩情をどう読むのだろう。
 そんな思いから、あらためて写真の歴史をたどる。カメラの語源となったカメラ・オブスクラは、ラテン語で「暗い部屋」を意味している。壁にあいた小さな穴から入る光が、暗い部屋の壁に外の風景をうつす。天文学から娯楽まで、広く利用された現象だ。東京都写真美術館監修の『写真の歴史入門』では、これを「第二の視覚」と呼び、第三の視覚である写真と区別している。そして、写真が第一の視覚である裸眼や第二の視覚と決定的に違うのは、「物」であることだと指摘する。平面に固定され、手渡すことのできる「物」。
 なるほど、写真は時間という経験を「物」化する。並行して読んでいた『木村伊兵衛と土門拳』で、三島靖氏がふたりのフィルムのコンタクトを比べ、街角の風景を撮るにあたって、土門が対象を執拗に追ってシャッターを繰り返し押しているのに対し、木村は前後数枚しか撮っていないと指摘している。時間を追い続けた土門の写真が一瞬を切りとった鋭利な「物」となり、一瞬しか撮らなかった木村の「物」には時間の流れを感じるのが、なんだか意味深い。
 そんな思いをたどりつつ、唐突に、そうか、インターネットのライブカメラ映像は、カメラ・オブスクラだったのだと気づいた。ライブカメラ映像に引き起こされる感興がずっと不思議だった。それは、「物」化されない、こぼれていく時間を見ていたゆえだったのだ。だとすれば第二の視覚は、今も生きている。そしてこの子が成長する頃には、それは星の世界にも伸ばされていることだろう。

次の記事