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ちょっと知的な雑学&トリビア

助けあう理由

2004年9月30日 【コラム
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 稲刈りの終わった田にスズメがいる。はじめのスズメが仲間を呼んだのか、群れはいつしか増えている。思いやりの基本のようだけれど、行動生態学者マーク・エルガーによると、もう少し複雑なようだ。というのも、彼らが仲間を呼ぶ理由は、集団の中だと捕食動物に自分が見つかる可能性が減るからという。餌が少ないと自分の分け前を減らすほどのメリットがないから、餌の豊富なところでなければスズメは仲間を呼ばない。
 動物が協力行動をとる理由は、大きく分けて四種類という。ひとつは血縁関係があるとき。二つめはお互いにメリットのある互恵的な取引関係。三つ目は利己的な行動の結果。そして四つ目はグループとしての生き残りのため。スズメのケースは三つ目の利己的なチームワークにあてはまる。
 ドラマチックなのは四つ目の、集団の生き残りのために自己犠牲をいとわないケースだろう。砂漠に住むヒメハキリアリは、ただ一匹が巣から危険な地上に出て、仲間のために食物を調達する。ただし進化の視点からは、仮にこの一匹がいなければ集団は全滅するわけで、そういう習性を持ったからこの種が生き残れたというだけのこと。仲間の未来のために自己を捧げる感動的な決意などとあまりに人間的な解釈は避けたほうがいい。
 ちなみに集団のために自己を犠牲にするということは、仲間とそうでないグループを区別するということでもある。これは人間でも見られる特徴で、報酬なり罰金を分配する実験をすると、被験者は自分と同じグループの人を優遇する。たとえそのグループが、壁に一瞬映された点の数がいくつあるかを答える簡単な実験で分けられたものであってもだ。
 動物行動を過度に心理的に解釈してはいけないと戒めながらも、事例に目を通していると、やはりそこに人間に通じる部分を見ざるをえない。そのときふと、そうかそれはヒトもまた、進化の過程を経た動物の一種にすぎないからだと気づいて、肩の力が抜けた。

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4 comments to...
“助けあう理由”
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小橋昭彦

本当は動物の話を導入にアクセルロッドの繰り返し型の囚人ゲームの話に移りたかったのですが、動物の話で終わってしまいました。アクセルロッドの実験については、別の機会に取り上げます。

動物の協力行動について、今回は『吸血コウモリは恩を忘れない』を参考にしました。「Mark A. Elgar」によるスズメ観察は「Occam” s Razor」内でも紹介されていますので、ご参考に。また、人間の集団での協力実験は、Henri Tajfelらが「Experiments in intergroup discrimination.(1970 Sci Am. 223)」等を発表して切り拓いた分野ですが、「Intergroup Discrimination Experiments」をご参照ください。


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maha-rao

「仲間」や「集団」という表現には擬人主義の匂いが
して違和感があります。「自己犠牲」が動物の本性
(の一部)であるなら、人間社会に自己犠牲が見られ
るのも当然でしょう。「自己保存」を公理とする現行
の政治理論には自己犠牲を容れる余地があるのでしょ
うか。


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せきざわ

はじめまして、せきざわと申します。
いつも楽しく読ませていただいてます。

ずいぶん前ですが、こんな事を考えた事があります。

『人が人肉を食う事に嫌悪感を抱く理由』

「犬、魚、植物、猿、親族、牛、友人、人」を、
食べたくない順に並べると
「親族、友人、人、猿、犬、牛、魚、植物」
となりました。(主観ですが)

身近な物ほど、嫌悪感を抱きます。
これって、種の保存のメカニズムかなにかで、遺伝子に組み込まれちゃっているのですかね。
(そう考えると、うまく説明できるので。)

今回のテーマと関わっていたので、コメントしてみました。


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phi

ヒメハキリアリってどんなアリだろうと思って検索したらほとんど同じ内容のサイトと2件しかなくて残念です。このもうひとつのサイトでも書いていらっしゃるということはない?ですよね・・・




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 真空が負のエネルギーを帯びた電子で埋まっているというディラックの考え方は、物理学者にとってはなじみにくいという。それよりはむしろ、陽電子は過去に向かって進んでいる電子と見なせるというファインマンの論の方が受けがいいと。 このあたりのニュアンスは物理学徒でない身には直感的につかみにくいけれど、その背景には、相対性理論や量子力学といった物理学の法則は過去と未来を区別しないという事実がある。たとえば今、時間が逆転して時計の振り子が逆運動を始めたとして、何も知らなければそれを観測しても物理学的な矛盾は感じない。同様に、電子と正反対の動きをする陽電子を、過去に向かって進んでいる電子と考えても、理論的な矛盾は無いというわけだ。 だから、たとえばローレンス・シュルマン博士のように、事実、この宇宙に時間が逆向けに流れている領域が存在する可能性を指摘する物理学者もいる。すぐそばには無いかもしれないけれど、100光年もいけばそういう領域に出会えるかもしれないと。あるいは、リチャード・ゴット博士は、この宇宙そのものがタイムトラベルによって生まれたのではないかという。最新宇宙論に、誕生後宇宙はいくつかに枝分かれしたという説があるけれど、そうした枝のひとつがくるっとほんの小さな時間の逆行をして、おおもとの幹、つまり自分自身になったのだと。 つい先日の経験。書斎を出ると、遊びに出たのか、誰もいない子ども部屋で玩具の列車がレールを逆向けに走っていた。乾電池が逆向けだと思いつつスイッチを切る。しかしその瞬間、自分が逆行する時間の中に居なかったという保証はあるだろうかという思いがよぎる。逆向けの時間にいても、自分だけは未来に向かっていると感じるのではないか。確かめるには、もう一度列車のスイッチを入れることだ。しかし、それはしないでおく。時計より、自身は未来へ向かうという、意識の生む幻想に身を任せたいと。

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D L T Rohdeたちが今回報告したところによれば実際はそうではないらしい。彼らが地理的に現実味をもたせたシミュレーションをしたところ、わずか2,000?3,000年前に生きていた1人が現在の地球上にいる全人類の祖先だったという結果になった。そして、そのさらに2,000?3,000年前になれば、当時の世界の誰もが、現在生きている人々全員の祖先か、あるいは誰の祖先でもないかのどちらかになるのだという。

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