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読者交流会を開催いたします

2005年9月07日 【お知らせ
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10月2日(日)、兵庫県丹波市にて読者交流会を開催いたします。
詳しくは、「ご案内ページ」をご覧ください。

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 マス・メディアは少数意見の代弁者になっていくべきじゃないかな。そんなことを口にして、マスと少数という言葉の組み合わせゆえだろう、驚かれたことがある。ある出来事に関して、個人を責めるかのような風潮が世の中をおおった頃のこと。世間にはときどきそういうことがあって、ある意見が主流であると感じられると、反対意見が口にされないまま、どんどん広がり目立つようになる。 沈黙のらせん、とそれを呼ぶ。1965年の旧西ドイツ連邦議会選挙を分析した政治学者ノイマンが立てた仮説だ。人は、自分の支持する意見が多数派あるいは支持増大中と思われるなら迷わず口にするが、異なると思われれば沈黙を守る。これが繰り返されることで、多数派がいっそう顕在化する。この仮説をふまえれば、今の支持政党ではなくどの政党が勝つと思うかと問うほうが、選挙結果に近い予測ができるという見方もある。 人は、多数派に流される。それは、1950年代にアッシュが行った心理学実験で確かめられた傾向でもあった。この実験で被験者は、明らかに正しいと思われる回答でさえ、同席のサクラたちが口を合わせた偽りの回答に影響されて、口にしなかった。ヒトという生物が、原始より一匹狼でいるより集団で暮らした方が生き残りやすかっただろうことをふまえると、多数派に協調する心理が現代人の多くに持たれているのは当然ともいえる。 自分の表明した意見への応答が直接伝わるネット上では、少数意見は居づらい。増大する意見をさらにあおる「祭り」もある。それにマス・メディアがひきづられると、世の中の風景が単調になる。それへの懸念が、冒頭に紹介した発言につながったわけだ。自分たちが今、沈黙のらせんに陥っていないか、ぼくたちはつねに自覚的であらねばならない。らせんを抜け出すひとつの方法は、選択肢は白か黒だけじゃなく、多様にあるのではないかと問いなおすことだ。

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 今日もわが家の三兄弟の遊び部屋には、車や恐竜のおもちゃがあふれている。ブロックで組み立てるのは飛行機かロボットで、まもなく2歳になる下の子まで兄を真似して「たったたーん」って背景音楽を口ずさみながら遊んでいるのがほほえましい。
 次男が生まれた頃、車を与えるから男の子になるのかなあと話していたら、米国の心理学者がベルペットモンキーにトラックやぬいぐるみを与えて遊ばせた実験結果を見かけた。いわく、雄のサルはトラックで遊ぶ時間が長く、雌のサルはぬいぐるみで遊ぶ時間が長かったと。この場合人間の文化の影響を受けたとは考えづらいので、おもちゃの好みは生物学的な差異で決まる部分もあるらしい。
 性差に関して、脳研究方面からの成果も多く発表されるようになった。たとえばP300と呼ばれる脳の反応がある。何かの刺激を識別しようとするとき、300ミリ秒以内に出現する陽性電位だ。不快な写真を見せられたら、男性では右半球に、女性では左半球に多く出る。右半球はおおまかな状況、左半球は詳細な情報の処理に使われる傾向があるから、男は大局を、女は細部を記憶すると言える。
 これを実験で確かめたのが、米国のカーヒルらだ。扁桃体の活動を抑制する薬を投与してから事故の映像を見せ、1週間後に記憶テストを行った。すると、男性は事故の骨子に関わる部分を思い出せず、女性は細部の状況を忘れていた。
 こうした性差の話にとまどいがあるのは、差があることを能力差に結びつけたり、「男」「女」というレッテルにとらわれるからだろう。ほんとうはこうした差があることはすてきなことだし、その差を埋めるのではなく、組み合わせて高めることを目指したいと思う。そしてそれ以上に、性差ではなく個性の違いに目を向けるということ。わが家の三兄弟も、「男の子」である以前に、それぞれひとりの人間として親の前にいる。

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