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ちょっと知的な雑学&トリビア

らせん

2004年11月11日 【コラム
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 身の回りにはらせんが多い。らせんを用いたもっとも広汎な発明品といえば、ネジだろう。身の回りの工業品のうちいくつがネジを使っていることか。工業品に限らない。この銀河系も渦状のらせん構造だし、太陽のコロナ磁場もらせん、台風や渦潮などもらせん。植物に目を転じればアサガオや豆などのつる、ヒマワリの種のつきかた、松ぼっくりなどもまたらせん。巻貝やクモの巣、人ではつむじや指紋。なにより、生命を記述するDNAが、二重らせん構造となっているのでもある。
 平面状のらせんで代表的なのは、アルキメデスのらせんとベルヌーイのらせんだ。ベルヌーイのらせんは、渦の幅がだんだん広くなるもので、各周におけるらせんの接線と、回転の中心から外に向けて引いた線がなす角度が、常に一定になるものを言う。巻貝や渦状銀河などがそうだ。
 これに対しアルキメデスのらせんは、一周ごとの幅が一定のもの。かとり線香やレコード盤の溝がそうだ。前述の太陽コロナ磁場もアルキメデスのらせん構造になっている。同じ名前のポンプがあるが、これはいわばホースを立体に巻いたもので、まわすだけで低いところから高いところに水が揚がっていく。アルキメデスが考案、後にガリレオ・ガリレイがこの原理を応用したポンプの特許を申請して独占権を得た。現在の電池式灯油ポンプにも応用されている。
 アルキメデスのらせんを機械的に描くには、回転と直線運動を組み合わせるような複合工作機械が必要になる。ハーバード大の研究者によれば、中国の春秋時代のヒスイの溝は精密なアルキメデスのらせんになっているそうで、紀元前7世紀頃、すでに複合工作機械が使われていたことを強く示唆している。
 同じところに戻るようで、違う地点に立つ。かつて人類は、らせん構造に宇宙や神の象徴を見た。それを描くために複合工作機械を作り、いま科学の最先端でらせんに出会う。ぼくたちはらせんとともに生きている。

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5 comments to...
“らせん”
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小橋昭彦

松ぼっくりやひまわりの種のらせんについては過去のコラム「癒しの由来 [2002.10.28]」も参考に、さらに不思議な世界へ。

らせんについて、「かたち*あそび」のページが楽しいです。「らせん」の解説も参考にどうぞ。「創造力を掻き立てるらせん構造【PDF】」も有益。

アルキメデスのらせんポンプは「第201回サークル例会」に写真があります。また太陽コロナ磁場のらせん構造については「Ulysses Radio Tracking from High Solar Latitudes and the
Spiral Interplanetary Magnetic Field
」に情報があります。中国のヒスイのらせんについてはハーバード大の「Peter Lu」のサイトを参考にしてください。

最後、かつて人類がらせんに宇宙や神を見たといったあたりは事例をひく余裕がありませんでした。たとえば平凡社世界大百科事典の「らせん」の項に秋山さと子氏による次のような解説があります。「らせんは、一般的にいって宇宙の誕生と進化にかかわる象徴的図形であり(中略)ギリシアでは右回りのらせんはアテナ神の属性で創造的、前進的であり、その反対の左回りのらせんはポセイドン神の属性とされ、竜巻や海の渦のように破壊的、退行的なものと考えられていた。」


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みえぞう

いつも興味深く拝読しています。

今日、ちょうどテレビで観た「手作りおもちゃ」にも
らせんが色々に使われていました。
そこには、直線で進むのではなく
わざと遠回りすることで生まれる
動きの面白さと意外性がありました。

>同じところに戻るようで、違う地点に立つ。
という言葉に、はっとしました。
同じことの繰り返しのようでいて、
着実に進む(あるいは広がる)カタチなのですね。

少し前に観た映像を、じっくり反芻してしまいました。


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honda

伊藤潤二さんの「うずまき」というかなり面白い作品
があった事を思い出しました。


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遠藤みか子

らせん、というとフィボナッチを思い出します。大学生の時、黄金律というのを知ってからしばらくとりこのようになっていました。

それと、全然関係ないのですが、思索する心とか、理解していく過程というのも「らせん系」なんですよね。同じ事をぐるぐる考えているようでも、そこに時間の軸があると、らせんになっていき、奥行きが広がるというイメージです。


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てつろ

らせんで思い出すのは、経済学でのケインズのクモの巣理論。今でも有効でっしゃろか??




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 まちおこしの目的をわかりやすく表現するのは難しい。それでつい「田舎に向かう人を増やしたい」なんて単純化して言ってしまうのだけれど、ある会合で友人が「都市規模にはジップの法則があって、田舎の人口は増やせない」と指摘するのを聞いていて、それはそうだけれどと複雑な気持ちになった。 ジップの法則というのは、単語の出現頻度について述べたもの。頻度が2番目の単語は1番目の2分の1の、3番目は3分の1の確率で現れる。べき乗分布になることから、べき法則と一般化される。都市規模の分布もこれに従うから、都市間格差は前提で、くつがえせないのではというわけだ。 ややこしいので例え話にしてみよう。百点満点の試験を考える。横軸に得点、縦軸に人数をとってグラフにすると、50点付近の人が多くて山を作り、零点や百点に近い人は少ない釣鐘形になる。50点の人が代表的ということだ。ところが、知っている友だちが一人なら1点、二人なら2点としてグラフにすると、「U」の左半分とでもいおうか、圧倒的多数は点数が低いけれど、高い人はいくらでも高い図になる。友達の例は検証が必要だが、こうした巾の広いスケールフリーな分布は、地震の規模と発生回数から戦争の数と死亡者数までさまざまなところに現れる。 スケールフリーな世界では、代表的というのは存在しない。どの一点をとってもそれより上があり、下もある。これを都市に置き換えるなら、あのくらいを目指そうと言う標準がないと考えてもいい。だとすればこの世界での処世法は、自分の中に審級を作るほかない。自分を知り、自らの特徴を磨くこと。 都市から田舎に向かう人を増やしたいと言ったときぼくの念頭にあったのは、こうした内なる思いだった。ある人が自分の居住地を選ぶとき、職場の関係で都市に限定されるというのではなく、田舎でもいいんだと、そういう可能性の多様さを作ること。ある点が多様な紐帯を持つことは、ネットワーク的にも狭い世界をもたらすのではなかったか。

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 ノーベル賞を受賞したリチャード・アクセル教授らによると、人間の鼻には約1000種類の嗅細胞があり、それぞれに1種類の匂い受容体が存在する。匂いはいくつかの分子で構成されており、複数の受容体を活性化する。その組み合わせにより、1万種類を超える匂いを感じることができる。 一つの匂いセンサーが一つの受容体しか持たないのはなぜか。科学技術振興機構の研究によると、千種類の中の一つが匂い受容体の遺伝子を活性化させると、そのことにより残り約999個の匂い受容体遺伝子の活性化が抑制される、そういう「負のフィードバック」によって同じ匂いセンサーが生まれないようになっているのだという。 負といってもマイナスでとらえてはいけない。生命体はホルモンの調節をはじめとして負のフィードバックに寄っているところが大きい。負のフィードバックは、システムを安定化する。匂い受容体の場合は、それぞれの受容体の独自性を生んでいるといえるだろう。 一方で正のフィードバックといえば、わかりやすい例では「あの人も買っているから」と買ってしまうベストセラーのようなもの。現在はこうした正のフィードバックが目につくから、負のフィードバックという安定系の仕組みに、ついマイナスイメージを抱いてしまうのかもしれない。 制御の仕組みはフィードバックだけではない。フィードバックは結果を受けて調節する、振り返り型の制御だが、目標を先に決めて外部要因を評価しつつ、達成に向けて修正を加えるフィードフォワード型の制御もある。人間の身体では、たとえば頭を振っても視線を固定しているときの小脳のはたらきがこのタイプとされる。 ビジョン優先のフィードフォワード。雪だるま式に加速していく正のフィードバック。システムを安定させ、独自性を生む助けをする負のフィードバック。これらの組み合わせが大切であるのは、生命に限らない。

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