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ちょっと知的な雑学&トリビア

八景

2004年12月23日 【コラム
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 地元の財団法人から頼まれて、地域観光を考える研究会に手弁当で参加している。いまさら従来型の観光振興でもないので、いろいろ学びつつ悩んでもいるわけだけれど、それはまたいずれ書かせてもらうとして、今回は「八景」の話。おそらく、あなたの身近にもあるのではないだろうか。国立環境研究所の調査によれば、2001年7月時点で全国に400以上あるというから。
 世界大百科事典によると、日本で初めての八景は近江八景だという。比良の暮雪、矢橋(やばせ)の帰帆、石山の秋月、勢田の夕照、三井の晩鐘、堅田の落雁、粟津の晴嵐、唐崎の夜雨がそれ。観光名所というより、画題として選ばれたものだ。
 そのルーツは中国の瀟湘(しょうしょう)八景で、11世紀から12世紀頃に確立したもの。こちらは江天暮雪、遠浦帰帆、洞庭秋月、漁村夕照、煙寺晩鐘、平沙落雁、山市晴嵐、瀟湘夜雨だから、近江八景がそのまま画題をなぞっていることがわかる。現在全国にある八景のうちにも、たとえば東京の深川八景のように、木場の落雁や塩浜の秋月などとこの画題に添ったのもあるし、画題までは踏襲していないところもある。
 そもそもなぜ「八」なのかも気にかかるけれど、こちらは聖数の起源もからんできて定かではない。中国では八卦などと言われもともと「八」が重んじられてきたし、日本でも「八百万」「八千代」など、八はめでたいものと考えられてきた。四方位の倍として「八」が尊ばれてきたともいわれるから、風景と「八景」は方位を軸に相性がよかったともいえる。
 わがふるさとで八景による観光振興をしようというわけではない。八景について思いを馳せるにつけ、四季折々に添って心に響く風景を切り出そうとした姿勢に、現在の「名所」がなんだか薄っぺらにも感じ、背筋が伸びる思いがするのだ。観光とは、地域の生活と季節と自然、人の心を守り育てていくところにあると、研究会では言っている。

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3 comments to...
“八景”
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小橋昭彦

コラムで触れた国立環境研究所による調査は、「日本に伝わった景色の見方“八景”」をご参照ください。

なお、本年は今回をもちましてお休みいたします。30日の更新はいたしません。新年は6日の更新をお休みし、コラムは13日よりお届けする予定です。


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jyoumyaku

あっと言う間の一年間でしたが小橋様には休む間もない長期にわたる執筆でご苦労様です

仕事をしていればなんでもないことなのですが、趣味から義務へと替わってきたとき辛さが出ますよね。そんなときいかがなさいますか

70年間、相変わらずのいい加減生活で過ごしてきました。
新年は古希なので小学校の同窓会を予定しております。

何かにつけて刺激を頂ありがとうございました
丁度60年経ちバブル崩壊から政治、経済、社会と大転換の時期にあたるのではないかとふと思いました。

新年は無理なことは避け、中味の充実を図ることで平穏無事に過ごすことを心がけます。

新年も張り切ってよろしくお願いしますね


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Akio

小橋さん、橋本大也さんの紹介で渋谷でのパーティでお会いしたあと、ご無沙汰しています。

数字の吉凶について上海、台北、NYのメル友に質問して回答を得たことがあります。

上海、台北とも数字の「八」は発音が、幸運を意味する言葉の発音に近いので縁起をかついで好まれるそうです。
数字の「四」は死や失う意味の発音に近いので忌み嫌われるそうです。

日本と違うのは、数字の「六」はものごとがうまく行く、数字の「九」は発音が高揚するを連想させるので好まれるそうです。

とくに台北では結婚の祝いに赤い袋に紙幣を6枚入れて渡すのだそうです。

米国では、幸運の数というのは個人のジンクスはあっても共通の数はないそうです。その一方、13 や 666 が忌み嫌われるのは事実で、ビルの13階はスキップして存在しなビルが多いそうです。




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 法制史を扱ったジャン=ピエール・ボーの『盗まれた手の事件』はこんなフィクションから始まっている。ある人が日曜大工で手を切断する。気を失っている間に、悪意ある第三者が手を拾いボイラーに放り込んだなら、その犯罪はどう裁かれるのか。 解答の一番目は、この悪意ある第三者を手を切断した罪に問うことだ。医者にかかれば接合できた可能性がある。それを不可能にした者こそ手を切断した犯人と。だがこれは少々無理がある。そこで二番目は、窃盗の罪に問う手法。被害者から手を盗んだというわけだ。しかし、と著者は言う。人間は肉体も含めてひとつの人格であり、身体は「物」ではない。手は切断されたとき初めて「物」になる。だとすれば、その所有者は最初に手に入れた者、すなわち第三者であり、窃盗にあたらない。三番目の解答は、だから無罪と。 空想めいたこの挿話は、米国カリフォルニア最高裁での判例に映すと深く考えざるをえなくなる。白血病の手術を受けたジョン・ムーアは、後に、彼の細胞が培養され、癌の治療に使われる製薬成分を生産するとして特許申請されていたことを知る。そこで細胞の返還訴訟を起こしたわけだ。しかし判決は、肉体から取り除かれた後の細胞に対して、彼に所有権は無いとした。 ヨーロッパでは14世紀、キリストの血は流れ出た後も神たる性格を持ち続けているという原理が出され、1464年に教皇ピウス二世がその結論を確認したという。一方、芥川龍之介の「好色」は、恋する人が出した糞(まり)を当人と同一視する小説だった。これらまで話を広げると、法律以前に、社会背景や意識のあり方が問われてもくる。 ジョン・ムーアの場合、所有権が認められてしまうと、バイオ関連の研究者・業界に多大な影響を与えたという背景もある。一方で、フィクションがフィクションですまないような出来事が起こる気づまりな世。自分の身体は誰のものかという問いは、今いっそう先鋭だ。

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 人類の進化に、長距離走が役立ったという説がある。約200万年前の原人の化石は、足の長さが1.5倍になるなど、長距離の移動に向いた骨格になっている。これを詳しく調べたところ、原人には、走るときの衝撃に耐えられる特徴が揃っていたという。たとえば尻の大きさは歩くには必要なく、走るときにこそ役立つサイズなのだそうだ。 確かに人類は、ぼくたち新人に至るまで、アフリカに生まれては世界に広がる「出アフリカ」を何度か繰り返している。想像よりも早くに各地に広がってもおり、その道中を走ったとまでは言わないけれど、遠くへ、遠くへという気持ちが進化の上で刻み込まれてはいそうだ。 それにしてもなぜ、人類は長距離を走ったのか。アフリカのサバンナで、遠い地平線を見て旅に出たくなったといったロマンチックな理由ではないようだ。彼らが見ていたのは、青い地平線ではなく、その上を舞うハゲタカだったのではないかという。当時、人類は屍肉を食べて栄養を補っていたという見方がある。短距離走で劣っていた人類は、その場で闘うよりも、残り物をあさることで栄養価の高い食事をとる方が安全で効率的だったわけだ。そうなるとハイエナなどと競争しつつ、一刻も早く残り物のあるところにたどり着いた方が生き延びる。そうして人類は長距離に長けることになったのではないかと。 走ることは、人類がバランス感覚を養ったりするのにも役立ったともいう。他の霊長類は長距離を走ることをしないので、走ることがヒトをヒトにしたと言えなくもない。もっとも、言語や長寿、脳のサイズなどにヒトの特徴を求める説も強い。米国では遺伝子操作によって通常のマウスの倍の距離を走ることができるマラソン・マウスが生まれ、また人間でも長距離選手に多いミトコンドリア遺伝子型が見つかった。ぼくたちは、走ることを、いつからしているのだろう。謎解きは、まだ始まったばかりだ。 この一年も走り続けることになりそうです。本年もよろしくお願いいたします。

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