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生命の起源

2003年10月02日 【コラム
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 20年あまり前。科学者カール・セーガンが進行役となった『COSMOS』というテレビ番組があった。印象深い番組だったが、ミラー”ユーリー反応を紹介したシーンが今も記憶に残る。稲妻が光る原始地球を再現した実験で、原始スープと呼ばれる、アンモニアやメタンからなる混合気体をつめたガラス瓶の中で、火花を放電する。と、アミノ酸を含むさまざまな有機化合物が生成される。生命は化学進化から発生したという、オパーリンによる説を裏付けたのだった。
 オリジナルの実験から半世紀。原始スープの中身は一酸化炭素や窒素が加えられるなど見直しが進んだ。生命の基本である炭素が隕石によってもたらされたと考えられるようにもなった。今では稲妻ではなく宇宙線をあてている。発生する有機物はずいぶん複雑になったが、生命にはまだ遠い。当時大学院生だったミラー博士は、今も実験を続けている。
 現在、生命の誕生はマグマで温められた海水の湧き出る、海底熱水孔の周辺で起こったと考えられている。原始スープで生成されたアミノ酸が熱水によって反応を促進される。分子がつながり、周辺の冷水中で分解することなく安定する。こうしたサイクルが数億年続き、やがてたんぱく質となり、生命になったのではと。
 生命の起源については諸説あるけれど、ひとつ、確かなことがある。それは、ぼくたちヒトが、間違いなくこの原始生命に由来していること。ヒトだけじゃない、ゾウリムシもカエルも、杉の木もシダも、すべて。『COSMOS』を見た当時は、明日にも生命の発生が再現されるかと期待したけれど、それはずっとずっと奇跡に近い出来事だった。生命は、たった一度だけ発生したのだ。
 今後、実験室で生命が生み出されることがあれば、生命40億年の歴史ではじめて出会う、まったく違う系統の生命ということになる。ぼくたちは、そして地上すべての命はそのとき、同じ原点を持つ仲間として、彼らにむかうことになるのだ。

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6 comments to...
“生命の起源”
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小橋昭彦

COSMOS』ってDVDになっていたんですね。横内正さんでしたっけ、日本語吹き替え版はないですが、セーガン博士の肉声による輸入版でも日本語字幕は入っています。カール・セーガン博士は偉大な足跡を残しました。コーネル大学の「死亡発表記事」は多くの人が参照したことでしょう。追悼ページが「米国科学者協会」にも「惑星協会」にもあります。関連商品は「CarlSagan.com」で作られています。公式ページかと思うほどの「CarlSagan」も充実。さて。まずは生命発生の実験装置について「“生命の起源”に対する化学的アプローチ」をご覧ください。「Stanley L. Miller」博士の「インタビュー記事」も参考になります。「生命の起源および進化学会」ってのもあります。


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池田篤仁

いつも楽しく読ませて頂いています。宇宙とかいいですよね。ちょっと遅れてしまいましたが、御出産おめでとうございます。


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ミケ

わー、『COSMOS』!!懐かしいですねー!夢中になって見てました。シリーズ毎に大判の写真集も出ていて、学生の身には高かったけど、その内の何冊かを買いましたよ。
カール・セーガンさんは、「宇宙のセールスマン」などと言われて、確かタイムの表紙にもなりましたよね。一般の人に宇宙の話を面白く聞かせてくれる第一人者でした。当時はボイジャー計画の真っ最中でしたので、予算を取るためのパフォーマンスもあったかもしれませんが(生物の進化については、ちょっと「???」と思う話もありました)、早く亡くなってしまったのは本当に残念です。

ところで高校生の頃、NHK教育TV見たオパーリンの「コアセルベート」説に興味を持ちました。問い合わせてみたら、作り方を書いたものを送ってくれたので、早速、実験!試験管の中で、一瞬、何かモヤモヤしたものが出来ましたが、パッと消えてそれっきりでした。確か、使った材料はそんなに珍しいものではなかったはずです。


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rnakaji

オパーリン、バナールといえば、「生命は高分子進化の過程中に奇跡的偶然により発生したもの」ということですね。現実的に、実験室ではタンパク質はいくらでも合成できるけど、細胞質膜として機能するものはないようなので、やっぱり奇跡なんでしょうかね。
オパーリンというと、その後「ビタミンCと癌や風邪」の研究論文をたくさん出していて、確か、必要量の100倍のビタミンCで風邪の多くは予防できるという論文を読んで薬局方の500gの瓶を買った覚えがあります。


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たけ

> 生命の起源については諸説あるけれど、ひとつ、確かなことがある。それは、ぼくたちヒトが、間違いなくこの原始生命に由来していること。

日本人は進化論に偏りすぎる気がします。学校で進化論しか教えなかったことを理由にアメリカの15の州で裁判が起きていると聞かされたのも丁度20年ほど前でした。創造論に科学的根拠がないのと同じくらい進化論も核心部は解明されていないような気がします。その意味で両社は未だ全く勝負がついていません。

※進化論擁護の立場で徹底的にディベートを交して全く埒があかなかった20年前を思い出しました。


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中野 勲

いつもありがとうございます。
アミノ酸からたんぱく質へが大変ですね。たんぱく質ももう合成できたのですか。まだですね。

たとえたんぱく質ができてーーーーも、それは生命体の器ができたにすぎないのではありませんか。生命、心は別物かもしれない。そう思われません?




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 このコラムの下調べをしつつ、何度もあくびをしてしまったことを白状する。眠る前だった昨夜はともかく、今朝はさわやか、窓も全開。あくびは集中力がない証拠、酸素不足が原因なんていう説はどうも疑わしい。事実、空気の状態を変えて行った実験によると、部屋の中の酸素濃度とあくびのしやすさは関係がないという。とするとあくびが伝染することを、部屋の空気をもとには説明できない。 ビデオであくびを見た人の4割から6割がその後にあくびをしたという結果もある。映像からもうつるというのがおもしろいところだが、さらにひとつ、確かめてほしいことがある。あくびの真似をしてほしいのだ。ただ大きく口をあけるだけではない、喉の奥まで開くつもりで、鼻の上をしわくちゃにして、目が隠れるほどに。ほら、真似だけのつもりが、ほんとのあくびになったのではないか。 米国のスティーブン・パルテック教授が、あくびがうつりやすい人とそうでない人の心理特性を比較している。その結果、あくびがうつりやすい人は、他人に感情移入しやすい性格だったという。そういえばミラーニューロンといって、他人の動きを見たり真似たりしただけで、実際に自分が動くときのように脳が活性化するという研究成果がある。他人のあくびをみて脳がそれをたどると考えれば、先ほどの真似あくびと同じように、思い入れ深く再現できる人ほど、本当のあくびになるといえそうだ。 進化という視点からは、あくびの伝染しやすい集団は協調性があるといえることが注目される。だれかがあくびをする、それにつられて別のだれかもあくびをする、と誰かが「そろそろ休もう」と言う。休憩時間を合わせ、ともに活動した集団の方が、競争を勝ち抜くのに有利だったのではないかと。 そんなわけだから、もしこの小文を読んであくびが出た人がいたなら、ぼくは悲しむより、心強くとらえたいと思うのだ。世の中から思いやりが薄れていない証拠として。

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 寺田寅彦記念館から高知県立文学館に移動、記念室を訪れる。腰をおろして見たのは、彼が行った実験を再現した数分間のフィルム。なかで、生物の模様をとりあげた巻が心に残った。飼い猫の模様を弟子に写させ、胚分割の割れ方と比較、模様はそこに由来しているのではとし、さらに研究室前のコンクリートの割れ目との類似も指摘している。この視点は弟子の平田森三に受け継がれ、キリンのまだらは皮膚の割れ目という仮説になった。 寺田寅彦が没して約20年、数学者アラン・チューリングが反応拡散系という説を提出する。化学反応によって安定的な繰り返し構造を作ることができることから、生物の模様も何らかの波ではないかと考えたのだ。そして1995年、日本の研究者によってゼブラフィッシュの模様が反応拡散系のシミュレーションに一致することが見出される。色素をコントロールする化学物質が、縞模様を描きながら拡散した結果ではないかと。 トラ柄のシマウマがいないように、模様を決めるにあたっては遺伝子の役割もあるには違いない。ただ、たとえば2002年にはじめて生まれた猫のクローンは、性格だけではなく、模様もまったく違っていた。細かい模様まで遺伝子情報で決まっているわけではないのだ。遺伝子は、化学反応式でいう反応係数に影響を与えていると考えればいいという。 寅彦の時代、生命科学に物理学を持ち込むのは冒険だった。平田森三の説は今では否定されている。それでも、皮膚の模様が化学反応で説明できることを知ったら、彼らはどう思うだろう。見過ごしがちな日常に科学をみた寅彦の眼。彼には、この世のすべてが科学の織り模様だったろうか。そんなことを思いつつ、文学館を出る。高知城天守閣の方角から生バンドの演奏が風に乗って聞こえてきた。それもまた音の波。大通りは日曜市でにぎわう。光の波のなかを、音の波がたゆたっている。ぼくは波間に身体を滑りこませる。

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