ざつがく・どっと・こむ
ちょっと知的な雑学&トリビア

微小ブラックホール

2005年10月20日 【コラム
Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

 仲間と同人誌を作ってSF作品を発表していた1980年代、ブラックホールといえば大きな質量を持った星が最後に超新星爆発を起こし、中心核が自重によって収縮した結果できたものというのが一般的な認識だった。さまざまなSF作品の舞台として登場したし、白鳥座の方向にそれらしいものが見つかったと話題になってもいた。
 題材にしたいと思ったこともある。しかし、物理学の門外漢にはリアリティを持って絵にできなかったし、それはこうしてコラムで扱おうとしている今でも同じ思いが残る。ただ、ブラックホールに対するイメージは当時から大きく変わったし、その変化にどこか時代性が感じられる気もしている。そのことを書きとめておきたいと思ったのだった。
 ブラックホール候補が白鳥座X-1以外に多く見つかっていることも変化だが、もっとも大きいのは、天文学の世界に量子力学があわさって、微小ブラックホールが存在する可能性が示されたことではないか。量子重力理論である「ひも理論」が正しくて余剰次元が存在したら、大型加速器で微小ブラックホールを作ることができるとさえいう。できたブラックホールが加速器をのみこみ研究所を崩壊させ、やがて地球もなんて心配はない。理論上、生まれたブラックホールは速やかに崩壊する。加速器で生み出せる規模の粒子衝突ならすでに大気中で起こっていて、研究者たちの試算によると、年間100個くらいは微小ブラックホールが大気中で生まれているとか。思わず、空を見上げる。
 ブラックホールが蒸発するというホーキングの理論も驚きだった。のみこむだけじゃなく放射もする。その前後で情報が失われないとすれば、入出力のある一種のコンピュータとしてブラックホールを利用できると研究を進めている研究者もいる。アインシュタインの一般相対性理論からはじまるブラックホールへの旅。はるか何千、何万光年の旅だと思っていたのが、一方で実験室や計算機の世界に向っていた。

Share...Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

2 comments to...
“微小ブラックホール”
Avatar
小橋昭彦

ブラックホール関連では「数瞬の救命 [04.01.15]」としても取り上げました。ブラックホールの登場する作品では『ゲイトウエイ』などが思い出深いです。ミニブラックホールを取り上げた短編も雑誌で読んだ記憶がありますが、さて、誰の作品だったか。
日経サイエンスの「ブラックホールを製造する」にミニブラックホールの実現性について、また「計算する時空」にコンピュータとしての利用の話が掲載されています。一般的な解説は「ブラックホール」が入門的。


Avatar
しゃあ

渋滞を避け 近道をしようと 迷い込んでしまった路地。困っていると ふと見覚えのある大通りに出た。「おわっ ラッキー こんな所に繋がってるんだ。」ってカンジですか?




required



required - won't be displayed


Your Comment:

How new words become part of a language
WHEN unwanted email first came along, people invented different words for it, such as unsolicited email and junk email. But eventually “spam” became the word of choice to describe the phenomenon.
It’s a process that happens each time a new thing needs a name, but language researchers have struggled […]

前の記事

 EBMという言葉を知ったのは、いつのことだったろう。Evidence-Based Medicine、訳せば「根拠に基づく医療」である。根拠というのは、科学的な知見のこと。ここでいう科学とは、実験室で行う実験や化学的研究ではない。専門用語で疫学的というけれど、多くの患者における治療結果を統計的に分析して、効果や副作用を調べることをいう。従来の医療はえてして医師の経験や権威ある人の言葉をもとに、「根拠」なく行われてきたという反省に立っている。
 EBMの手法をとる医師は、患者を診るにあたって、まず問題点を明確にすることを求められる。どの治療法の、どんな点を検討するのか。次に、その問題意識に添って、論文などの文献を検索し、内容の信頼性を批判的に吟味する。その上で、吟味した結果を目の前の患者へ適用することの妥当性を検討する。いくら科学的知見であれ、統計的なものである以上は、目の前の患者にあてはまるかどうかはわからない。
 医療なんて、不確実なものだ。ひとりひとり個性を持ったいのちである以上、100%確実なことなんて、ない。その不確実性を少しでも減らそうとするのがEBMだと読んで、なんだかいいなあと共感したことを覚えている。ひとりの患者から発してふたたび患者にかえる、その姿勢。人間を機械のようにみて治療する手法とは対極にある気もして。
 この夏には、EBMの立場から健康診断には根拠がない検査項目があるとする調査結果も出ていた。わが父も数年前の大病ののち、定期的に検査を受けている。検査数値が悪かったといっては落ち込んで寝込む様子をみるにつけ、医療のもうひとつのキーワードである「生活の質(QOL)」という言葉も思い出しつつ、検査に接する難しさを感じている。大切なのはより良い数値ではなく、よりよく生きること。精密検査の結果を手に「きれいなもんやった」と、活力を取り戻している表情を喜びつつも、今はただシンプルによりよく生きることが難しい時代だとため息をつく。

次の記事