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ちょっと知的な雑学&トリビア

スモールワールド

2004年7月08日 【コラム
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 組織論の西口敏宏教授が、中国浙江省、温州の経済的発展を分析している。一人の革職人が欧州で職を得る。注文が増え、故郷から息子を呼び寄せる。販路が増すとさらに知人を呼ぶ。やがてイタリアを中心に温州人のネットワークが広がる。経験をつんで故郷に帰り、自社工場を設立。血縁、地縁をベースにしながら、ランダムに機会探索・情報取得を行う、典型的なスモールワールドだとか。
 小さな世界。この言葉は、ワッツとストロガッツ博士に由来する。複数ある点と点をつなぐとする。規則的なつながりがベースながら、ときどきランダムにつながっている状態のとき、もっともネットワークが活性化し、全体の経路が短縮することを発見。スモールワールド・ネットワークと呼んだ。
 米国のミルグラム博士が1967年に行った実験がある。任意に選んだ協力者に、ある人に荷物を郵送してくれるように頼む。直接知らない場合は、その人を知っていそうな知人を介する。結果、荷物の4つに1つが到達。平均して6人を経ていたことから、世界の誰とでも6人でつながるとして有名になった。
 英国のリチャード・ワイズマン教授が再試したところ、荷物の1割が届き、およそ4ステップだったという。前述のワッツ博士は電子メールでの実験を行っており、こちらは世界中の国を対象に、やはり4ステップで届いたという。もっとも到達率は1%そこそこ。
 60年代、郵便が届くことはきっとすてきなことだった。人はそれを目的の人に届けようと協力しただろう。いま、迷惑メールも多いなか、参加することに興味や動機を持たない人が多いとワッツは報告している。英国のワイズマンは、送らなかった人は自分には運がないと思いがちだと指摘。運を信じて送ることが、成功につながったと言う。
 いま、世の中は確かにスモールワールド化しているかもしれない。でも、ぼくたちに温州人の熱意はあるだろうか。何かを次の人に伝えたいという思いはあるだろうか。世界は、ほんとうに小さくなったかと自問する。

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5 comments to...
“スモールワールド”
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小橋昭彦

スモールワールドについては、かつてのコラム「地球の果てまで6人 [2003.08.14]」もご参考にしてください。「西口敏宏」教授の論考は、日経新聞2004年4月21日掲載のもの。「Richard Wiseman」教授の実験については、「Luck and the small world phenomenon」をご覧ください。「Steven H. Strogatz」博士のサイトからオリジナル論文がダウンロードできます。そしてDUNCAN J. WATTS博士のメールでの実験については「Small World Project」がそのもので、結果もダウンロードできます。


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濱本龍彦

いつも楽しみにしています。刺激があってよい。
今後は
  へお願いします。


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MAX

「海の向こう」に行くことが困難だった時代、
私たちには「海の向こう」に対するあこがれがあった。
郵便や荷物を出すことが面倒で、コストもかかり、たまに届かないことさえあった時代、
郵便や荷物が届く喜びは、今とは比べものにならなかった。

旅行に行くこともカンタン、連絡したい人には電話やメールですぐに連絡が取れるようになり、
私たちは、「つながる」ことよりも「つながりを断つ」ことを学びたいと感じ、
「本当のつながりって何?」という疑問をもっているのではないだろうか。

手段が整えばそれだけ孤独を感じる。
何だかとってもわがままだけど、それが今の私たちではないだろうか。


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小橋昭彦

濱本さん、いつもありがとうございます。

配信先のアドレス変更については、現在のアドレス添えて、メールマガジンに返信する形でも結構ですので、ぼくまでメールで指示、ないし下記のページを参考にお願いします。

http://www.kobashi.ne.jp/kj/change.htm


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比呂子

ネットワーク論、情報流通を勉強している者です、いつも、興味深く拝読しております。

スモールワールドとソーシャルキャピタルの関係、また情報流通における「信頼」の重要性とその醸成上のカタリストとしての社会的インフラの潜在的機能に関心があります。

今後もいろいろとご教示ください。




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 ぼくたちは一般に、五感の中で視覚を優先的に考える傾向がある。だけど実際は目を通してのみ「見ている」のではない。セキュラー博士らが考案し、下條信輔博士らが発展させた実験がある。画面の上部両端に円盤がある。それらが対角線上を移動し、中央で重なって下の端に移動する。この動画を見て、大半の人は円盤が互いを通り抜けて対角線を端から端へ移動すると見る。しかし円盤が重なる瞬間に音を出すと、7割から8割の人が中央で互いに跳ね返ると判断する。 音の出し方も視覚に影響する。光の点滅を見せながら断続的な音を聞かせると、実際の点滅は1度なのに、音の数だけ点滅したように見える。あるいは、運動方向のあいまいな視覚刺激を見せながら、たとえば上昇する音を聞かせると、図も上昇しているように見える。音程の「高い・低い」が視覚的な「高い・低い」に影響するわけだ。 ぼくたちほ乳類は視覚が弱い。霊長類こそ例外的に緑の視物質を取り戻したけれど、基本的に赤と青の二種類しか感じとれないのだ。その分、聴覚は「あぶみ」「つち」「きぬた」という小さな三つの骨が組み合わさった耳小骨を持ち、繊細な音を聞き分けている。これをたとば恐竜と比較すると、恐竜にはあぶみ骨しかないから聴力は貧弱。一方で視覚は、仮に現在のは虫類や鳥類なみに、赤・黄・緑・青に対応する視物質を持っていたとすれば、豊かだ。進化の過程で、は虫類や鳥類は昼間に活動したが、ほ乳類はそれを避けて夜間に動いたため、視覚より聴覚が発達したと考えられている。ぼくたちの祖先は、闇の中で耳を澄ませて生き抜いてきたのだ。 昨夜、長男のリクエストで、庭で花火を楽しんだ。火が消え、皆が口をつぐむ瞬間。煙が風に流れていくのを見ながら、ふと、虫の声を意識する。「静かだね」「ほんとに」そんな会話をしつつ、ぼくたちはこうして静寂を楽しむ時間を、ほとんど持たなくなってしまったと、そんなことを考えていた。

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