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ちょっと知的な雑学&トリビア

冷やして運ぶ

2005年9月15日 【コラム
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 山岳部に居たという友人に、あれは確か少し長めの旅の話を聞いたときだった。生きたニワトリを連れていったというエピソードがあって、足手まといだろうになぜと尋ねると、食べるためという回答が返ってきた。肉として運ぶと保存がきかないから、生きたまま運び、食べるときにしめると説明され、納得したのだった。冷凍冷蔵があたりまえにある暮らしをしていると、日数をかけてはこぶ難しさを忘れがちになる。
 枕草子に今でいうかき氷が登場するなど、氷は古くから氷室で保存し利用されてきた。再現実験によると2月から7月まで保存して7割近く残ったという。運搬も順調だったかと調べてみると、近世になっての苦労話が印象的だった。天然氷を江戸に運搬して販売しようとした、中川嘉兵衛による挑戦だ。最初は富士川沿いの氷池で作った100トンの氷を盛夏に運ぼうとして、わずか8トンしか残らず大損害。その後片手にあまる失敗を経て、明治に入ってようやく、函館五稜郭氷として知られる氷事業を成功させることになる。
 冷蔵法のない時代、意外なものを意外な方法で運んだといえば、ジェンナーが発見したことで知られる、天然痘ワクチンだ。1803年、国王の命を受けたスペインの軍医デバルミスは、新大陸にワクチンを届けるため、22人の孤児を同行させた。まず一人に感染させ、膿胞ができるまで10日間ほど待つ。そして彼から膿を採取し、別の子に接種する。万一のために同時に二人に感染させていくとして、この方法で3ヶ月から4ヶ月の船旅ができる。接種が済んだ孤児は、現地で育ての親を探して預けた。デバルミスはメキシコでまた2歳から6歳の孤児を新しく集め、フィリピンまでワクチンを届けている。天然痘撲滅の歴史の初期には、小さな子どもが大きな役割を果たしていたのだ。フィリピン政府サイトにはデバルミスとともに孤児たちをたたえる言葉があった。彼らが届けたのは希望と平和のメッセージであった、と。

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6 comments to...
“冷やして運ぶ”
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小橋昭彦

氷室、そして中川嘉兵衛については「日本の氷の歴史」に詳しく紹介されています。「函館氷の始祖中川嘉兵衛翁」「氷の文化史」なども参考になります。
デバルミスについては、英語ですが、「Dr. Francisco De Balmis and His Mission of Mercy」に詳しいです。


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taro

今日からメールで配信してもらうことにしました。
天然痘で孤児にのくだりで、子供の命を犠牲に!?
かと思い冷や冷やしましたが、ハッピーエンドで
心底安心しました。
今後も楽しみにしています♪


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aki

肉として保存するなら、缶詰という保存方法もあります。
ナポレオンの頃に発明されたとか?


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小橋昭彦

そうか、缶詰とか干し肉とか、ありましたね。生肉を食べたかったのかな。また聞いておこうっと。
ちなみに、この話を書きつつ思い出した小説にハインラインの『宇宙の孤児』があります。世代間宇宙船の話ですが、つまりはヒトの遺伝子を伝えるために生きた人間を利用したわけで、デバルミス的かなあと思ったのでした。ちょっと突飛な連想ではあるので、本文には触れませんでしたが。


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naka

鶏の話は船乗りとゾウガメの話に似てますね。ゾウガメは爬虫類で餌を与えなくても長期の航海でやせることはなかったでしょうが、鶏は体温が高く餌を与えないとすぐ痩せてしまいそうな気がします。牛痘がバタビアからモーニケによって長崎持ってこられたのはかさぶたの形でしたね。


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PACKMAN

鶏の件
私も昔そんな運び方をしました。
○○大学徒歩旅行部でした。
カレーライスになるまではテントの外で足に紐をつけて草とか節分の豆なんかを食べさせてました。




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 今日もわが家の三兄弟の遊び部屋には、車や恐竜のおもちゃがあふれている。ブロックで組み立てるのは飛行機かロボットで、まもなく2歳になる下の子まで兄を真似して「たったたーん」って背景音楽を口ずさみながら遊んでいるのがほほえましい。
 次男が生まれた頃、車を与えるから男の子になるのかなあと話していたら、米国の心理学者がベルペットモンキーにトラックやぬいぐるみを与えて遊ばせた実験結果を見かけた。いわく、雄のサルはトラックで遊ぶ時間が長く、雌のサルはぬいぐるみで遊ぶ時間が長かったと。この場合人間の文化の影響を受けたとは考えづらいので、おもちゃの好みは生物学的な差異で決まる部分もあるらしい。
 性差に関して、脳研究方面からの成果も多く発表されるようになった。たとえばP300と呼ばれる脳の反応がある。何かの刺激を識別しようとするとき、300ミリ秒以内に出現する陽性電位だ。不快な写真を見せられたら、男性では右半球に、女性では左半球に多く出る。右半球はおおまかな状況、左半球は詳細な情報の処理に使われる傾向があるから、男は大局を、女は細部を記憶すると言える。
 これを実験で確かめたのが、米国のカーヒルらだ。扁桃体の活動を抑制する薬を投与してから事故の映像を見せ、1週間後に記憶テストを行った。すると、男性は事故の骨子に関わる部分を思い出せず、女性は細部の状況を忘れていた。
 こうした性差の話にとまどいがあるのは、差があることを能力差に結びつけたり、「男」「女」というレッテルにとらわれるからだろう。ほんとうはこうした差があることはすてきなことだし、その差を埋めるのではなく、組み合わせて高めることを目指したいと思う。そしてそれ以上に、性差ではなく個性の違いに目を向けるということ。わが家の三兄弟も、「男の子」である以前に、それぞれひとりの人間として親の前にいる。

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